この人に聞きたい

今年9月、トルコの海岸に漂着したシリア難民の子どもの遺体を写した写真が、世界的な注目を集めました。それから3カ月近く、そのニュースが話題になることも少なくなりましたが、激しい戦火が続くシリアからは変わらず多くの人々が逃れてきており、その受け入れをめぐって周辺国やヨーロッパ、そして日本でも議論が続いています。
そもそも、「シリア難民」と呼ばれる人たちは、どんな人たちなのか。なぜ戦いは止まないのか。そして、日本の私たちにできることはないのか──。かつて、内戦前のシリアを訪れた経験を持ち、現在もヨルダンなどでシリア難民の取材を続けているフォトジャーナリスト、安田菜津紀さんにお話を伺いました。
※文中の写真はすべて安田さん撮影

安田菜津紀(やすだ・なつき) 1987年神奈川県生まれ。studio AFTERMODE所属フォトジャーナリスト。16歳のとき、NPO法人「国境なき子どもたち」の「友情のレポーター」としてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で貧困や災害の取材を進める。東日本大震災以降は岩手県陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。2012年、「HIVと共に生まれる -ウガンダのエイズ孤児たち-」で第8回名取洋之助写真賞受賞。共著に『アジア×カメラ ―「正解」のない旅へ』(第三書館)、『ファインダー越しの3.11』(原書房)。
内戦前のシリアは
何より「人の温かい国」だった

編集部
 9月に東京都内で行われていた、シリア難民の子どもたちの写真展を拝見しました。現在、内戦状態にあって難民の流出などが問題になっているシリアですが、安田さんは大学生のころから何度も訪れていらっしゃったそうですね。

安田
 大学時代、「あしなが育英会」でボランティアをしていたときに、親を亡くした世界中の子どもたちを日本に呼んでキャンプをしよう、という企画に参加しました。そのときに、イラクから来ていた10代後半の男の子と仲良くなったんですね。
 そして、その彼が帰国した後、シリアの首都のダマスカスに難民として逃れたという連絡があって…。当時のシリアは治安がよくて、しかもイラクからの難民を「受け入れる側の国」だったんですよ。それで、イラクに行くのは難しいけれどシリアになら会いに行けるというので、2008年にお邪魔したのが最初です。

編集部
 その当時のシリアには、旅行者もたくさん訪れていたんですよね。

安田
 多かったですね。ダマスカスの旧市街の建造物の多くが世界遺産に指定されていて、ヨーロッパからのバックパッカーもたくさんいました。そのイラク人の彼も「素晴らしい場所があるんだ」とあちこち案内してくれましたし…でも、そういう風景の美しさもさることながら、とにかく感銘を受けたのが人の温かさでした。
 冬、寒くて鼻をすすりながら道を歩いていたら、向こうから歩いてきた知らないお兄さんがすれ違いざまに「どうぞ」ってティッシュを渡してくれたり(笑)。縁が縁を呼び、毎日どこかの家にごはんに招いていただいて、スケジューリングに困るくらいでした。初めて行ったときにあまりにも温かい思い出をたくさんいただいたので、その後1年間で4回くらいシリアに行ったんですよ。
 もちろんその中でも、政治的にはいろいろ難しい部分があるというのは感じました。親しくなった人たちと話していても、「アサド」っていう言葉を発すると「例え英語でも、そういう話題は避けてくれ」と言われたりと、政治的な発言についてはみんなとても敏感でしたね。でも、それを除けば治安面では安定していたし、まさかこんなに泥沼化した内戦になっていくとはそのときはまったく思えなくて。周りで「どこか海外旅行に行きたい」という人がいるとシリアを薦めていたくらいでした。

内戦前のシリア、カシオン山から首都ダマスカスを一望した風景。(2009年)

編集部
 でも、その後情勢は大きく変わってしまった…。

安田
 日本で東日本大震災が起こったのとほぼ同じ、2011年の春ごろから、反アサド政権のデモが拡大するなどの火種が生まれて、そこから騒乱が拡大していって…。私がシリアに行くきっかけになったイラク人の友人も、そうした状況を避けるためにイラクに戻りました。でもその後、彼の住んでいた町が今度はイスラム国に陥落されてしまって。彼と家族は無事だったものの、逃げて今は別の町にいると連絡を受けました。本当に、逃げて、また逃げてという人生なんですよね。

難民たちは、
「ずっと難民だった」わけではない

編集部
 写真展で展示されていたシリア難民の人たちの写真は、主にヨルダンで撮影されたものなんですね。

安田
 内戦がはじまって、シリアに行くのは難しくなってしまったけれど、何かできることはないだろうかと思っていたときに、私もかかわっているNPOの「国境なき子どもたち」がヨルダン側での活動をはじめると聞いて。そこでなら取材ができるんじゃないかということで、2013年に足を運びました。そこから、これまで5回取材に訪れています。
 ヨルダンには、難民として正式に登録している人だけでも60万人以上がシリアから逃れてきていると言われています。ヨルダンの人口は600万人強ですから、その約1割の人数が入ってきていることになる。しかも、それはあくまで「正式登録している人」なので…すぐにシリアに帰れるんじゃないかと思って手続きをしない人や、自分にある程度資金力があって登録をしなくてもなんとか生活できる人もいますから、それを含めると実際には2倍くらいの数の人が来ているのではないか、という統計もあります。

編集部
 そうした難民の人たちは、いわゆる「難民キャンプ」のようなところに住んでいるのでしょうか?

