わたしたちの日韓

歴史認識をめぐる論争、ヘイトスピーチの蔓延…
近年で最悪ともいわれる状況を迎えている日韓関係。
けれど、こんなときだからこそ、
国境を越えた「わたしたちの日韓」という視点が必要だーー。
在日コリアン3世のルポライター、姜誠さんはそう語ります。
対立する二つの国の国民同士ではなく、
「日韓」という一つの地域に暮らす住民として、
この地域に、お互いの国に、どう平和を築いていくのか。
連載を通じて、じっくり考えていきたいと思います。

第4回

「世界遺産登録問題」その後の展開から

注目される韓国の妥協案

 今回のコラムは慰安婦問題と並び、「日韓間の抜けないトゲ」となっている領土問題、竹島=独島問題について触れるつもりでした。
 ただ、コラム2回目に書いた「明治期の産業遺産」の世界遺産登録問題について、日韓間で注目すべき動きがあったので、予定を変えてこちらの件を書きたいと思います。
 日本が世界遺産登録を目指す23施設のうち、7施設で1940年代、朝鮮人らの強制労働があったことを理由に、韓国が登録に反対する姿勢を打ち出しました。
 これに、日本側は「申請の対象期間は明治期の1850年から1910年までであり、韓国の反対は遺憾」と反発し、日韓政府間のトラブルになっていたことは前々回のコラムでお伝えしました。
 その後、日韓間で話し合いが続いていたのですが、6月9日にあった第2回担当局長級協議で、韓国側が注目すべき提案をしたのです。
 詳細は明らかになっていませんが、韓国側は登録時に1910年以降の歴史の全容も反映されるのであれば、反対どころか、23施設すべての登録を祝福するとの考えを示したのです。
 5月25日時点で、ユネスコ世界遺産委員会の委員国21カ国のうち、日本の申請登録に賛意を示しているのはインド、ベトナムなど12カ国で、可決に必要な3分の2以上、14カ国の支持には届いていませんでした。
 ここで委員国でもある韓国が支持を表明すれば、態度未定だったドイツなど、他の7委員国も賛成に回る可能性が大です。
 わたしはこの韓国政府の提案はきわめて現実的で、日本政府も受け入れ可能な妥協案だと考えます。当初、23施設すべての登録申請に反対していたことを思えば、韓国側が外交的な譲歩をしたことは明らかです。
 また、韓国の妥協案を受け入れることで、日本はユネスコの諮問機関であるイコモス(国際記念物遺跡会議)が発した「申請資産の歴史の全容がわかるようにすることが望ましい」という追加勧告も履行できます。
 ここらあたりが日韓政府双方とも、ホコの収め時ではないでしょうか? そうでないと、いたずらに政府間のトラブルが政治問題化し、日韓に住む人々が和解と協働へと進む動き=「わたしたちの日韓」は実現しません。
 

ツートラック外交への模索

 
 韓国政府が「祝福する」との表現まで使って、一定の妥協に転じた背景にはさまざまな要因が考えられます。
 韓国内ではここ数ヶ月、「朴クネ政権の対日外交は硬直化している」との批判が高まっています。朝鮮日報や中央日報といった本来、朴クネ政権に好意的な保守系メディアまでもが、「日韓外交は歴史認識などの政治問題と、経済、安全保障問題を切り離して進めるべき」と社説やコラムで書きたて、政策の変更を迫るほどです。
 「日韓の不協和音をなくすことが、われわれの戦略的国益に合致する」(カート・キャンベル前国務次官補)と考えるアメリカから、対日関係の改善を強く促されている点も見逃せません。
 朴クネ政権はたび重なる内政の失政で、支持率をジリジリと下げています。「官災」と国民が皮肉ったセウォル号事件への対応、首相辞任にまで発展した与党幹部金銭スキャンダル、そして現在進行中のMERSコロナウイルス感染症へのずさんな初動などで、政権に対する国民の不満、不信は大きく膨らんでいます。
 そんな朴クネ政権にとって、国民にアピールできる唯一の実績が外交でした。つい最近も中国、ベトナム、ニュージーランドと相次いでFTA(自由貿易協定)を正式調印し、めざましい外交的成果があがったと宣伝に余念がありません。
 ただ、こと対日外交にいたっては3年間も首脳会談が開かれておらず、ほとんど成果らしい成果があがっていません。今月22日には日韓正常化50周年の節目を迎えます。それだけに、ここで多少でも日韓外交が進展したとのアピールをしたかったのでしょう。事実、朴クネ政権はここ数ヶ月、「対日外交は歴史問題と経済、安全保障問題などを切り放し、ツートラックで進めるべき」という世論を意識したのか、財務、外務、国防といった閣僚レベルの日韓会談に相次いで踏み切っています。今回の世界遺産登録問題で、韓国が示した妥協案もそうした動きのなかで出てきたものなのでしょう。
 

