時々お散歩日記

 180回目をもって、とりあえずおしまいにした「時々お散歩日記」だったけれど、強引な安倍政権による「集団的自衛権の閣議決定」に危機感を抱いた「マガジン9」編集部から、この件についてどうしても「何か書いてほしい」という要請があった。むろん、僕のはらわたも煮えくり返っていたので、承諾してしまった。
 というわけで、「時々お散歩日記・番外編」である。

 安倍は、アメリカとなんとしてでも対等になりたい、と考えているらしい。そして、安倍にとっての「対等」とは「一緒に戦争をする」ことらしい。そんな「戦争志向」の安倍を、欧米のマスメディアなどは「extreme right(極右)」扱いにしているのだが、なぜか日本のマスメディアだけは知らんぷりだ。きちんと「極右政権」と呼べばいいのに。

 安倍は「集団的自衛権」とか「集団安全保障」などと言葉をもてあそんではいるけれど、要は米軍に協力して自衛隊が実際の戦争に参加できる体制を作りたい、ということでしかない。そうすれば、アメリカと対等の立場に立てる(というより、もっと可愛がってもらえる)と信じ込んでいる。安倍の場合の「政教一致」か?
 一国の首相たるものが、そんな単純な発想で政治をいじくっていいのか、というのが大きな疑問なのだが、どうしてもそれ以外の安倍の“妄執”の理由が見つからない。他に考えようがない。安倍の視野に、アメリカ以外の国との戦争協力などは、入っていない。
 アメリカと一緒に戦争さえすれば、世界に日本の存在感を示すことができると信じ切っている。ジョークにもならない。

 では、「アメリカと一緒に戦争をする」ということが、ほんとうに安倍の言う「積極的平和主義」に合致するのか。「世界平和」に寄与できるのか。
 それを考えるには、まず、これまでのアメリカの戦争が、ほんとうに「正しい戦争」だったのかを検証する必要がある。
 「アメリカの戦争」によって、世界に「平和」はもたらされたか。アメリカが「戦争をしなければならない理由」として挙げたさまざまな情報、それに基づいた外交戦略、そして結果としての「アメリカの戦争」は果たして「正しい戦争」だったか。
(そもそも、「正しい戦争」という概念自体まやかしだと、僕は思うけれど、ここではそれは措いておく。)

 第2次世界大戦後、いわゆる「集団的自衛権」を行使した事例は、これまでに14例ある。その中ではやはり、アメリカが6例ともっとも多い。次が「旧ソ連」の3例(ロシアを含めれば4例)、他はイギリスが2例、フランスが1例、リビアが1例…である。アメリカがいかに多くの戦争をしてきたかがよく分かる。
 中でも有名なのがベトナム戦争(1965年~75年)だろう。
 このときアメリカが用いたロジックが「ドミノ理論」というヤツだった。すなわち「冷戦下のアジアにおいて、もしベトナムが共産化すれば、近隣諸国にそれが“ドミノ倒し”のように波及し、アジア全域が共産圏に入ってしまう。それは避けなければならない」というリクツだった。そんなリクツがまったく的外れだったことは、アジアの現況を見れば誰にだって分かる。アメリカの分析は間違っていた。
 その妙なリクツに従ってアメリカはベトナムに軍事介入したが、そのきっかけになったのが「トンキン湾事件」(1964年)だった。米艦船がベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍によって攻撃されたという理由で、アメリカは大規模な北ベトナムへの空爆(北爆)に踏み切り、実質的なベトナム戦争が開始された。だが、この「トンキン湾事件」が、実はアメリカによる“でっち上げ”だったことが、今では明白になっている。
 つまり、大国アメリカが“難癖”をつけて、小国への大規模攻撃に打って出たのが真相だったのだ。
 これは「正しい戦争」だったのか?

 ソ連は1979年に、アフガニスタンへ侵攻した。時の共産政権を維持し、反政府勢力を撃退するのが目的だった。この時、「反政府勢力」をひそかに支援したのがアメリカだった。「敵の敵は味方」という単純なリクツである。
 アフガンはやがて内戦状態に陥り、反政府勢力の中から「タリバン」が台頭する。ここへ大量のアメリカ製武器などが流れていたといわれている。結果的に、アメリカは、自らの敵を育てていたことになる。CIAなどの米情報機関がもたらした情報に基づいたアメリカの軍事政策だったが、結局、大間違いだったわけだ。
 2001年、今度は、アメリカは「集団的自衛権」を標榜しアフガンに侵攻したが、無残な結果に終わっていることは言うまでもない。
 アフガンは米軍の撤退表明後、じわじわと復活したタリバン勢力に蝕まれつつあり、現在では、地方行政組織はほとんど崩壊状態だという。それが、アメリカが名付けた「不朽の自由作戦」の“成果”なのである。ここでも、アメリカの情報分析は完全に間違っていた。