安田
 そういう人もいますが、数でいえば少数ですね。都市部に出て、不法でも仕事を見つけてなんとか生活していくという選択をする人たちのほうが圧倒的に多いです。
 というのは、たしかにキャンプにいれば最低限の食料やインフラはあるし、安全も一応確保されているけれど、砂地の真ん中につくられた場所である上に、自由な出入りや労働も許されていません。
 人の生活というのは、最低限の衣食住が保障されていればいいというものではないですよね。仕事をしたり、なんらかの形で社会にコミットして、社会から必要とされる、それがあってこその「生活を営む」なわけで…私が知り合った中にも、シリアでは弁護士やTVのプロデューサーとして第一線で活躍していた人たちがいましたが、そういう人たちにとって、何もせずに「ただ待つ」生活はものすごいストレスなんですね。それが家庭内で爆発して、奥さんや子どもに暴力という形で向かってしまうこともある、と聞きました。

シリアを訪れたときに滞在していた集落で、いつも出迎えてくれた子どもたち。(2009年)

編集部
 当たり前ですが、どの人もずっと「難民」だったわけではない。私たちと同じように、それぞれの生活を営んでいた人たちが、突然戦火に巻き込まれたということなんですよね。

安田
 そうなんです。それぞれに家庭があって仕事があって、それがある日突然すべて壊されてしまった。もちろん、みんながボロボロの、「いかにも難民」という格好で出てきたわけでもない。そこの想像力をどのくらい働かせることができるかですよね。だから、内戦前のシリアにお邪魔していて本当によかったと思うし、当時の光景を、写真を通して伝えていくことができればと思っています。

先の見えない生活が、
人々を戦いの場へと追い込んでいく

編集部
 日本では、中東での戦いというと「イスラム国」のイメージばかりが強いですが、シリア難民の多くは、アサド政権による攻撃から逃れてきている人たちなんですね。

安田
 正式な統計をとるのは難しいけれど、海外のNGOの調査では、これまでシリア国民に出た犠牲のうち、90%以上はアサド政権の攻撃によるものだとも言われています。「イスラム国」による犠牲は1%前後ではないか、とも。
 だから、ヨルダンでシリア難民の方と接していると、ヨルダンでもそれ以外の国でもメディアはどうして「イスラム国」──彼らは「ダーイシュ」と呼びますが──のことばかり報道するんだ、と言われることがあります。「頼むからあれを“イスラム”だとは思わないでくれ」、そして「毎日のように人を殺しているのは誰なのか分かっているのか」とも言われましたね。

ヨルダン北部にある最大の難民キャンプ、ザータリ難民キャンプ。夕刻は砂埃に覆われる。(2014年)

編集部
 そして、そうして自国の政府から逃れてきた彼らは今隣国で、これからどうなるのか、まったく先が見えない中にいる…。

安田
 そうですね。いつ故郷に帰れるかの保証はまったくないし、ヨルダンはこれまで、難民受け入れのためにすごく努力してきたと思うけれど、それでもやっぱり「シリア難民がこんなに入ってきたから物価が上がった」とか「仕事を奪われた」とか、そういう感覚を持っている人も中にはいます。私も実際、シリア難民の方がヨルダンの人に「おまえらがこの国をダメにしてるんだ」と、ひどい言葉を投げつけられているのを見ました。
 故郷を追われて隣国に逃れてきたけれど、そこにも自分たちの居場所がない、という状況。それでも家族が、特に子どもがいれば踏みとどまれる人が多いけれど、家族もみんな失ってひとりぼっちの、特に男性の中にはシリアに戻って、アサド政権と戦いを続けている「自由シリア軍」に加わるんだという人もいます。

編集部
 危険なのは分かっていて、でもここにいるよりはましだ、ということなのでしょうか。

安田
 私が会ったある男性は、こんなふうに言っていました。「ここにも居場所がないんだったら、僕はシリアに戻って戦う。ヨルダンにいると毎日死んだように生きなきゃいけない。でもシリアに帰れば死ぬのは一度だ」。
 ヨルダンの病院に運ばれてくる中にも、自由シリア軍の兵士として戦っていて負傷した人たちがいました。でも、彼らだってもともと武器をとって戦いたかったわけではない。故郷がぼろぼろに傷ついて、家族も失って、精神的な支柱が「アサドを倒す」というところにしかなくなってしまった。そういう状況にまで追い込まれてしまったということなんですよね。彼らに対して「でも武力はよくないよ」という言葉は、私にはどうしてもかけられませんでした。

