この人に聞きたい

雑誌『自遊人』編集長及び(株)自遊人 代表取締役の岩佐十良さんは、「メディアは発信する情報に最後まで責任を持つべき」を企業理念に掲げ、出版業だけでなく、自社の田んぼを管理し、栽培や食品の企画・仕入れ・販売なども行ってきました。岩佐さんは、なぜ9年前に移住を決めたのでしょうか? 日本の米どころ魚沼に暮らし、日本の農業の将来をどう思い描いていたのでしょうか? そして迎えた3・11は? などについてお伺いしました。

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いわさ・とおる1967年東京生まれ。武蔵野美術大学卒業後、編集プロダクションを立ち上げ、1999年に「食と旅」をテーマにした雑誌『自遊人』を立ち上げる。創刊15年目の2004年に、東京・日本橋から新潟県南魚沼市に会社を移転し、米作りを始める。現在は株式会社自遊人代表取締役、日本全国の「本物の食品」を販売するショッピングモール「オーガニック・エクスプレス」運営責任者、農業生産法人「自遊人ファーム」代表。株式会社「膳」取締役。著書に『一度は泊まりたい有名宿 覆面訪問記』(角川マーケティング)、『実録!「米作」農業入門』(講談社)。

9年前、東京から新潟県魚沼市へ移住した理由

編集部 岩佐さんは2004年の8月に新潟県魚沼に飛び込んでいかれました。住居だけでなく会社や編集部もまるごと魚沼に移転されたことで、当時、業界でも話題になりました。そもそもなぜ移住されたのですか?

岩佐 端的に言えば、僕らの価値観が東京には見いだせなくなったからです。当時僕らは、それなりに裕福な生活をしていました。2000年に雑誌『自遊人』を創刊し、02年あたりは売り上げ部数を大きく伸ばし同ジャンルの雑誌としては、小学館が出していた『サライ』につぐ2位の部数を誇っていました。広告の収入も順調に伸びていました。でも僕らが考えていた「本当の豊かな暮らし」は、これじゃないぞという感じがずっとつきまとっていたのです。

編集部 というのは?

岩佐 制作プロダクションを立ち上げた当初は、とにかく来た仕事はなんでもやる、言われたことは何でもやると決めてやってきました。会社としてある程度の力が蓄えられた創業10年目で、僕らの考える価値観の詰まった雑誌を一から創ろうと出したのが『自遊人』だったのです。
 当時の雑誌のコンセプトは「本物の旅と食を追求する」。いわゆるいい宿に泊まって、おいしいご飯を食べて…なわけです。でもね、人間の欲望はとどまるところを知らないんですね。お金がいくらあっても足りなくなる、というか満足感を得られない。2003年頃、僕が1人で使う食費は、多い時で月に数十万ぐらいになっていた。でもぜんぜん「豊かだな」という満足感が得られなくなっていたんです。
 確かに昔のプロダクション時代からしたら、「夢のような生活」です。年収も何倍にも増えていた。でも豊かな気持ちになるのは一瞬で、もっともっとお金が欲しくなる。より広いマンションに住みたくなるし、車もいいものに乗りたくなるし、食費だって一流レストランに毎日行くのであれば、一日3万でも4万でも欲しくなる。

 お金がいくらあっても満足できない生活。果たしてこれって正しいのかな? と思うようになっていた。それに当然メタボにもなるわけです。猛烈に忙しいから運動不足でストレスがたまって不健康にもなる。とにかくこんな生活はやめたい、そのためには一刻も早く東京を抜け出したい、そう思っていました。

 でも当時この話を周りの人にしたら、完全に「変人」扱いになるので、これは話の脇において「日本の一流どころの米作りを勉強したいと思ってね」と言ってました。どちらかというと米作りは趣味に近かったのですが。で、2年ぐらい東京を離れようと思って魚沼に行ったところ、ズブズブとすっかり入り込んでしまい、今に至るという状況です。

編集部 東京に住みつつ、ライフスタイルや価値観を変えることは難しかったのでしょうか?

岩佐 人間ってやはり弱いですから、同じ場所や環境の中にいたらなかなか難しいでしょう。当時は、簡単に言えばもう全部切りたかったんです。しかしそれはできない。僕もスタッフも生活ができなくなっちゃいますからね。それで、生活やオフィスの環境だけ変えて、仕事はそのまま継続できるように、移住という選択をしたのです。

編集部 2年の予定が「ズブズブと入り込んでいった」のは、なぜでしょうか? 今年でもう9年目ですね。

岩佐 行ってすぐに、これまでのことが全部ばかばかしくなりました。これまで自分は何のためにあんなにがむしゃらに働いてきたのかな、と。そう思った理由というのが、本当に単純なことなのですが、空気がいいとか、水がおいしいとか、ダイナミックな四季の移り変わりを目にすることができるとか。春夏秋冬って言いますが、景色は毎日変わっていくんですよね。雪が山頂からだんだん降りてくる、溶けて川になる、草木が芽吹く、花が咲く。命のダイナミズムを生で、ライブで日々目の当たりにすることができる。それを見ているだけでうれしくなるし、生活に張りが出てくる。それで東京にはもう戻れなくなりました。

編集部 そこには、お金は介していないですね。

岩佐 お金はまったく関係ないですね。これらは全部ただですから。それに収入面で言えば、すぐに半分から1/3ぐらいに減りましたが、満足感は逆に大きくなりました。というかそれまでとは比較にならなかったですね。もちろん移住して最初の1、2年はいろんな外野の声がありましたから、少しは気になりました。東京にいる友人や仕事仲間から、「地方で雑誌なんて創れるわけない」、「あいつも焼きがまわったな」、「(しがらみを)捨てたんだな」とか、いろんなこと言われましたから。でも4年たつと、まったく気にならなくなっていました。僕らはこの価値観でいくんだから、言いたい人には言わせておけば…という感じで踏ん切りがつきましたね。
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