 アメリカは最近になって、仇敵だったイランとの関係修復に乗り出した。ブッシュ大統領(子)が「悪の枢軸」と口を極めて罵った、あのイランである。何が起こっているのか。
 これには、イラク情勢の緊迫化が背景にある。現在のイラクでは、反政府派のイスラム教スンニ派ISIS(イラク・シリア・イスラム国)という組織が攻勢を強め、シーア派が占めるイラク政府の首都バグダッドにまで迫る勢いを見せている。
 アメリカが後ろ盾となっているイラクの現マリク政権は追いつめられ、イラク国内は、マリク政権、ISIS、それにクルド人自治区に3分割されそうな気配である。しかも、このISISはイスラム原理主義で過激な反米を唱える組織。アメリカが許容できるはずもない。
 オバマ米大統領は当初、無人爆撃機使用などによる軍事介入を模索したが、国内での反戦意識が強く、とりあえず300人程度の軍事顧問団をイラクに派遣することでお茶を濁している状況だ。
 そこで困ったアメリカが、仇敵イランとの関係を修復して、何とかマリク政権を立て直そうとしているわけだ。イランがマリク政権と同じシーア派だという事情が背景にあるのだが、「敵の敵は味方」というかつて破綻したロジックをまたも使っている。
 イラクではアメリカの外交軍事戦略の失敗が見て取れる。アメリカは、イラクの隣国シリアで、独裁のアサド政権を打倒しようとした反政府勢力を側面支援した。ところが、その反政府勢力は四分五裂、統制不能となった。その中の原理主義組織が、今度は国境を越えてイラク国内に侵攻。北部のスンニ派の支持を得て、首都バクダッド目指して進撃中というのが現況だ。
 つまり、かつてアメリカが支持した反政府勢力が、反米勢力となって、アメリカが後ろ盾となっているマリク政権を脅かしている、という構図なのだ。アメリカは、自分が支援した勢力にことごとくソッポをむかれ、逆に敵に回してしまっている。そこで仕方なく、かつての敵と手を結ぼうとする。だがそれだって、またいつ敵に回るか分からない。
 アメリカが誇る情報機関の分析が、次々と外れてしまう。間違った情報分析に基づいて次々に戦争を仕掛け、泥沼に落ち込んでいるのがこのところのアメリカではないか。

 遡れば、イラン・イラク戦争(1980年~88年)でも、アメリカは大失敗をした。このときアメリカは、イラクに肩入れした。そのイラクの実権を握っていたのがサダム・フセインだった。イランのイスラム原理主義的政権を嫌ったことにより、それに対立するフセイン政権を後押ししたわけだ。
 つまりアメリカは、のちに蛇蝎のごとく嫌うことになるサダム・フセインを、イラン・イラク戦争では支えたのだ。
 そのフセイン政権が、クウェート侵攻を行ったことにより、アメリカは湾岸戦争(1990年)を戦わざるを得なくなった。俗な言葉で言えば「飼い犬に手を噛まれた」のである。

 イラン・イラク戦争では、当時の米レーガン政権が「イラン・コントラ事件」という大スキャンダルも引き起こした。ニカラグアの親米ソモサ政権を打倒して成立した革命政権を転覆させようと、アメリカはニカラグアに軍事介入(1983年)したのだが、その不当介入の資金を作るための裏工作が「イラン・コントラ事件」である。
 ニカラグアの反共組織「コントラ」への援助資金の捻出のために、実は陰で敵対するイランへ、レーガン政権が武器を売っていた、という凄まじいほどの汚れたスキャンダルだった。
 これが「アメリカの戦争」の陰の事実である。

 アメリカが支援した勢力や政権が、いつの間にか「反米勢力」になる。これが実は、この数十年の「アメリカの戦争」の実態である。
 とにかく「革命政権」や「社会主義政権」と見れば、打倒しようとする。そのためには、さすがに何らかの理由が必要だ。その理由をかき集めるのが「世界一の情報機関CIA」などアメリカが誇る組織なのだが、これまで見てきたように、見事なまでに分析が外れる。
 もっとも有名なのが「イラク戦争」(2003年)の際の「サダムの大量破壊兵器」問題だろう。
 ブッシュ大統領がぶち上げた大量破壊兵器は、結局、最後まで見つからなかった。要するに、戦争の最大の理由は、情報機関のでっち上げ、もしくは誤った分析だったということになる。

 2014年7月1日、安倍は、ついに憲法も法律も見事に無視して「集団的自衛権行使容認」を閣議決定してしまった。
 日本がほぼ70年近くにわたってかろうじて守ってきた一線を、あっさりと飛び越えてしまったのだ。「アメリカと一緒に戦争ができる国」になるために、である。この事実を、後世の歴史書はどう記述するだろう。「安倍クーデター」というのが、最も適切な表現だと思うけれど…。