爆撃に巻き込まれ運ばれてきた5歳の少年、アブドゥラ君。この2週間後に息をひきとった。(2014年)

人々をもっとも苦しめるのは
国際社会の「無関心」

編集部
 難しい問題ですね。武力がよくないなんて分かっているけれど、それ以外の選択肢がなかったんだ、ということでもあり…。

安田
 そうなんです。でも、もしヨルダンにせよ、あるいはヨーロッパや日本にせよ、どこかに彼らの「居場所」をつくることができれば、彼らも武力以外の選択肢を持てるようになると思うんですね。これからもここで生活を営める、もう一度人生を立て直していける、と思ってもらうことができれば。それは小さな力かもしれないけれど、これ以上の泥沼化にある程度歯止めをかけることにもなるんじゃないかと思います。

編集部
 「居場所」をつくる…。その視点で日本を見てみると、難民の受け入れには非常に消極的だという印象があります。難民申請者に対する認定率も非常に低いことが指摘されていますね。

安田
 昨年は難民申請者数が5000人を突破して、うち難民として認められたのはわずか11人でした。シリア人に限っても、2011年以降に60人以上が申請しているのに、認められたのは3人だけです。
 ただ、そうした制度的なこともありますが、日本にいるシリア人の方にお話を聞くと、「この国では、自分がシリア人だとはとても言いづらい」とおっしゃいます。特に「イスラム国」による邦人の殺害があってからは、ヘイトの矛先を向けられることもあって、「テロリストだ」と言われるんじゃないかと非常に怖い、と。
 だから、難民を受け入れるための制度が整ったとしても、そうした閉塞感を同時に打開していかないと、結局はやってきた人たちをさらに追いつめるだけになってしまうんじゃないかと思います。

編集部
 制度面と意識の面、両方を変えていく必要がありますね。

安田
 安倍首相が国連で「難民支援に8.1億ドルを提供する」と表明したときも、「海外のことより日本国内のことが先だろう」という声がありましたよね。でも、どちらかではなくて、両方全力でやろうよ、と思うんです。遠くに住んでいる人の痛みを他人事としか思えなければ、結局近くの人の痛みにも気付けないんじゃないか、と思うので。
 これも取材させていただいた難民の方の言葉で、すごく印象に残っている言葉があって…「自分たちを本当に苦しめているのはイスラム国でも、もっといえばアサド政権でさえない。これだけのことが起こっているのに、世界から無視され続けているというその感覚が、何よりも自分たちを追いつめているんだ」というものです。
 あの、トルコの海岸に流れ着いた子どもの遺体の写真は世界に衝撃を与えましたけれど、もちろんあれ以前からこの問題はあったんですよね。そして、一瞬だけスポットが当たって、その後また日本でもシリア難民についての報道は減っていっているけれど、残念ながら現地の状態は何も変わっていません。どうすれば一過性で終わらせずに心を寄せ続けることができるのか。それは、現地に足を運んだ人間のひとりとして、考え続けなくてはいけない宿題の一つだと思っています。

(その2に続きます)

構成/仲藤里美・写真(安田さん)/塚田壽子
※文中の写真はすべて安田さん撮影

 

  

※コメントは承認制です。
安田菜津紀さんに聞いた(その1)
内戦前に訪れたシリアは
温かい人たちの暮らす国だった
」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    お話を伺った後に、パリやベイルートでの連続テロが発生。再び「テロとの戦い」という声が力を持ちはじめ、フランスが「イスラム国」への空爆を本格化させるなど、情勢はまた大きく変わりつつあります。けれど、「ある日突然生活を奪われた」人たちの状況は、何一つ変わりません。自分たちが望んだわけではない争いで、ある日突然穏やかな日常を破壊されたとしたら…。その想像力を、私たちはどこまで持てるでしょうか。後編では、安保法制成立などここ最近の日本の動きについてもご意見をお聞きします。

  2. 寺田 奇佐子 より:

    来年の参議院選挙(衆議院も同時?)で安倍政権を倒して、安保法制撤回、改憲阻止を何としてもしなければと思います。野党共闘が望まれますが、このままでは不安です。政治の素人で可能なのかわかりませんが、せっかく盛り上がった一連の安保法制反対の動きを持続するためにも、全国に7500以上のグループを持つ9条の会が中心になって政党を作るのです。安保法制のおかげで新しく9条の大切さを知った若者や主婦、違憲を唱えた
    学者の中にも賛同する人が多いと思います。もちろん既成政党にも呼び掛けて大同団結し、候補者を立てます。
    できれば「安保法制撤回」「原発再稼働しない」「辺野古新基地はつくらせない」「9条は変えない」を掲げ、代替案も掲げます。なんとか暴走する安倍政権を止めるため、大胆な行動を起こしてください。

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