三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記

沖縄・普天間基地へのオスプレイ配備をめぐる抵抗運動の様子や、新たな米軍基地建設計画が進む沖縄本島北部・東村高江の住民たちの闘いを描いたドキュメンタリー映画『標的の村』を撮影した三上智恵さん。辺野古や高江の 現状を引き続き記録するべく、今も現場でカメラを回し続けています。その三上さんが、本土メディアが伝えない「今、何が沖縄で起こっているのか」をレポートしてくれる連載コラムです。不定期連載でお届けします。

第40回

「宜野湾市長選挙で頑張りすぎた友人への手紙」

あーちゃん
せつない
せつな過ぎるね
やってられないよね

普天間の負担は重すぎる
70年も、長すぎる
みんな、誰もが、今度こそ終わらせようと思ったんだ
毎日大型ヘリの下でびくびくしながら暮らす
そんな運命を子ども達に丸投げできないって
現職候補に投票した宜野湾市民も
新人候補に投票した宜野湾市民も
何をしても変わらないと諦めて 棄権した人でさえも
今回はその思いは一緒だったはず

宜野湾市で子育てをするあーちゃんも
この前まで政治活動なんて全然無縁だったのに
今回は幼い息子を抱えながらも必死で
「ママたちの会」をたちあげて
横断幕・ビラ配り・街宣・ウグイス
志村候補との「シムランチ」とか
山本太郎さんとの勉強会とか
企画も運営も、できることは何でもやっていた
軽やかに飛び回っていた

投票から一週間経つけど
「あれから牛のように身体が重くて動けない」
というあーちゃん
無理もないよ
燃え尽き症候群なんて言葉
まさにこんな時にぴったりだよね
あんなに頑張ったあとだからさ
新しい沖縄を目指していた、あの激動の日々の

それなのに、自公が推す現職が大勝利した上
「実態はオール沖縄ではない」なんて
得意げに菅官房長官にいわれてさ
ホントにやってられないよね
「辺野古移設にはずみがつく」なんて、冗談じゃない

現職候補は終始「普天間基地をなくす」とだけ強調した
「県内移設やむなし」とも「辺野古容認」とも
全く言ってないんだから
一刻も早く普天間を返還してほしいという気持ちは
両候補、全宜野湾市民、全県民、みんな一緒だった
その一点ではまさに「オール沖縄」なのにね

ではどうやってなくすか?

A.政府にすり寄って、頼み倒してなくす
B.正面からぶつかって、基地押しつけの国策を変えてもらう

どっちが早いの?
どっちが正しいの?
でも、正しい方は、動かなかったじゃない20年も
正しい方は、しんどいじゃない
闘うなんて、もうたくさん
この子ども達の未来のために
少しずつでも返してもらおうよ
このまま永久にあるなんて、頭がおかしくなりそう
結局、宜野湾だけが我慢することになりそう

そう思ったお母さんたちがいても
あたりまえだよね
だいたい、もううんざりだし
辺野古に造っていいとは全く思わないけど
そこまで宜野湾市民が考えること?
「いらない」だけ言ってもいいんじゃないの?
反対運動の舞台にされ続けるのは疲れたよ
選挙の度に全国から知らない人がたくさん入ってきて
私たちの宜野湾市って、あなたたちのなに?
イラついちゃうよね

でもそういう人たちにも、あーちゃんは
丁寧に、丁寧に説明をしていた
未来の希望を語って歩いていた
あなたは言った

「20年翻弄され、待たされた私たち宜野湾市民。
そして住民投票をして基地を拒否したはずなのに、
それから20年苦しみ続けた名護市民。
こういう形で県民を二分する政治ってどうなんだろう?
今度こそ新しい沖縄を作ろうと思ったんです。
宜野湾市民と名護市民が同じ気持ちになったら、
今度こそこの問題を終わらせられると思うから」

でも、毎回重いよね ひとつの市の選挙で問うテーマじゃないですね、というと

「本当に重い。重すぎる。
でも、沖縄県知事って全国一大変な知事だと思う。
日本政府に物申して、アメリカにも物申して、
身体を張って。私たち沖縄県民が支えないととてもじゃないけどね。
だからこの島に住む人たちの宿命かな。
民主主義を諦めないというのが」

あーちゃん
諦めないと言ってたけど、へこたれるよね
雑草のように、っていっても起き上がれないときもある
落選したあとの事務所っていたたまれないよね
でもみんなが足早に帰っていくその中で
シールズの愛ちゃん、見てくれた?
そこで踏ん張って、涙目で、やり場のない思いを話してくれたよ

「くやしい。腹立たしい気持ちもある。
宜野湾市民に問いたいのは、“宜野湾が一番”でいいのか。
それだけでいいのか。
もちろん、宜野湾市民の選挙なんですが、
どんな意味を持っていたのか。
これで沖縄がどういう雰囲気になっていくのか」

なんてまっすぐなんだろう
同じく基地を抱えるうるま市に育ち ジェット機が堕ちた宮森小学校に通い
名護市の大学で学ぶ愛ちゃんの、この選挙にかけた思い 
同じ世代を揺り起こそうと仲間と走ってた姿を見てるからこそ
ストレートな苛立ちが胸に刺さるね
私たちミドルズが、疲れてる場合じゃないって思える

でもやっぱり一番胸に刺さったのは
肩を落としたヒロジさんの姿だったよ
ビデオの中では、みんなを鼓舞しているけど
暗闇の中、仮眠テントにむかうヒロジさんは
疲労感が激しくて、誰も声もかけられなかったって

