伊藤真のけんぽう手習い塾

非暴力抵抗によって守るべきものとは何か

 それでは非暴力抵抗による市民的防衛について検討していきましょう。 まず再確認しておきますが、この防衛方法は、手段が非暴力行動であり、その主体が軍隊ではなく一般市民であるという点に特徴があります。そして、ここにその長所とともに克服すべき困難な課題も潜んでいるのです。これから、その目的、内容、課題などを順に検討していきます。
 ここで想定している市民的非暴力抵抗とは、ジーン・シャープ氏の『武器なき民衆の抵抗』(れんが書房)によれば、「抗議・説得」から、社会的・経済的・政治的「非協力」、「非暴力関与」まで広範に及びます。
 後に詳しく検討しますが、「抗議・説得」はデモ、祈祷、陳情のための署名集め、集会、抗議文の配布などであり、「非協力」にはストライキ、サボタージュ、ボイコット、市民的不服従などがあります。最終的には「非暴力関与」として、座り込み、ハンガー・ストライキ、政府に対抗した組織作りなどに及びます。200近くの手段が想定されています。
 これらの非暴力抵抗は軍事的防衛よりも人命や物質的被害の程度を少なくすることができるのみならず、軍事費に比べて安上がりにすむため、国家予算を福祉や教育など市民にとってもっと身近な課題に振り分けることが可能となります。この非暴力抵抗の実効性について、十分な検討もせずに、自殺行為だとか空想的にすぎると批判することはたやすいのですが、それでは建設的な議論になりません。
 歴史的事実に基づく実効性については、後に検討するとして、まず、こうした非暴力抵抗による市民的防衛によって守るべきものとは何かを確認しておきます。これまでも述べてきたように、国家の組織を守るのではなく、この国に生活する市民一人ひとりの生命と財産が守られることを最終目標とします。
 そして現在の日本国憲法を前提とする限り、一人ひとりが個人として尊重され、自由で民主的な社会体制を守ることが目的となるべきだと考えます。もちろん、これ自体が議論の余地のある価値観であるかもしれません。ですが、近代立憲主義の到達点の一つである、こうした基本的価値の中で生活できるということが一人ひとりの幸せにつながるという前提で話を進めたいと思います。
 仮にこうした体制に反対する価値観を持つ場合であっても、そのような思想や価値観を持つこと自体は自由として保障されるのですから、この点は同意してもらえるのではないかと思います。

領土としての国土の先に、守るべきものがある

 さて、従来から祖国防衛の目標としては、その国土を守ることが基本とされてきました。主権国家の存立の基礎として、領土、国民、権力の三要素が必要なのですから、当然でもあります。侵略戦争を仕掛けられたときに、国境を守り、領土の侵犯を許さないために自衛軍が組織されたわけです。
 ですが、ミサイルによる攻撃などから、最終的に守るべきものが、市民の生命、財産、そして自由で民主的な生活そのものだとしたら、仮に国土が侵害されたとしても、国民の生命、財産の被害を最小限にくいとめ、自由で民主的な体制を守ることができたなら、市民的防衛の目的は達成されたと考えることができるはずです。
 単に形式的に領土としての国土を守ることではなく、その先に本来守るべきものがあることをまず確認しておきたいと思います。もちろん、このことは領土を守らなくていいという意味ではありません。外敵による侵略の目的があくまでも単なる領土の形式的な支配ではなく、その場所を実効的に支配して利用しようとするものであるなら、そうした外敵の最終目的から日本の市民の生命、財産、そして自由で民主的な生活を守ることが最も重要だと考えているのです。
 たとえ、侵略と占領を阻止できなかったとしても、それは防衛目的を達成できず防衛行動が失敗に終わったと考える必要はないということです。占領されたことは全面的な敗北であり、あとは占領軍に従うしかないと考えるべきではないのです。
 攻撃されないようにさまざまな手を打ち、外交手段に訴え、非暴力による集団安全保障体制によって侵略を阻止するべきですが、仮に軍事侵攻されるような事態に至ったとしても、その時点で軍事的な反撃をするのではなく、占領されたことを前提に非暴力抵抗が始まるのです。いわば、軍事侵攻に対しては白旗をあげて、外敵が占領を始める段階から非暴力による抵抗を開始して、これを撃退しようというものです。
 したがって、まず前提として、軍事的な侵攻に対して白旗をああげることが敗北ではないと自覚することが必要となります。これはかなりの理性が必要となります。いわば侵略されることを前提とした防衛の議論ですから、いかにも敗北主義的であり、臆病者の態度のように見えてしまいます。最後まで徹底して闘うという一見勇ましい議論にひかれてしまいそうになる自分を抑制するためには知性と努力が必要です。
 そのためにも、最終目的は何かをしっかりと確認しておかなければならないのです。最終的に、日本の市民の生命、財産、そして自由で民主的な生活を守るためには、暴力に対して暴力で抵抗するのではなく、いったんは侵略を受け入れて、その後に非暴力抵抗運動を実践していくことが、もっとも勇気ある人間的な行動であるのみならず、もっとも目的適合的な行動であることを認識するべきだと思うのです。
 そしてその際の抵抗手段は、前回述べたように、武装レジスタンスやゲリラ行動であってはなりません。これらの暴力的方法は侵略側の弾圧に正当性を与えてしまい、市民の被害がより増大することになります。つまり目的適合的ではないからです。

