三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記

沖縄・普天間基地へのオスプレイ配備をめぐる抵抗運動の様子や、新たな米軍基地建設計画が進む沖縄本島北部・東村高江の住民たちの闘いを描いたドキュメンタリー映画『標的の村』を撮影した三上智恵さん。辺野古や高江の 現状を引き続き記録するべく、今も現場でカメラを回し続けています。その三上さんが、本土メディアが伝えない「今、何が沖縄で起こっているのか」をレポートしてくれる連載コラムです。毎週連載でお届けします。

第24回

まーからワジーが!~どこから怒っていいのかわからない安保法制のズレた議論

 「安保法制議論の真っ只中ですが、沖縄からの意見を」
 先週、大手新聞社から電話をもらったとき、いっぺんに10個くらいの文章が出そうになって逆に絶句した。どこから話していいかわからない。「まーから(どこから)ワジーが(怒ろうか)!」という言い方が沖縄にあるが「どこから噛みついていいのか、全部おかしいからもうわからん」という意味だ。

 「早く質問しろ」と野次った。指名してないのにしゃべった。そんなの、どうでもいい。記者の方はそのあたりのレベルの低さに喝を入れてほしかったようだが、学級会の進め方が悪いという次元の話にすり替えてはならない。安保法制の中身の議論が面白く報道できないからと言ってそんな本筋じゃないところに噛みついて何か物申した気になるくらいなら、「わからなければついて来る奴だけついて来い、これは大事なニュースだ」と真っ向から勝負してくれたほうがよっぽどいい。
 集団的自衛権の行使を決定づけるこの法の整備が終われば、日本は本当に引き返せないところに突入する。自衛隊のリスクが増すかどうかなんて、のらりくらりと同じ議論がきょうも続いていたが、危なくなるのは自衛隊員の命だけではない。激しくズレた議論にめまいがする。なぜ、本質論を議論しないのか。
 はっきり言う。危ないのは私たち国民一人ひとりの命だ。

 アメリカの戦争に切れ目なく、シームレスに協力するということは、敵から見れば一体になって自分たちに襲い掛かってくるのと全く同じだ。相手国は日米両軍に対して死闘を挑むしかない。後方支援ならリスクは低いとか、現に戦闘が行われていない地域なら可能とか、笑わせないでほしい。武器や食料の補給路を断つのは戦争の初歩だ。アメリカの武力攻撃を支持し、武器を持って現場に駆け付けた集団は、日本人がどう呼ぼうとそれは軍隊であり、殺される側からしたら、どんな手を使ってでも殺したい相手になる。
 それは現地に派遣された自衛隊員だけではない。憎悪と復讐の対象は「日本人」であり、間違いなくテロのターゲットになる。第二、第三の後藤さんを生んでしまうだろう。そしてアメリカ軍とともに日本の軍隊が出撃していく日本の基地、空港や港は攻撃対象になるだろう。日本の国土が標的になるのは避けられないという話を、まさに今しているのだ。

 南の島のニュースキャスター風情が何を解ったように…脅かすもんじゃない、といぶかしく思う方も多いだろう。なんと思われてもいい。もともと高性能な頭脳も持ち合わせちゃいないが、それでも20年も毎日沖縄から基地問題を伝え、アメリカ軍の動向を間近に見て、そして毎年飽きずに沖縄戦の特集・特番を作り続けてきたからこそ、見えてくるものもあるのだ。
 あの沖縄戦と今。この島々が戦場になるのをなぜ止められなかったのか、当時と今を照らし合わせていくと、怖いくらいに一つひとつの「解」が、この10年でそこここに見えてきている。こうやってだまされるのか。こうやって軍隊を受け入れたのか。防御と言って安心させて真っ先に攻撃される防波堤の島が、また同じ運命を押し付けられようとしている道筋がはっきり見える。東京にいたらわからなかっただろう。でも沖縄は、戦争という手段を正当化しようとする勢力の最前線であり、逆にそれを止めるための闘いを続けてきた日本の最前線でもあるのだ。その断面が日本で最もあからさまに見える場所なのだ。

 政府は実にカムフラージュがうまい。この数日も国会の議論は「ホルムズ海峡が封鎖されたら」という例題に拘泥しているが、集団的自衛権行使の本丸は中国をにらんだ日米の南西諸島防衛作戦だ。その舞台にされることをずっと心配してきた私たちからすれば、今の議論は目くらましにしか見えない。ほとんどの日本人にはピンとこないホルムズ海峡の話。でもみんなに関わる原油の危機。うん、そりゃ確かに大変だ。けどよくわからない。邦人救出のケースと言われれば、武器も持って行ってほしいような―。巧妙に設定されたモデルケースの数々、机上の議論に時間が消えていく。興味も危機感も霧散してしまう。

