この人に聞きたい

『靖国問題』や『教育と国家』の著書でお馴染みの高橋哲哉さんの登場です。まさに今、国会で教育基本法改定の審議がはじまろうとしていますが、この「教育改革」を国家が急ぐ先にあるのは、何なのか? 明快に分析しています。

高橋哲哉(たかはし・てつや)
東京大学大学院総合文化研究科教授。20世紀西欧哲学を研究、哲学者として政治、社会、歴史の諸問題を論究している。憲法、教育基本法、靖国問題、戦後補償問題などで市民運動にもコミット。NPO「前夜」共同代表として雑誌『前夜』を創刊。著書に『デリダ 脱構築』『戦後責任論』(講談社)、『教育と国家』(講談社現代新書)、『靖国問題』(ちくま新書)など多数。
安倍首相は、小泉首相よりも
さらに踏み込んだ形でやってくる

編集部
 2005年の10月に自民党から「新憲法草案」が発表され、いよいよ安倍政権は憲法改定を政権公約に入れてきました。9条改定だけでなく、新しい憲法を私たちの手で作り直すということを、全面に出して言っています。

高橋
 私は、憲法9条は二項も含めて護憲という立場ですが、9条だけ独立させて守ろうと考えるのではなく、9条を支える民主的な権利の保障について、声を大にして言いたいのです。特に哲学を専門に研究してきたせいもあるでしょうが、思想良心の自由や信教の自由、学問の自由、こういう精神的な自由の保障について、日本国憲法は徹底しています。これをぜひ大事にしたいと思っていますし、これが9条を守る大きな要素でもあると考えています。
 自民党は、新憲法草案を見れば明らかなように、9条を変え自衛軍を作って、国際貢献とか、様々な口実のもとに軍事力の行使を認めていこうとしている。そうなったときに、やはりその軍事力を行使する国家、戦争をする国家の国策を支えられるような、国民の意識というものが必要となってくるわけです。国民の意識作りのために、かつての大日本帝国が行ったように二つの柱を考えています。ひとつは、靖国。もうひとつは教育です。靖国神社の天皇参拝を含む国営化論まで出てくるし、他方では教育基本法の改正を急いでいる。国家が教育を左右できるように、教育の主人公を、国民から国家に、もう一回戻すようなことをやろうとしているんです。
 確かに、社会における学校教育の役割とか、靖国神社がもつ重みとか、かつてと較べれば違うかもしれない。しかし、9条を変えて軍事力を行使できる国にしようとなったときに、為政者が考えること、というのはいつの時代もあまり変わらないものです。戦争を支えるものへと国民の意識を変えていかなければ、と。彼らは、国民は今「平和ボケ」だと思っているわけですから、
 そのための手段として、自民党の新憲法草案では、憲法前文で愛国心が謳われていると同時に、憲法9条で自衛軍にし、憲法20条では、政教分離原則の改定案が入っています。これは彼らが何を目指そうとしているのかを、象徴的に表す「改定」だと思うんですね。ここは必然的な関係になっている。

編集部
 そういう意味でいえば、筋が通っているというか。相手方は完全なカタチに持ってこようとしているわけですね。

高橋
 そのとおりです。

編集部
 新総理になり、その傾向はより強まっていくのではとの懸念があります。

高橋
 安倍晋三氏は、保守本流というよりは、自民党の中でもライトウィングの伝統を継承しています。愛国心教育をするべきだという、そういう伝統を背負っているわけです。靖国神社についても、彼は小泉首相よりも、もっと踏み込んだ発言をしています。すなわち、「国に殉じた人たちに政治の最高指導者が“尊崇の念”を表すのは“当然の義務”である」と語っていましたし、「だから首相は参拝する責務がある」というようなことを、言ってきたわけです。
 小泉首相はそこまでは述べていませんでした。個人の心の問題だ、ということにしていたし、歴史観や戦争観についても、都合が悪くなると村山談話を出して来たり、いわゆるA級戦犯については戦争犯罪人と認識していると認めたり、一応これまでの政府のスタンスで来ていました。しかし、安倍氏のこれまでの言動、それから書かれたものを見ると、明らかに靖国史観というものに近い歴史観になっていますね。東京裁判は否定したいし、戦争犯罪人というのはいないと考えたいし、それもそのはず彼は、「つくる会」教科書を支持する自民党の中でも、歴史教育を考える議員の会の中心メンバーで活動してきましたから。首相になってからは、「参拝するともしないとも言わない」方針でやっていますが、彼が靖国参拝すると、これは小泉首相の場合よりもはるかに深刻な問題になるでしょう。
 小泉政権では、首相が靖国参拝を繰り返しながら、自民党新憲法草案を出し、教育基本法改正案を国会に上程しました。3点セット揃えて準備したわけですが、そのいずれについても安倍氏は、いわば小泉首相よりももっと踏み込んだ推進のための政治をやっていく、そういう位置にあると思います。

