三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記

沖縄・普天間基地へのオスプレイ配備をめぐる抵抗運動の様子や、新たな米軍基地建設計画が進む沖縄本島北部・東村高江の住民たちの闘いを描いたドキュメンタリー映画『標的の村』を撮影した三上智恵さん。辺野古や高江の 現状を引き続き記録するべく、今も現場でカメラを回し続けています。その三上さんが、本土メディアが伝えない「今、何が沖縄で起こっているのか」をレポートしてくれる連載コラムです。毎週連載でお届けします。

第28回

墜落事故から11年、
ヘリが落ちた日の空は…

 「この基地が危ないままなのは、反対してるお前らのせいだ。またヘリ落としてやろうか?」

 そう言いながらわざと低空で飛んでるのかと思うほど、この日普天間基地の上空では過密な訓練が展開されていた。沖縄国際大学にヘリが墜落して11年になる8月13日。夕方5時半に集会が始まって日が傾いてからも、オスプレイを含む大型ヘリがまるでマイクの音を掻き消すかのように何度も頭上をかすめて離着陸を繰り返した。動画でご覧戴きたい。

 私は37歳で沖縄国際大学の大学院の門を叩いた。民俗学者になる夢は叶わなくても、遅まきながら沖縄の民俗学をきちんと修めたいと、夕方のニュースを終えてから毎日バスに飛び乗って宜野湾市の大学に通った。すぐ隣にある普天間基地のヘリが大学の校舎をバリバリと破壊しながら墜落したのは、卒業してまもなくの夏だった。8月13日。忘れもしない、私の誕生日でもあるこの日、友人と海に行く車中で速報が入り、リゾート服のまま踵を返して自分の大学に駆けつけた。いや、正確に言えば駆けつけられなかった。あちこちにテープが張られ、米兵が「OUT! OUT!」と繰り返し怒鳴るのでなかなか近寄れない。車を捨てて「報道だ!私の大学だ!」と抗議を続けなんとか近づいた現場は、まだもうもうと煙に包まれていてガソリンやゴムが燃えたような異臭が漂っていた。私は近くでその煙にさらされていたが、翌日、防護服を着けた兵士が現場に現れ、はっとした。数名でガイガーカウンターを持って事故現場の数値を計っていた。放射性物質が飛散していたのだ。毎日頭上を飛ぶヘリの機体にストロンチウムが使われていることなど初めて知った。知っていれば無防備なリゾート服で胸一杯に煙を吸い込みはしなかった。

 「こんな風に、住民はあっけなく危険にさらされるのか」今まで伝えてきたニュースが脳裏に甦る。いつも米軍だけが知っていて、沖縄県民は知らぬままに被害に遭ってきた。高江のベトナム村では枯葉剤の後始末を高江区民にさせた。劣化ウラン弾を撃ち込んだ鳥島の射爆場では、漁師達が知らずに漁をしていた。処分に困って土に埋めたダイオキシン、毒ガスや化学兵器の貯蔵も漏れ出して事件になって初めて知る。いずれも、米軍は当然知っているが住民に報告の義務はないのだ。

 結局のところ、ここは戦争に勝ったアメリカが戦利品として勝ち取った島なのだから、軍事拠点としてどう使おうがこっちの勝手だというのが彼らの本音。占領意識そのままに、今日に至っているのだ。沖縄戦を生き延びた島民を追い出しはしないが、彼らのルールや人権のために軍の行動が制限されるなんてとんでもないと。そして安保条約と地位協定が、日本国民の基本的人権を保障する憲法の上位に位置してそれを可能にしているのだから、日本政府も見て見ぬふりを決め込むだけ。今の日本で米軍基地と共に生きるというのは、これ程に危険で惨めなことなのだ。いくらパートナーシップとか隣人、トモダチ作戦とか呼んでみても、不平等な土台の上に対等な関係性が存在するはずがない。米軍が東日本大震災で力になってくれた事実を否定はしない。しかし米軍内部では、あれが放射能汚染された敵国から仲間を救い出すための実地訓練と位置づけられていたと聞いて、原爆の後にすかさず現地に入ってきたアメリカの調査団とダブってしまった。そもそも軍隊という組織が友情や愛情をもつなんてあり得ない事だった。

 毎年、ヘリが落ちた8月13日は各地で集会やシンポジウムが開かれる。今年は緊迫する辺野古情勢を睨みつつ、あれから11年、当時は姿もなかったオスプレイ24機が加わって益々危険になるばかりの普天間基地の即時無条件撤去を訴えてデモ行進をした。
 辺野古から島袋文子おばあも駆けつけた。辺野古区民であるおばあにとっては、辺野古に作らせてはいけないというのは、決して普天間基地が今のままでいいという意味ではないという苦しさがあるのだ。だから炎天下、宜野湾の皆さんと連帯したい、共になくしていきましょうというメッセージを送りたかったのだろう。車イスで3キロ近い道のりを共に進んでいった。

 おばあの覚悟。参加した県民の堅い決意。空に突き上げたその拳をあざ笑うかのようなヘリの低空飛行。デモに絡む右翼団体の大音量のアピール…。
 声をからし、汗を流して沖縄の必死の抵抗は続く。政府は「普天間を返して欲しいなら辺野古を完成させなさい」と他国が奪った土地を人質に、涼しい場所から沖縄を脅し続けている。

 

  

※コメントは承認制です。
第28回 墜落事故から11年、ヘリが落ちた日の空は…」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    きれいごとの影にある「本音」を、沖縄の人たちはずっと肌で感じてきたのだと思います。8月13日の事故と住民を無視するかのような米軍の対応は、これまで続いてきた理不尽さのひとつであり、事態はいっこうに改善されていません。最初はその危険性が騒がれたオスプレイも、配備されたが最後、日米合意を無視した「違反飛行」が繰り返されています。そのオスプレイ、今度は東京にも配備される予定ですが、都民の関心は低いままです。詳しくは、小石勝朗さんの「法浪記」に書かれていますので、あわせてご覧ください。

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三上智恵

三上智恵(みかみ・ちえ): ジャーナリスト、映画監督/東京生まれ。大学卒業後の1987年、毎日放送にアナウンサーとして入社。95年、琉球朝日放送(QAB)の開局と共に沖縄に移り住む。夕方のローカルワイドニュース「ステーションQ」のメインキャスターを務めながら、「海にすわる〜沖縄・辺野古 反基地600日の闘い」「1945〜島は戦場だった オキナワ365日」「英霊か犬死か〜沖縄から問う靖国裁判」など多数の番組を制作。2010年には、女性放送者懇談会 放送ウーマン賞を受賞。初監督映画『標的の村~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』は、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、キネマ旬報文化映画部門1位、山形国際ドキュメンタリー映画祭監督協会賞・市民賞ダブル受賞など17の賞を獲得。現在も全国での自主上映会が続く。15年には辺野古新基地建設に反対する人々の闘いを追った映画『戦場ぬ止み』を公開。ジャーナリスト、映画監督として活動するほか、沖縄国際大学で非常勤講師として沖縄民俗学を講じる。『戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り』(大月書店)を上梓。
(プロフィール写真/吉崎貴幸)

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