 5年前に策定された新防衛計画大綱で中国の脅威と南西諸島の防衛強化が打ち出され、安倍政権になってからは加速度的に配備増強が進んでいる。そのころから、「尖閣諸島周辺海域に中国の公船が出入りした」というニュースを私たちが読むごとに、億単位で防衛費が積み上がるような、きな臭い感覚さえしていた。もはや日本国民は「尖閣情勢」といえば軍備増強に抵抗しない。そこだとばかりに防衛省はただの輸送機であるオスプレイ導入の理由にまで「尖閣」と書いてきた。 
 しかし、すべてがあの無人島を巡るバトルのためであるはずはない。これも私に言わせればカムフラージュだ。ここ数年、米軍が自衛隊と緊密な訓練を展開しているAir-Sea Battle(エアシーバトル)構想では石垣島、宮古島、沖縄本島と奄美に「地対艦ミサイル」と自衛隊を配備する前提だ。何のためか。それは、アメリカと中国が緊張関係にある中で、まず台湾有事などにかこつけて中国の艦隊が動くという想定のもと、琉球弧のどこかを突破してくるのを防ぐためだ。島々に地対艦ミサイルがあれば、めったなことで中国も動くまいということだ。
 ところがそれでも中国が動くとなれば、どうするだろう。撃ち込まれる前にまずミサイル基地を爆破するだろう。そして配備されている自衛隊の部隊を殲滅するために、そこで初めて島に上陸される。私たち県民が生活する島が、また戦場になるというわけだ。
 そこで、自衛隊が今盛んに行っている島嶼奪還訓練、なるものが活かされるのだろう。勇ましい広報VTRもネット上にあるが、敵に上陸された島に乗り込み、けが人を救い、敵を倒して島を奪い返す想定の場所は、ミサイルとその部隊が置かれる宮古島や石垣島であって尖閣ではないのだ。

 今日の国会の審議の中で中谷防衛相が自衛隊の軍備について答えていた内容は恐ろしいものだった。いつの間にか増えた潜水艦、新型ステルス戦闘機F35は来年42機の配備が決まっている。オスプレイも17機購入。しかもジェイダムやAGM158など、空対地ミサイルも導入すると聞いて目の前が暗くなった。「ステルス性の長距離爆弾で他国を攻撃するのではないか」という野党からの質問に対しては「あくまで自衛目的なので」と否定したが、ならばこうだ。例えば宮古島のミサイル部隊を制圧するために上陸した中国軍を空から襲い島を奪還するという想定なのだろう。空対地のミサイルだ。防衛に使うのなら、上陸した敵を撃つしか考えられない。今ほかに日本のどこに敵の軍隊の上陸が想定されているか。
 いやいや、ちょっと待ってほしい。宮古島には大勢の県民が住んでいる。砲弾が飛び交った後、中国軍が上陸してきたうえに、空から日本のミサイルを降らされるのか? またも二つの軍隊に挟まれて阿鼻叫喚の地獄を演じろというのか? 訓練上の想定とはいえこんなストーリーはまっぴらごめんだ。そもそもの始まりは「睨みを利かす」ために「地対艦ミサイル」を置いたことだった。だからこそ、与那国の自衛隊配備も、宮古・石垣のミサイル部隊も、絶対においてはならないと、私はずっとそういってきた。放送局員のころから警鐘を鳴らしてきた。が、先月、ついに「宮古・石垣に陸上自衛隊のミサイル部隊常駐」という文字が沖縄の新聞の一面を飾った。上記のストーリーが私の誇大妄想ではなくなりつつあるのだ。この焦りの一端が少しは解っていただけただろうか。

 アメリカ軍は、あからさまに中国に向けたミサイル部隊を宮古・石垣に配置できないからこそ、日本の中国敵視を利用して「自衛」の軍隊を日本人においてもらう。いや、それが抑止だと政治家は得意げに言うかもしれない。でもそれは、自分たちは戦場に行かないと120%思う人間の言うことだと、沖縄戦を生き延びた文子おばあは憤る。70年前の政治家が決めた無責任な国防戦略の中で、煮え湯ならぬ、血の水を飲んだ本人の言葉だ。ピンと来てない人に聞かせたいので、今回の動画は安保法制論議に苛立つ文子さんの言葉を短く編集した。