鈍い安倍政権の反応

 
 ただ、日本政府側の動きは鈍いままです。「あくまでも学術的な観点からの登録申請であり、(韓国は)政治的な判断は持ち込むべきではない」(菅義偉官房長官)との原則論から踏み出す様子は見えません。9日の第2回目協議でもこれまでの日本の立場を説明するだけで、協議は平行線に終わってしまいました。
 安倍政権はなぜ、遺産登録に1910年以降の歴史が反映されることをこれほど忌避するのでしょう?
 23施設のひとつ、三菱重工業長崎造船所のジャイアントカンチレバークレーンは明治期はおろか、その後の大正期、昭和期を生き抜き、平成時代のいまでも現役で稼動しています。登録の対象期間を1910年以前に区切ってしまうのでは、この歴史的建造物の全容はわかりません。
 韓国が当初、強制労働があったと反発した7施設のひとつ、長崎県の軍艦島の登録理由も厳密に考えれば、安倍政権の倫理は破綻しています。
 この島は1893年から始まった埋め立て工事で約3倍の面積になったのですが、その最後の工事、第6期埋め立てが終わったのは1931年のことです。軍艦島の象徴でもある日本最初の鉄筋高層アパート「30号棟」も完成したのは1916年でした。歴史をたどれば、軍艦島がいまの姿になったのは1910年以降のことなのです。 
 なのに、安倍政権はその史実も無視して、1910年以前の歴史のみで軍艦島を世界遺産に登録しようとしています。その願望の裏にあるものは何なのでしょう?
 思い浮かぶのは、5月下旬に開かれた国会での党首討論です。この席上、安倍首相は共産党の志位和夫委員長からポツダム宣言の認識を問われ、「つまびらかに読んでいない」と答えました。
 安倍首相は戦後レジュームからの脱却を掲げています。その首相が戦後レジュームの枠組みを作ったポツダム宣言を読んでいないなんてありえません。
 事実、6月2日には維新の党議員の質問趣意書に答える形で、「首相はポツダム宣言を読んでいる」との閣議決定を下しています。
 ポツダム宣言には旧日本軍の起こした戦争を侵略戦争と認定し、「日本国民を欺瞞し、世界征服の暴挙に出る過ちを犯させた者の権力と勢力は永久に除去する」(第6項)とあります。
 閣議決定された答弁書には「宣言文の正確な文言を手元に有しておらず、そのような状況で具体的な文言に関する議論となったため、つまびらかでないという趣旨を申し上げた」とありますが、どうにも信じられません。
 ポツダム宣言にある「過ちを犯させた者の権力と勢力」には、東京裁判でA級戦犯となった安倍首相の祖父、岸信介元首相も含まれます。過去に首相は「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と、国会で発言したこともあります。そうそう、自衛隊を「わが軍」と呼び、物議をかもしたこともありました。
 そんな首相にとって、大日本帝国に全面降伏を迫ったポツダム宣言は受け入れがたいものなのでしょう。しかし、それを認めてしまってはアメリカなどの戦勝国をはじめ、国際社会から猛烈な反発を受ける。
 だから、「つまびらかに読んでいない」ととぼけるほかなかった――。
 わたしはそう受けとめています。

