この人に聞きたい

「手続き」を踏むことの重要性を再認識しよう

編集部

 また、ここまで見てきた改憲案発表などとは別に、昨年末に官房長官談話のみで「武器輸出三原則」の緩和が決定されるなど、「改憲」の手続きを踏まずに実情を変えていこうとする動きも目立っている気がします。7月初めにも、政府の国家戦略会議が集団的自衛権の行使について、これまで「できない」としてきた政府の憲法解釈を見直すべき、とする報告書を提出しました。さらに自民党も、集団的自衛権の一部行使を可能にすることを、次期衆院選の公約に盛り込むとしています。

青井

 解釈改憲については、自民党政権のころから行なわれていて批判もずっとありましたけど、最近はそれがさらにスピードアップしていますよね。武器輸出三原則なんて、国会の閉会中に、副大臣級の会議を3回くらいやっただけで変えられてしまったわけで。

 国会を通さず、きちんとした手続きを踏まずにいろんなことが変わっていくというのは、本当にまずいと思います。日米安保条約についても、「極東」の平和維持に寄与するため米軍が日本国内の基地を使用することを認める、という「極東条項」が本来はあったわけですよね。実はそれは今も残っているんだけど、拡大解釈が重なって、いつの間にか日米安保は全世界での活動を対象とする同盟、みたいな位置づけになってしまっているでしょう。

 手続きを踏まないでどんどん変えてしまうというのは、前回お話しした「仕組みによって権力を統制して自由を守る」という、立憲主義の考え方にももとりますよね。「手続きを踏む」ということは、「自由を守る」という上ですごく重要なことですから。東日本大震災後の対応についても、政府が国会会期中にもかかわらずちゃんと法律をつくって対応しようとしなかったという話をしましたけど、かわりに行なわれていたのが「通達で対処する」ということ。でも、通達って、行政機関内部での定めに過ぎないわけですから、いくら柔軟に対処するためとはいえ、それでいいのかな? と思いました。

編集部

 改憲への動きと、改憲という手続きを踏まずに実情を変えていこうとする動きと…。やはりそこはつながっているんですね。

青井

 そう思います。さらに言えば、そうした「手続きを踏む」ことの重要性への認識について、どうも日本人はやや欠けているところがあるんじゃないかという気もしますね。

編集部

 どういうことでしょうか?

青井

 例えば「悪いことをした人間には人権なんていらない」とか、「重要なのはやったかやってないかだけだ」みたいな考え方にも、けっこう「そうだ」という人が多いんじゃないでしょうか。でも、それってやっぱり違うんですよ。いくら「罪を犯したかもしれない」人であっても、裁判などの手続きをきちんと踏まないと刑罰を科すことはできない。そういうルールで国家権力を、刑事権力を縛っているからこそ、国家は移動の自由や人身の自由を「刑罰」という形で制限できるんであって。その手続きを軽視するのは、「やったのは分かってるから」といきなり銃殺刑、というのとレベルは変わらないですよね。

編集部

 特に最近は、「加害者の人権を保護しすぎている」という批判の声が高まるなど、そうした傾向が強くなっているようにも思えます。どうしてだと思われますか。

青井

 経済も低迷しているし、明日のこともよくわからないし、誰かを叩きたいという意識があるのかもしれないですが…やっぱり、「恐れるべきは権力である」という感覚が今の日本では、非常に薄い気がしています。むしろ国家や行政機関というのは、例えば「ごみを回収してくれる」といったサービス提供者である、といった感覚や国家観が強いんじゃないかと。

 でも、それこそ福島第一原発事故の後の対応を見ていれば分かるように、国家権力はやろうと思えば何でもできます。その恐ろしさを、改めて認識しなきゃいけない時期なのかもしれないですね。

編集部

 権力によって「自由を奪われる」ことへの恐怖感が非常に薄いという気もします。

青井

 そう考えると、日本人のメンタリティって昔からあまり変わっていないのかも、という気がします。「お上が何とかしてくれる」みたいな感覚もあるし、戦時中は「神風が吹く」で最近は「安全神話」。自分で何とかするんじゃなくて、なんとなく大丈夫になるんじゃないかという系列の考え方がありますよね。戦時中は自由がなくて、戦争に負けていきなり憲法が自由を保障したけど、メンタリティとしてはつながったままなのかも。

 戦後すぐのときって、憲法学はすごく懸命に人々を啓蒙しようとしました。また、労働組合が中心になって「職場に憲法を!」みたいな活動をした。それは分かるんですが、今から思えば上から目線の議論だったんじゃないでしょうか。それも、ちょっと違うんじゃないかと私は思うんですよね。自由や平和といった感覚、価値観は、自分たち自身の中から内省的に鍛え上げて、つかみ取っていかないといけないものだと思うので。

 ただ、そういうことを考えて私が憲法学徒として誰かに伝えようとすると、それもやっぱり上から目線の啓蒙主義になってしまうわけで…憲法教育って難しいなあ、やっぱり義務教育の中でやってほしいなあ、と思いますが。

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※コメントは承認制です。
青井未帆さんに聞いた(その2) 憲法は、権力と立ち向かうための
「武器」になる
」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    例えば、デモやビラ配りを通じて自分たちの意思表示をする。
    「健康で文化的な」最低限の生活を守る。
    子どもを安心して育てられる環境をつくる。
    さまざまな場面で、権力と対峙するための「武器」となってくれる憲法。
    この「武器」を手放してはならない、と強く思います。

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