A級戦犯合祀問題は、
靖国問題を矮小化している

編集部
 その安倍晋三氏が首相になり、はじめての訪問先が、中国と韓国でした。小泉首相の靖国参拝で途絶えていた訪中・訪韓が再開され、その間に北朝鮮の核実験が行われ、「靖国問題」が大きな問題にならずに、今があるという感じです。しかし今年の夏、2006年8月15日の小泉首相の参拝をめぐって、さまざまな議論がありました。私たち日本人は忘れっぽいので、これについて一度ここで検証しておきたいと思います。
 高橋さんは、2005年の4月に著書『靖国問題』(ちくま新書)で、靖国の問題を世間に提示されましたが、今回、事態はさらに進んだのではないでしょうか?

高橋
 そうですね。では、3点セットのうちの「靖国問題」からいきましょう。
 小泉首相が5年間参拝を繰り返すことによって、広い意味で靖国派と反靖国派に分けた場合、どちらの側もこのままではまずいということで、問題をより掘り下げて考えてみようということになってきました。
 まず反靖国派の側は、とくにA級戦犯の分祀と、合祀の取り下げを求めている人たちが靖国神社ともめていることを、問題だと考えています。 合祀取り下げの要求は、1968年に日本人の角田さんという人が最初にやって、78年から台湾と韓国の人たちにも広がってきました。韓国については、朝鮮半島出身者が2万人以上合祀されているわけですが、全部まとめて取り下げを求めるべきだという議論まで出て来ています。これはやはりA級戦犯だけで議論していたときに較べると、はるかに議論が深まってきたということです。
 しかし、問題はいわゆる靖国側の方で、あきらかに新しい動きが出てきたことにあります。これまで議論は、常に首相が参拝すると中国・韓国が批判する、だからそれをかわすために、つまり外交問題を解決するためにどうするかというので、A級戦犯を分けられないかとか、別の国立施設を作れないか、そういう議論になっていたわけです。ところが、2006年になって出てきたのは、靖国神社国営化論です。6月に古賀誠議員が日本遺族会会長として、それを「国家護持」という言葉で言い出します。
 (今ある問題を解決するために)A級戦犯の分祀をしたいが、宗教法人である靖国神社には、政府はそれを強制できない。そこでまず靖国を国営化し国家護持した上で、国の判断として外すと。同じようなことを中川秀直元自民党政調会長(現幹事長)、中馬元行革担当大臣も明言しています。麻生外相は国営化の私案を提出しています。
 私はもともと本の中でも、A級戦犯分祀論というのは靖国問題の矮小化である、と指摘してきました。今の日本では、A級戦犯を外すべきだという人ですら、政治家だと少ないから、それが「良識的」議論のように見えていますが、「A級戦犯を外せば、中国・韓国との関係も改善されるし、なんといっても首相や天皇陛下に堂々と参拝してもらえる」というもの。こういう議論の中には決定的に欠けているものがいくつもあります。

編集部
 その欠けているものとは、何でしょう?

高橋
 靖国問題は、まず日本人の問題として、なんといっても憲法の政教分離原則というのを最初に立てて考えるべきです。つまり私は、憲法20条が保障する「政教分離原則」が大事であるとする立場から、日本の首相はこの原則に従って参拝するべきでないと考えます。
 政教分離原則にのっとって国と靖国神社が完全に分離すれば、A級戦犯を靖国が祀っているのは、民間の宗教法人が勝手にやっていることに過ぎず、無理に分祀させなくてもいいわけです。靖国が右翼的な歴史観や戦争観をとるのも、それは国と関係があれば大問題ですが、民間人でも世の中には右翼の人もいるわけで、自由社会ですから、それもやむをえないでしょう。
 戦後、靖国神社は、名前の上では国から切り離されましたが、実際は厚生省が合祀の名簿を提供していたとか、首相が参拝するとかいうことがあり、国家とずっと切れていませんでしたし、今もそうですね。

編集部
 国民の中にも、靖国は国の神社であると漠然と思っている人が多いのもまた事実です。

高橋
 政教分離というのは、日本ではまだまだ理解されていませんが、近代国家の原則なんですよ。民主主義を標榜する国家であれば、どこでもそれはあります。もちろんそれぞれの国の宗教事情によって導入のされ方は違いますが。日本の場合は戦後、神社を国家から切り離すとともに、国家神道全体を解体するということが行われました。中でも神社の中で一番強力で危険な装置である靖国神社を、国家と切り離すことが焦点でした。
 大日本帝国憲法、明治憲法の28条にも信教の自由が入っていますが、「日本臣民は安寧秩序を妨げず、かつ臣民たるの義務に背かざる限りにおいて、信教の自由を有する」という文言になっています。これは、要するに国家神道の枠内だったら、仏教徒であってもいいし、キリスト教徒であってもいいでしょうと言っているわけです。矛盾をおぼえながらもそういう国家神道の枠があったために、最終的にはみんな天皇教の下に組み込まれてしまったという歴史があります。国家神道解体の目的は、もちろんそういう意味で、本来の信教の自由を確保するということです。

