この人に聞きたい

2012年9月。沖縄・宜野湾市の普天間基地で、米軍の垂直離着陸輸送機・オスプレイ配備に反対する人たちが、基地のゲートを4日間にわたり封鎖しました。県内の強い反対の声を無視しての強硬策に抵抗する直接行動。それを主導した1人が、沖縄平和運動センター事務局長を務める山城博治さんでした。人々はなぜ、ゲート封鎖に踏み切ったのか。その後の政権交代などを経て、今どんな思いでいるのか。お話を伺いました。

やましろ・ひろじ 1952年沖縄生まれ。沖縄平和運動センター事務局長。法政大学社会学部卒業後、1982年に沖縄県庁に入庁。駐留軍従業員対策事業、不発弾対策事業、税務などを担当した後、2004年より現職。辺野古新基地建設、東村高江のヘリパッド建設反対運動など多くの平和・市民団体と連携、県内外に幅広いネットワークをもつ。沖縄の平和運動の象徴的存在。
沖縄を無視して「頭越し」に進む基地政策

編集部

 昨年、沖縄では宜野湾市にある普天間米軍基地へのオスプレイ配備に対する大きな反対運動が巻き起こりました。実際に配備が強行された9月には、反対する市民によって4日間にわたり普天間基地が封鎖され、山城さんも「沖縄平和運動センター」事務局長としてそれを主導されたとお聞きしています。

 沖縄県外で「オスプレイ」の名前が広く知られるようになったのはそのころからだと思いますが、県内ではもっと以前から反対の声があがっていたのでしょうか?

山城
 「オスプレイという危険な輸送機が沖縄に来る」という話自体は、ずいぶん前から言われていました。2007年に、本島北部の東村高江で米軍ヘリパッド工事が開始され、工事阻止の座り込みなどが始まるのですが、そのときにはすでにこれは単なるヘリパッドではなくてオスプレイパッドなんだ、という指摘がされていましたね。

 ただ、そのときはまだ報道もなかったし、オスプレイというものがどういうものなのかも、よくは知られていなかった。それもあって、実際に反対の声が集まりはじめたのは2011年ごろから。反対運動に火が付いたのは2012年の夏ごろだったと思います。

編集部
 配備を前にした2012年の9月9日には、オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会が開かれ、10万人以上が集まりましたね。

山城
 正直なところ、県内には「たとえ10万人が集まろうと、20万人集まろうと、どうせオスプレイが来るという決定は覆されないだろう」という声もあったんです。作家の目取真俊さんも、「2007年にも教科書検定意見撤回を求める県民大会に10万人以上が集まったけど、それでも教科書は変わらなかった。今回もきっとそうだろう。オスプレイを止めるための闘いは別にあるんじゃないか」と県内紙上で強く主張していました。私自身も、県民大会の成功に向けて奔走しながらも、ずっと反対運動の現場を見てきた立場として、「ここまで来たら、何らかの形で自分たちの決意を示さなくてはダメなんじゃないか」という思いも一方にありましたね。

編集部
 そして、その「10万人が集まっても止められないのでは」という懸念は、現実のものになってしまった。

山城
 そうです。あれだけの大会の盛り上がりがあったから、少なくとも普天間への配備は10月以降にずれ込むだろう、と私たちは思っていた。ところが実際には、9月中には配備されるということになって…。政府は沖縄を無視して、頭越しに政策を押し進めていくんだということを、改めて否応なく知らされることになったわけです。

 それで仲間たちと「配備阻止のために何ができるか」という協議をし直して…。ここに至ったらもう直接行動しかない、基地のゲート前に座り込んで封鎖しようということになったんです。

編集部
 そして4日間、集まった市民によってゲート前は封鎖され、米兵はその間、基地への出入りさえできなかった。これは前例のないことですよね。

山城
 そうですね。ただ、そうした「直接行動」自体は、決して初めてのことではありません。沖縄の大衆運動の性格として、沖縄防衛局など「相手側」も強硬な手段を取ってくることが多いので、それに対抗する側も勢いそうせざるを得ないという面もあります。座り込みのような直接的な形での「闘い」は、ずっと続いてきているんです。

 例えば、昨年末から年始にかけては、普天間基地の名護市辺野古への移設に向けた環境影響評価書の運び込みを阻止するために、県庁で座り込み行動をやりました。先ほど触れた高江のヘリパッド工事についても、資材などを搬入するトラックの前で座り込みをし、作業員の前に立ちはだかって、押し合いへしあいしながら工事を阻止しました。もちろん反対意見もあったけれど、現実に山を切り開いて工事を開始しようとする人たちに対して、ただおとなしく立って「反対」と叫ぶだけでは止められない、という思いがあったんです。

 さらに、その前には2004年から始まった、辺野古での那覇防衛施設局のボーリング調査阻止行動もありました。調査のために組まれたやぐらに人々がよじ登り、ときには暗い、冷たい海に飛び込んで、作業をさせまいとした。あの経験が高江の、そして普天間での行動に脈々とつながっているんだと思います。

編集部
 しかしそうした行動は、沖縄県外ではほとんど報道されないという事実もあります。普天間基地の封鎖行動についても、あれだけの行動でありながら、「本土」のマスメディアではほとんどニュースになりませんでした。沖縄県内メディアの報道を見て、その違いに驚かされることがあります。

山城
 そう。もちろん意識的にでしょうが、沖縄の反基地運動は県外ではほとんど報道されない。非常な温度差があるんです。

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※コメントは承認制です。
山城博治さんに聞いた 国策の「アメとムチ」に翻弄されてきた沖縄」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    3月末にお話を伺った直後、記事中にも出てくる「辺野古の埋め立て申請書」は、
    またしても「だまし討ち」のような形で提出されました。
    高江では今も座り込みが続き、オスプレイは我が物顔に空を飛び回る。
    7月には、オスプレイの普天間への追加配備に加え、嘉手納への配備も計画されています。
    人々の声を顧みることなく、繰り返される「国策の押しつけ」。
    安倍首相が、自民党が「取り戻す」と叫ぶ「日本」に、
    沖縄は(そして福島も)含まれているのか。
    それは、私たち一人ひとりに突きつけられている問いでもあります。

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