この人に聞きたい

ナレーションも効果音も一切用いない、「観察映画」と呼ぶ独自の手法によって、『選挙』『精神』などのドキュメンタリー作品を制作してきた想田和弘監督。その「観察映画」第3&4弾となる『演劇1』『演劇2』がまもなく公開されます。作品について、そして米国在住の監督から見た「日本」について、さまざまなお話を伺いました。

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そうだ・かずひろ1970年栃木県生まれ。東京大学文学部卒。スクール・オブ・ビジュアルアーツ卒。93年からニューヨーク在住。台本やナレーション、BGM等を排した、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱・実践。その第1弾『選挙』(07年)は世界200カ国近くでTV放映され、米国でピーボディ賞を受賞。ベルリン国際映画祭へ正式招待されたほか、ベオグラード国際ドキュメンタリー映画祭でグランプリを受賞した。第2弾『精神』(08年)、番外編の『Peace』(2010年)も世界各地の映画祭で上映され、受賞多数。最新作『演劇1』『演劇2』が全国で順次公開中。著書に『精神病とモザイ ク』(中央法規出版)、『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)。岩波書店から『演劇 vs. 映画―ドキュメンタリーは「虚構」を映せるか』が10月19日に発売された。
逆風にさらされる「芸術」

編集部 まもなく公開される想田監督の新作『演劇1』『演劇2』は、劇作家・平田オリザさんとその主宰劇団「青年団」を追ったドキュメンタリーです。
 『演劇1』が、青年団の舞台やそれがつくられていく過程そのものに焦点を当てているのに対して、『演劇2』のほうは平田さんが劇団運営の資金確保に苦労する様子が描かれるなど、平田さんと「社会」のかかわりがメインテーマになっていますね。

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『演劇1』より (C)2012 Laboratory X, Inc.

想田 撮影を続ける中で強く感じたのが、演劇ってすごく社会的な芸術だな、ということでした。平田さんも言うように、例えば詩なんかは、思いついて「書く」ことで完成する、ある意味で個人的に成立する芸術ですけど、演劇は違う。部屋の中で1人で何か演じていても、それは演劇とは言わないわけで、観客がいて初めて演劇として成り立つ。つまり、他者との関係がない限り成立し得ない芸術なんですよね。
 それに、劇団を維持するためにはお金も必要だし、スケジュールを管理したり劇場をブッキングしたりももちろん重要。社会と密接に関わらないと成立しないのが演劇という芸術で、実際平田さん、あるいは青年団の活動のうち、下手したら60%くらいは創作ではなくそういった対外的な関係構築や社会への働きかけといったものに費やされていると感じた。これは、特に別立てでやるべきだなと感じて、2部構成を選んだんです。
 あともちろん、特に今、ものすごく「芸術」が社会の中で逆風にさらされている、という危機感もありました。

編集部 たしかに、各地で小劇場やミニシアターの閉鎖が相次いでいたり、最近は大阪で、橋下徹市長による文楽協会への補助金打ち切り表明(※)もあったりと、「芸術」を取り巻く社会の空気には今、非常に厳しいものがあると感じます。こうした状況は、なぜ生まれてきているとお考えですか?

※橋下市長は市長就任後、文楽協会を「協会は客を呼び込もうという努力が足りない」などと厳しく批判し、市からの補助金の大幅削減を表明。一時は補助金打ち切りの意向も示していたが、10月に協会の技芸員らと公開面談を行い、今年度の補助金については条件付きで支給するとした。

想田 やっぱり日本の社会に、芸術を受け入れるだけの余裕がなくなってきているということなんでしょうね。
 それと、特に冷戦終結後、いわゆる資本主義の一人勝ちのようなことが言われ始めてから、「資本主義万歳」という風潮に対する歯止めのようなものが非常に弱体化しているように思うんです。

採算や効率で「芸術」を計ることの愚かさ

編集部 どういうことでしょうか?

想田 僕は1993年、23歳のときにニューヨークに住み始めたんですが、そのときにまず思ったのが、この国の資本主義は徹底している、というか荒々しいな、ということだったんです。
 とにかく何でも価値判断の基準は「金になるかならないか」で、価値観が非常に単線的。もちろん、ニューヨークには世界中からいろんな文化、価値観の人が集まってきているわけですけど、にもかかわらずそうした「資本主義的価値観」だけは圧倒的多数の人に通底している。
 例えば、通い始めた大学でも、周りの学生たちの姿勢がすごく「消費者」っぽいという印象を受けた。先生が講義を早めに切り上げると、「授業料をこんなに払ってるのに、なんで途中で切り上げるんだ」とか言い出す学生がいるんですね。日本の大学では「休講だ、やった!」という感じだったのに(笑)。そうか、教育も「対価を払って受けるサービス」という捉え方なんだな、と。大きなカルチャーショックでした。
 でも、内田樹さんなども指摘されているように、今は日本もそういう感覚に近くなってきていますよね。

編集部 「授業料を払ってるのに」とまでは言わないかもしれませんが、教育現場における「消費者」感覚は確実に強まっている気がしますね。

想田 それに象徴される「資本主義的価値観」が、今日本で猛威をふるっているという印象を受けるんです。そして、その価値観だけでは、まず誰も芸術なんてやろうと思わないはずなんですね。

編集部 採算という面だけで言ったら、こんなに効率の悪いものはないですからね。

想田 特に演劇なんて、一番効率が悪い手段ですよね。もちろん、ブロードウェイミュージカルみたいに金儲けを最も重視するやり方、つまり芸術性というよりも、サービスとしての娯楽性を志向する演劇もなくはないけれど、大半はそうじゃない。やっぱり芸術家の表現の欲求がまずあって、見に行く側にも何か面白いもの、あるいは自分の世界観を変えてくれるようなものを見たいという欲求があるわけです。その欲求を満たそうとするなら、儲かるかどうかなんて二の次三の次。表現したい、共有したい、それを見たいという、資本主義とはまったく関係ない欲求に突き動かされてつくられるのが芸術だと思うんです。でなきゃ、僕だって合計5時間42分もあるナレーション無しのドキュメンタリー映画なんか作らない(笑)。

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『演劇2』より (C)2012 Laboratory X, Inc.

 だから本来、芸術というものを資本主義的な価値観で計ること自体が非常にナンセンスなはずなんです。でも今や、資本主義的価値観があまりに浸透してしまっているからか、カネになるのがいい芸術、ならないのは内容に問題がある、あるいは努力が足りないからだという、大阪の橋下さんみたいな主張が幅をきかせてしまっている。もちろん、橋下さん個人がそう考えるのは自由ですけど、それを支持する人たちが相当数いるということが、僕は非常に問題だと思います。

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