 最初に書いた通り、戦争を正当化する論理が息を吹き返し暴れだした沖縄で、その息の根を止めようと基地建設阻止の座り込みは続いている。辺野古の基地は、日本のお金で造る初めての日米両軍の出撃基地になる。弾薬庫と軍港と滑走路が揃う最も重宝な基地になるのだが、ここからどこの国に出て行っても、もはやそれはアメリカの戦争ではない。返す刀で攻撃対象になるのは大浦湾だけでは済まないはずだ。だから造らせてはいけないのだ。

 中国の脅威ばかり強調し恐怖感をあおる団体が増えたが、いま中国が日本に直接戦争を仕掛けてくる要素は見当たらないと思う。そうではなく、今後長期的に続くアメリカと中国のつば競り合いの中で、中国の艦隊が不審な動きをしたとしてアメリカが騒いだとき、それが私は怖い。「中国が攻めてくる」と集団的自衛権の行使で日本の自衛隊のミサイルが飛ぶ。そして上記の悲劇にはまっていく。それが最悪のシナリオであり、集団的自衛権行使が最も具体的に想定されているケースではないのか。

 アメリカは中国とのパワーバランスの中で、今後避けられないであろう小競り合いを想定している。たとえ何か勃発しても、局地的な戦闘に抑え込みつつ、その間に国連や国際的な包囲網で全面戦争を避けるという考えだ。アメリカ本土ではない場所の小競り合いで済むなら、彼らにとってはいいアイディアだろう。しかし想定された局地的な戦場は、この南西諸島であり、日本列島もその防衛ラインに入っているのだ。私たちはアメリカと中国の決闘場としてこの国土を差し出すつもりがあるのか。アメリカの「安全保障体制」と私たちの国の安全保障は、とてもじゃないが切り離して真剣に議論しないと大変なことになる。

 繰り返すが、集団的自衛権を行使するなら、この国を戦場にする覚悟が必要だ。そんな話には全く聞こえてこない安保法制の議論に、それこそどこから怒っていいのかわからない。

 

  

※コメントは承認制です。
第24回 まーからワジーが!~どこから怒っていいのかわからない安保法制のズレた議論」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    「沖縄にいると、世界の動きに敏感になるんだよ」と、以前沖縄で乗ったタクシー運転手さんが話してくれました。それだけ政治に翻弄されてきた場所だという意味です。沖縄からみた安保法制はぞっとするほどの現実感があります。野党には、与党の言葉遊びにのることなく、安保法制が目指す本音のところをしっかり追及してほしいと思います。そして、あらためて、文子おばあのように実際の戦争を体験した人の言葉に、もっと私たちは耳を傾けないといけないと思いました。

  2. クボタ より:

    安保法制が変な論争だったり、ありえもしない想定だったりあきれることが多いです。
    でもあきれるだけではなにもすすまないのですね。
    日本政府に対話の糸口を切らさず、アメリカや国際社会に働きかける知事ですが、
    中国にも領海侵犯しないよう求める必要はないでしょうか?
    知事は言いにくいかもしれませんが、基地の必要性を増大させる元になっていると思います。

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三上智恵

三上智恵(みかみ・ちえ): ジャーナリスト、映画監督/東京生まれ。大学卒業後の1987年、毎日放送にアナウンサーとして入社。95年、琉球朝日放送(QAB)の開局と共に沖縄に移り住む。夕方のローカルワイドニュース「ステーションQ」のメインキャスターを務めながら、「海にすわる〜沖縄・辺野古 反基地600日の闘い」「1945〜島は戦場だった オキナワ365日」「英霊か犬死か〜沖縄から問う靖国裁判」など多数の番組を制作。2010年には、女性放送者懇談会 放送ウーマン賞を受賞。初監督映画『標的の村~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』は、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、キネマ旬報文化映画部門1位、山形国際ドキュメンタリー映画祭監督協会賞・市民賞ダブル受賞など17の賞を獲得。現在も全国での自主上映会が続く。15年には辺野古新基地建設に反対する人々の闘いを追った映画『戦場ぬ止み』を公開。ジャーナリスト、映画監督として活動するほか、沖縄国際大学で非常勤講師として沖縄民俗学を講じる。『戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り』(大月書店)を上梓。
(プロフィール写真/吉崎貴幸)

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