「軍事力では攻撃を100%阻止できない」前提に立つ

 ただ、こうした議論の仕方に対して異議を唱える方もいるかもしれません。そもそも軍事侵攻それ自体をどう阻止するかが問題なのだという主張や、テロリストなどは日本を占領することが目的なのではなく、日本に一定のダメージを与えることだけで十分に目的を達成したと考えるのではないかという主張です。
 こうした主張の前提には、これらの攻撃から国民を守ること自体が防衛なのであり、その目的を達成できない以上、非暴力抵抗など意味がないという思いがあるように思います。ですが、そうでしょうか。
 何度も繰り返すようで恐縮なのですが、あくまでも最終目標は、日本の市民の生命、財産、そして自由で民主的な生活を守ることにあるはずです。それが、たとえばミサイル攻撃されたことによって、一定の被害を受けることはあるかもしれません。蓋然性はなくとも可能性はあるからです。ですが、それを軍事力によって100%防衛することが可能かといわれれば、不可能と答えざるを得ないでしょう。
 そして、軍備を増強することがかえって緊張関係を高めてしまい、攻撃の口実を与える危険を増大させることはこれまでも何度も述べてきたことです。つまり、テロとの闘いと言われる今日の世界では、軍事力によっては攻撃を100%阻止することはできないという前提に立つことが合理的だということです。そして、そこで生じうる損害を最小限にくい止めるための方法を考えようということです。
 軍隊を持った方が、攻撃される可能性を低くすることができるという抑止力としての軍隊という主張に対しては、これまでの議論の繰り返しになってしまうので、ここでは触れません。そうした議論を経てもなお、攻撃される可能性をゼロにできないのだから、そのときにどのように防衛するかが今のテーマであることを確認しておきましょう。
 また、テロリストなどは、日本に一定のダメージを与えることだけで十分に目的を達成したと考えるのではないかという主張に対しては、そのとおりだと考えるからこそ、テロの標的にならない国にすることがもっとも現実的な方法だと言ってきたのです。
 テロリストにとって、テロの標的として日本を攻撃する理由をなくせばいいだけのことです。アフガニスタンやイラクでの戦争に加担するまでの日本にはその実績があるのですから、これはけっして荒唐無稽で不可能な方法だとは思いません。
 よって、ここではあくまでも、日本を侵略し支配しようと考えている外敵に攻撃されたときにどのように防衛するかを検討することにします。
 さて、こうして市民的防衛の目的を明確にしたとして、その基本的な戦略の方向性と具体的な手段について次回から検討していくことにしましょう。

 

  

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伊藤真

伊藤真(いとう まこと): 伊藤塾塾長・法学館憲法研究所所長。1958年生まれ。81年東京大学在学中に司法試験合格。95年「伊藤真の司法試験塾」を開設。現在は塾長として、受験指導を幅広く展開するほか、各地の自治体・企業・市民団体などの研修・講演に奔走している。著書に『高校生からわかる日本国憲法の論点』(トランスビュー)、『憲法の力』(集英社新書)、『なりたくない人のための裁判員入門』(幻冬舎新書)、『中高生のための憲法教室』(岩波ジュニア新書)など多数。近著に『憲法の知恵ブクロ』(新日本出版社)がある。

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