ポツダム宣言を認めたくないのと同じ理由

 そう考えると、安倍政権が世界遺産登録にあたり、その対象期間を1910年以前に限定することにこだわる理由が見えてきます。
 本音ではポツダム宣言を認めたくないのと同様に、首相は遺産登録でも1910年以降の負の歴史を認めたくないのでしょう。だから、韓国側の妥協案にも柔軟に応じることができなくなっているのです。
 6月6日に都内で行われた憲法に関するパネルディスカッションで、石川健治東大教授は「まさに今、非立憲的な権力がわれわれの目の前に立ち現れている」と指摘しました。
 非立憲的権力とは憲法の制約を無視し、やりたい放題の権力のことです。いまの安倍政権の政治の進め方は立憲主義を否定しかねない危うさを孕んでおり、その異質さが日々に際立っています。
 そのイメージは外国メディアの報道などによって、海外にも広まりつつあります。それは長いスパンでは、日本の国益にとってよいことではありません。
 世界遺産登録にあたり、1910年以降の歴史を反映することに消極性を見せれば見せるほど、安倍政権は歴史修正主義や非立憲の政治権力とのマイナスイメージが世界に広がります。
 外交に100点満点の勝ちはありません。日韓の和解と協働を進めるために、長期的、未来的視点に立ち、妥協を政治決断する。そのことを安倍政権と朴クネ政権には望みたいと思います。

 

  

※コメントは承認制です。
第4回「世界遺産登録問題」その後の展開から」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    本来ならこれは、日韓共同で歴史的な史実を見つめ直す、またとない良い機会ではないでしょうか。多少今はがたついても「世界遺産登録」をめぐる一連の協議が良い方向に行くことを、心から願います。観光資源としても双方にメリットがあるのではないでしょうか。

  2. 上越妙高 より:

    姜先生の仰る通り確かに日韓の和解と協働を進めるために、未来志向に立つことは必要です。

    しかし、残念ながら韓国は国交正常化後「両国間の財産、請求権一切の完全かつ最終的
    な解決」をしたにも関わらず、まるで脅しのネタを小出しにして金品を巻き上げる暴力団
    の如く従軍慰安婦、戦時徴用工等の問題を次々と取り上げては謝罪と賠償を求め、
    かつ、我が国はそれに応じてきました。安倍首相が世界遺産登録で韓国側の妥協案に応じ
    ないのも少しでも隙を見せたら別の要求を出してくるかもしれないというメッセージなの
    かもしれません。(これは別に安倍首相の「暴走」でもなく国民の7割が「韓国を信頼し
    ていない」という世論の反映だと思います)

    あとポツダム宣言の件ですが、先の大戦では日韓は交戦国ではないのでこの点は些か強引に
    感じました。今後日韓間でいかに信頼醸成を築きあげるか先生のご意見が聞ければ幸いです。
    長々と失礼いたしました。

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姜誠

かん・そん:1957年山口県生まれ(在日コリアン三世)。ルポライター、コリア国際学園監事。1980年早稲田大学教育学部卒業。2002年サッカーワールドカップ外国人ボランティア共同世話人、定住外国人ボランティア円卓会議共同世話人、2004~05年度文化庁文化芸術アドバイザー(日韓交流担当)などを歴任。2003年『越境人たち 六月の祭り』で開高健ノンフィクション賞優秀賞受賞。主な著書に『竹島とナショナリズム』『5グラムの攻防戦』『パチンコと兵器とチマチョゴリ』『またがりビトのすすめ―「外国人」をやっていると見えること』など。TBSラジオ「荒川強啓 デイ・キャッチ!」にて韓国ニュースを担当。

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