この人に聞きたい

今年の夏、沖縄戦での集団自決に関する記述をめぐる教科書検定の問題が、大きな議論を呼び起こしました。このとき、文科省が「軍の強制」の記述を削除する根拠として挙げたのが、『沖縄戦と民衆』という1冊の本。その著者である林博史さんにお話を伺いました。

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林博史(はやし・ひろふみ)
1955年生まれ。関東学院大学経済学部教授。平和研究・戦争研究・現代史を専門とする。『沖縄戦と民衆』(大月書店)で第30回伊波普猷賞受賞。その他の著書に『裁かれた戦争犯罪-イギリスの対日戦犯裁判』(岩波書店)、『BC級戦犯裁判』(岩波新書)、『シンガポール華僑粛清』(高文研)などがある
教科書検定制度の「詐欺」

編集部
 今年3月、文部科学省による教科書検定において、来年度から使用される高校日本史教科書の中の「沖縄戦での“集団自決”には日本軍の強制があった」という記述に、「実態を誤解させる恐れがある」として修正を求める検定意見が付されたことが明らかになりました。しかし、沖縄での「9・29県民集会」をはじめ、各地で批判の声が高まったことから、文科省は「(批判の声に)真摯に対応したい」と方針を転換。これを受けて、教科書会社からの訂正申請が相次いでいます。
 この検定において、文科省が訂正の「根拠」として持ち出したのが、林さんの著書『沖縄戦と民衆』でした。しかし、通読すればすぐわかるように、林さんはこの中で、「日本軍による強制」を否定しているのではなく、むしろ多数の証言からその強制性を明らかにしようとされているんですね。


 そのとおりです。たしかにその本の中には、集団自決のその場において、「今自決せよ」といった直接的な命令はしていないだろう、という表現はあります。文科省は、そこだけを取り上げて「この本の中でも強制は否定されている、だから記述を変えろ」と言ったわけですね。本の結論では、集団自決は日本軍の強制と誘導によっておこったんだと何度も強調しているのに、それを無視してある一文だけを取り上げるのは、まさに詐欺としか言いようがない。

編集部
 しかし、それが「おかしい」ということは、一度でも『沖縄戦と民衆』を読めばわかるのに、なぜ教科書の執筆者たちは反論せずに訂正に応じたのか? というのが、最初にこの問題をめぐる報道に接したときの疑問だったのですが、実は文科省からの検定意見が出される際には、検討する時間もほとんど与えられず、その場で訂正内容を決めなくてはならないことになっているそうですね。


 私も現場にいたわけではないので、執筆者から聞いた話ですが。昨年12月に文科省に呼ばれて、検定意見を見せられ説明をうけた。そして、それに対してどう書き換えるのかを、文科省の会議室にいる間、2時間以内に決めないといけなかったのだそうです。
 実は、1989年以前は検定意見を持ち帰って、調べた上で資料を持ち出したりしてやりとりをすることができたんです。それがこの年に制度が改悪された。文科省が持ち出した「根拠」が本当かどうかを確認することもできないまま、会議室の中で判断しないといけないというんだから、本当にめちゃくちゃですよね(笑)。
 それで今回、執筆者のひとりが帰ってから私の本を取り出して読んでみたら、「そんなことない、ちゃんと強制って書いてあるじゃないか」ということになったわけです。

問題は「命令があったかどうか」ではない

編集部
 その「詐欺」的なやり方だけではなく、文科省が出してきた検定意見そのものが論理的に破綻している、とも指摘されていますね。


 検定意見では、「集団自決しろという命令は出されていない」から書き換えろ、ということになっていますね。でも、教科書の記述は、日本軍によって「集団自決を強いられた」とか、「集団自決に追いやられた」というものであって、「軍命令に従って」なんていうことは、最初からどこにもないんです。
 たとえば、座間味島での集団自決において、部隊長が「自決しろ」という命令を出していないと自ら主張しているようなことは、少なくとも20年以上前にはもうわかっていた。沖縄戦の研究者は、その上で研究を続けているんですね。「自決しろ」という命令がなかったからといって、強制があったということを否定する理由にはならないからです。

編集部
 命令そのものではないところに「強制」があったと?


 だって、何も下地がないところにいきなり軍人が「おまえたち、自決しろ」と言ったって、みんな聞くわけがない。つまり、「いざという場合には自決するんだ」と人々に思い込ませるようなことが、日本軍が来てから何ヶ月もかけて準備されていたんだということです。客観的に見れば、米軍が上陸してきたからといって、住民が死ぬ必要なんてまったくない。米軍は保護するつもりで来ているわけだから、生きることはできるんだけれど、その選択肢があることを認識できないようにするわけです。中には、渡嘉敷島や座間味島のように、軍から「手榴弾を渡された」というケースもありますが、そこで「自決しなさい」と言われなかったとしても、黙って手榴弾を渡すということが何を意味するのかは明らかですよね。

編集部
 まさに、無言の強制ですね。


 行政だとか教育、個々の日本軍将兵による言動も含めて、当時の戦時体制の中で、人々は(米軍がやってきたら)「死ぬしかない」と思い込まされた。そうして自決に追いやられた。これまでの沖縄戦についての研究が明らかにしてきたのは、そういうことなんです。
 だから、「今自決しなさい」という軍命があったかどうかというのは、実はそれほど大きな問題ではない。しかし、今回の検定意見は部隊長の命令が「なかった」ということだけを問題にして、それで日本軍の強制を全部否定している。ある部分だけの間違いを取り出して、全部が嘘だというこのやり方は、「新しい歴史教科書をつくる会」の論理そのものです。それをそのまま文科省が検定意見に採用しているんですね。

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林博史さんに聞いた(その1) 沖縄戦・集団自決問題の真相」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    戦争は「するべきではない」のではなくて、「できない」もの。
    「軍隊を持たない」=理想主義、との図式こそが、
    もはや時代遅れだというべきなのかもしれません。
    次回は、沖縄戦や従軍慰安婦問題など、林さんが
    現在の研究テーマに取り組まれるようになったきっかけについてお聞きします。

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