主権在民を確保するための政教分離

高橋
 政教分離のもう一つの目的は主権在民にあります。つまり日本国憲法では、主権者は国民です。国民は日本国籍を有する者という縛りがありますが、主権在民の憲法にするためには、政教分離が必要だったのです。
 なぜかというと帝国憲法では、主権者は天皇ですが、この天皇の主権というのは、国家神道によって説明されていたからです。明治憲法の第1条は、「大日本帝国は、万世一系の天皇これを統治す」ということになっています。万世一系というのは、これは神話なんですね。神武天皇から何代かは、歴史学的には存在が証明できないというので、当時でも学問的には神話としていました。その万世一系神話を根拠にして、この国を建国した神武天皇の血を今の天皇が受け継いでいる。だからこの国は天皇の国ですと、こういうことだったわけです。
 第1条の前には、大日本帝国憲法の告文というのがあるのですが、これ見たことありますか? いわゆる前文みたいなものですが、ここには「朕は、神霊に告げて言う」という文言が何回も出てきます。つまり朕、すなわち明治天皇が、自分の先祖である神武天皇、さらにその祖先であるアマテラスオオミカミなどの神霊に、告げているんですよ。

編集部
 天皇が自分の祖先である神霊に告げている? 近代憲法のイメージとはほど遠いですね。

高橋
 もう宗教の文章そのものですよ。第3条では、「天皇は神聖にして侵すべからず」とありまして、天皇は現人神であるという観念につながっていく。
 つまり明治憲法下では、国家神道の教義に基づいて天皇が統治権者、主権者であると宣言しているわけです。だから万世一系神話がなければ、天皇が主権者であると必ずしも言えないわけです。
 それを日本国憲法で、主権在民、主権者は民である、国民であるというためには、国家神道をまず否定しなければいけないわけです。だから政教分離が必要になるのです。近代国家として、明治憲法下での天皇教プラス神社の、天皇制を含んだ神道から切り離される必要があったわけです。ここが今もって多くの人に理解されていないところではないかと思います。
 どうして私がここを重視したいかと言いますと、それは「信教の自由」と言うと、どうしてもそれはキリスト教徒の人とか、お寺の住職さんとか、特別に宗教をやっている人、信仰を持っている人のための権利だと思われているからです。自分は宗教にはあまりこだわらないから、関係ないと普通の人は思っているわけでしょう。しかし主権在民の根拠が、国家神道の否定である、政教分離であるといえば、主権者である国民である限りは、みんな関わること。つまりマジョリティに関わる問題なのです。そこを是非理解して、自分たち一人ひとりの問題だと認識してもらいたいのです。

編集部
 なるほど。明治憲法から現憲法に変えるにあたっての、民主的な近代憲法制定の根幹につながる話なのですね。

高橋
 にもかかわらず、日経新聞がスクープした例の富田メモをめぐる政治家の発言やメディアの論調は、朝日新聞も含めてみんな「昭和天皇ですらこうだったのだから、首相は参拝を控えるべきだ」という議論になりましたよね。私は日本のジャーナリズムであれば、まず憲法原則を立てるのが当然なのに、まるで憲法よりも天皇の方に権威があるかのような論調に、雪崩を打ってなる。民主主義社会のメディアとして、また政治家として失格ではないかと思います。

編集部
 名実共に政教分離を実行することで、外交問題も決着することができるはずだったのに、残念ながらそういう議論にはなりませんでした。

高橋
 もう一つ問題があります。靖国の問題を人権から見た場合、合祀取り下げを求めている人たちの要求に、靖国神社が自ら応じるということも、緊急に必要なことです。なぜならば、韓国の人も、台湾の人も、それから日本人でも合祀取り下げを求めている遺族は、とにかく靖国に合祀されていることが耐えられないと言っているわけですから。一人ひとりが持つ、思想良心や宗教、民族的なもの、そういったことに基づいて追悼したいという権利を無視して一方的に合祀されているわけです。取り下げを拒否しつづけるというのは、靖国神社が宗教法人として、今の民主主義社会の中で存続していく必要条件にも関わることです。つまりこれがなされない限り、仮に首相の参拝がなくなっても、靖国神社は韓国からも台湾からも日本の中からも、批判され続けるわけです。これはもうひとつの靖国における憲法問題です。

その2へつづきます

 

  

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