 だが、「アメリカの戦争」が正しいのか、という検証は、安倍政権ではまったく行われていない。
 繰り返すが、第2次世界大戦後の多くの「アメリカの戦争」は、その多くが誤った情報に基づいたものか、情報分析の誤りやでっち上げによるものだった。その結果、最初は支援してきた組織や国が、いつの間にか敵になり、アメリカは世界中で「テロの標的」となった。
 安倍は、日本をそんなアメリカと「一緒に戦争できる国」にしようと躍起だ。今回の安倍の閣議決定に用いられた「武力行使の3要件」の①には、次のようなことが書かれている。

我が国に対する武力攻撃が発生したこと、または我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること

 この「密接な関係にある他国」が、アメリカを指すものであることは、説明するまでもないだろう。
 つまり、この要件を読む限り、日本はアメリカの「大義なき戦争」に参戦できることになる。むろん、そうなれば、日本も(日本人も)いずれは「テロの標的」になるだろう。
 「戦争をしない国」だったはずの日本が「アメリカの戦争を手伝う国」になるというのだから、「テロの標的」になっても仕方ない、と世界中に宣言したに等しい。
 安倍は、それを理解しているのか。

 自衛隊員が、アメリカが勝手に始める「大義なき戦争」に参加させられ、何人もの戦死者を出すかもしれない。しかし、それだけでは済むまい。海外で活動する日本人が、アメリカ人と同類視され、テロの対象にされることも覚悟しなければならない。
 これまでは「戦争をしない日本の国民」ということで、一定の尊敬を得ていた日本人が「反米組織」の攻撃対象になる。さらに、日本国内でだって、テロが起きないとは言えなくなる。イギリスがいい例だ。アメリカと一緒に戦争をしたイギリスで、ロンドン・バス爆破テロ事件などが起きたことは記憶に新しいではないか。
 安倍は、そんなことも覚悟の上で、集団的自衛権行使容認を喚き立てているのだろうか。

 イラク等へ派遣された自衛隊員のうちから、帰国後、多くの自殺者が出ている。実際の戦闘に加わらなかった自衛隊員でさえ、大きなトラウマを抱えてしまったというのだ。これが実戦に参加し、相手を殺し仲間を殺されたらどうなるか。
 消しがたいPTSDとなって、自衛隊員を苦しめるだろう。
 安倍も安倍内閣の閣僚たちも、大声で賛成する自民党の議員たちも、それに、あの口汚い百田尚樹氏も、そんな自衛隊員の心などは知ったこっちゃない、というのか。

 アメリカ・オバマ大統領は、当初、イラク情勢を憂慮して、地上部隊の派遣をも探っていたが、国内に蔓延する「厭戦気分」を考慮せざるを得なかった。代わりに300名の軍事顧問団を派遣するというが、そんな規模で戦闘を行えるわけがない。
 つまり、オバマ大統領にイラクへの地上部隊派遣を断念させるほど、米国内の「厭戦気分」は強いのだ。戦争し続けのアメリカで「もういい加減にしてくれ。もう死にたくない」との声が満ちている。
 そこで出てくるのが、「自衛隊による肩代わり」である。米軍が流す血を、自衛隊員に代わってもらう、というわけだ。
 例の[Show the Flag]が、ここで生きてきた。アメリカにとって、今度の安倍の集団的自衛権の大騒ぎは、まさに「渡りに船」。米軍で足りない部分を、自衛隊がやってきて補充してくれるというのだから、こんなに都合のいいことはない。

 安倍は、自衛隊員の流す血で、アメリカと「対等」に立とうとしている。そのためには、アメリカの「誤った戦争」「悪い戦争」にでも参加しようというわけだ。
 これが今回の“安倍クーデター”の本質だと思う。

 

  

※コメントは承認制です。
番外編 「アメリカの戦争」と「“安倍的”自衛権」」 に2件のコメント

  1. 勝手に今回の平成安保闘争の敗因分析させていただくと、こういった古色蒼然とした「ダブルスタンダード」な立場が国民から支持されなかったんじゃないのかな〜。アメリカ&日本=悪、中国&ソ連(ロシア)&韓国=善の冷戦時代そのままの考え方が。戦後日本には「反スターリニズム」という美しい伝統wがあったんだから、もう一度そこに戻って戦略立て直す必要あり。

  2. 片岡優子 より:

    イギリスがイラク戦争に参加したのは間違いだったということで当時の首相を裁判にかけていましたが、日本の政権が憲法を守っていないということで裁判にかけることはどうすればできるのでしょうか。お金は必要ですか。一市民が訴えることができますか。憲法を解釈で変えるなんて有り得ないことです。それを許している閣僚はどうかしています。政治を任せられません。どうして政権の座についていることができるのですか。
    こどもたちや学校の先生はアメリカがテロと戦い頑張っていると思っている人が多く、がっかりします。よく調べると鈴木さんがおっしゃるように全然正義の味方ではないのに。逆に一般市民をたくさん殺し、犠牲にし、テロを誘発し、無秩序をひろげているだけなのに。そこに自分の子どもを絶対参加させたくありません。

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すずき こう

すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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