それでも、「一番ショックを受けているのは宜野湾の仲間たちだ」と
言っていたよ
あーちゃんたちのことだよ
あれだけ宜野湾市民としての責任を感じて走り回って
この結果だったらどれだけ立ち直れないだろうと
現場が落ち込んでる場合じゃないと
とても心配していたよ
いつも、周りが救われるような言葉を言ってくれるリーダーだよね

そして「宜野湾市民の痛ましい思い」
という言葉を使ってた

なぜ宜野湾だけが70年も背負うんだという
宜野湾市民の苛立ち
それは沖縄だけがなんで70年も、と全国に苛立つのと同じ構図
かといって、同じ県民に
「宜野湾の重荷を名護市民がしばらくは担いでくれ」という話に
なるのかならないのか
ヒロジさんはそう問いかけた

ヒロジさんも愛ちゃんと同じうるま市で生まれ
基地だらけの沖縄本島中部で育った青年時代に
学校を退学になるまで反戦平和運動をやってきた

前に、あーちゃんのお父さんも頑張った人だったと話してくれたよね
学生運動にのめり込んで 渡航証まで取り上げられても復帰を望んだ
なのに、求めていた民主主義も憲法も、与えられなかった
あの復帰運動は何だったのだろう、とお父さんは疲れてしまったんだと
そして今回は、あーちゃんも少し、疲れちゃったんだよね

でもさ、あーちゃん
初めて辺野古のゲートに来たその日、
その場で一人でトラックの前に寝転んだあなたを見たとき
お父さんの血だな、と思ったよ びっくりした
すごい勇気、というか
勇気だけではできない、なにかを感じたよ
お父さんの理想も、挫折も、流した汗も涙も
マグマとなって娘の中に脈々と受け継がれていくんだね
今まで休火山だっただけなんだね、あーちゃん

おばあや
お父さんや
ヒロジさん
そして私たち母親世代
その次に母親になっていく愛ちゃんたち
その中に脈々と流れてきたエネルギー
誰かが疲れても 休んでも
たくさんの命を経由してきたマグマは
いつかは島を覆う暗雲を吹き飛ばし
命を軽んじる人間の業を
焼き尽くすのだろう

そんな大きな大きな流れの中で見たら
たった一回の選挙だよ、あーちゃん
これからどれだけ「負けられない選挙」が待ち受けてるか
沖縄だよ 宿命でしょ?
選挙があったからこそ、ママたちの声を街角で叫べた
届いた人、心動いた人、たーくさん、いたと思う
「いい試練が与えられました」、とヒロジさんは表現した
さすがだねえ、年季が違うね

私たちも白髪になっても
「一喜一憂しない」「これは試練です」なんて
さらっといえるおばあになりたいね
かっこいいさ!
まだ道のりは長い 確実に近づいてはいるけど(汗)

あーちゃんに、少しでも早く元気になって欲しい
そう思いながら今回は編集しました
だから動画も見てね
みんな、心配しています

みかみちえより

 

  

※コメントは承認制です。
第40回「宜野湾市長選挙で頑張りすぎた友人への手紙」」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    民主主義を取り戻すことは、こんなにも大変で、苦しいことなのか…と動画に映る表情につらくなります。三上さんが書かれているように、宜野湾市長選挙で現職候補は「辺野古容認」とはあえて言いませんでした。この選挙結果から、県外にいる私たちが、そして政治家が、いちばん耳を傾けなくてはいけないのは、「もう自分たちの町に基地は要らない」という人々の声のはずです。

  2. 岩村利一 より:

    「あなたがどれほど人生に絶望したとしても、人生があなたに絶望することは決してない」(ビクトール・フランクル) 1609年の薩摩の琉球侵攻以来、400年にわたる従属と屈辱の歴史の中で、この悲しみは、一つの通過点。これで挫けたら、戦い続けてきた先人たちも悲しみます。彼らもきっと応援してくれているはず。悲しみで、時の流れを止めるのは一瞬にしましょう。どれだけ多くの仲間が、沖縄だけでなく、日本全国から応援してくれていたか、もう一度思い出しましょう。ぐずぐずしていたら、相手に追いつけなくなります。悲しみも、喜びも、少し先延ばしにして、もう一度、上を向いて立ち上がりましょう。決して独りではないのだから。♬ You never walk alone.♬

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三上智恵

三上智恵(みかみ・ちえ): ジャーナリスト、映画監督/東京生まれ。大学卒業後の1987年、毎日放送にアナウンサーとして入社。95年、琉球朝日放送(QAB)の開局と共に沖縄に移り住む。夕方のローカルワイドニュース「ステーションQ」のメインキャスターを務めながら、「海にすわる〜沖縄・辺野古 反基地600日の闘い」「1945〜島は戦場だった オキナワ365日」「英霊か犬死か〜沖縄から問う靖国裁判」など多数の番組を制作。2010年には、女性放送者懇談会 放送ウーマン賞を受賞。初監督映画『標的の村~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』は、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、キネマ旬報文化映画部門1位、山形国際ドキュメンタリー映画祭監督協会賞・市民賞ダブル受賞など17の賞を獲得。現在も全国での自主上映会が続く。15年には辺野古新基地建設に反対する人々の闘いを追った映画『戦場ぬ止み』を公開。ジャーナリスト、映画監督として活動するほか、沖縄国際大学で非常勤講師として沖縄民俗学を講じる。『戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り』(大月書店)を上梓。
(プロフィール写真/吉崎貴幸)

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