時々お散歩日記

 安倍晋三首相のニンマリ顔がテレビに大写しになるたびに、なんだか淋しい気分になる。この人が今やろうとしていることを、ほんとうに多くの人は歓迎しているのだろうか。彼のやろうとしていることが、ほんとうにこの国にとっていいことだと思っているのだろうか…?

 安倍首相、原発再稼働を公言してはばからない。少し古い記事だが、東京新聞(3月8日付)によれば、こうだ。

 衆院予算委員会は七日午後、安倍晋三首相と全閣僚が出席し、二〇一三年度予算案に関する基本的質疑を続けた。首相は、施政方針演説で原発を再稼働させる考えを明言したことに関連し「この三年で再稼働させるものは再稼働させる。安定的な電力をしっかり得ることが経済成長、安心できる生活にもつながっていく」と重ねて強調した。(略)

 これまでも原発再稼働については前向きの発言を繰り返してきたが、「この3年で」と、ついに期限まで明言し始めた。これは、衆院選での自民党公約の「再稼働の可否は3年以内に結論」に沿ったものだが、公約はあくまで「再稼働の可否」だった。
 つまり「再稼働するかしないか」を3年以内に検討する、ということだったはずだ。それを安倍は、いきなり「再稼働させるものは再稼働させる」と言い換えた。「可否」ではなく「可」であり、いつの間にか「否」が消えてしまったのだ。
 ほんの少し言葉を言い換えただけで、まったく違う結論へ導く。政治家の常套手段とはいえ、こんな大事なことを、いともたやすくひっくり返す。しかも、それを誰も追及しない。野党なんか議会にはもはやなくなったようだし、きちんと首相の言葉を検証し追及しようというマスメディアも消え失せた(東京新聞はがんばっているけれど…)。僕が”淋しい”と感じる理由がお分かりいただけるだろう。
 では、肝心の原発の安全性についてはどうなのか。安倍首相は「原子力規制委員会による安全確認が前提」とは言う。ならば、なぜ「3年以内」などという言葉が出てくるのか。
 規制委が新たな安全基準を作って公表するのは、今年の7月と言われている。それが示され、さらにその新基準に従って、日本のすべての原発の安全性が確認されるのを、なぜ「3年以内」などと断言できるのか。百歩譲って再稼働を認めるにしても、新基準に沿った原発施設の厳しい補修や必要な新施設の建設が、最低限、必要になるはずだ。決して期限を切っていい話ではない。
 たとえば、福島原発事故でかろうじて事故に対処できたのは「免震重要棟」という施設があったからだが、これが他の原発にはほとんど付設されていない。少なくとも、それらの建設や補修が終了してからでなければ、再稼働などできないはずだ。
 そんなことは、安倍の頭には小指の先ほどもないらしい。ひたすら、再稼働にこだわる。この男、あの原発事故の凄まじさ、悲惨さ、過酷さを、もう忘れている。というより、記憶そのものを放り投げている。

 原発事故は終わっていない。
 福島の1・3・4号機では18日に停電が発生して、使用済み核燃料プールの冷却装置や汚染水浄化装置が停止した。19日夕刻現在、ようやく一部が復旧したが、事故(それを事象と言い換えるマスメディアの堕落)原因は今もって不明のままだ。ということは、いつまた同じような事故が起きるか分からないということだ。
 ことに、4号機には1533体もの核燃料が保管されている。これが冷却不能になれば、もはや手の施しようがない。つまり、事故原発は今も、極めて恐ろしい、危険な状態にあるといえる。そんな中で安倍は再稼働を言い、それも3年以内と期限を切った。デタラメも度が過ぎる。
 酷い話は、残念ながら目白押し。毎日新聞(19日付)の記事は胸苦しいものだ。

 政府・自民党は18日、大手電力会社の送配電部門を発電会社から別会社化する「発送電分離」を盛り込んだ電力改革の政府方針を修正する方向で調整に入った。当初案は発送電分離を18~20年をめどに実施し、関連法案を15年通常国会に提出する方針を明記していた。しかし、党内の反対が根強いことから、目標年限は残しつつ、法案提出や改革の実施については「目指す」との表現を加える方向だ。改革が「努力目標」に後退することで、発送電分離が事実上、骨抜きになる恐れもある。(略)

 安倍の方針に、「待ってました!」とばかり、自民党内原発推進派がダボハゼのごとく食いついた。
 あれだけの事故を起こした根本原因が「電力会社の地域独占」にあり、それを改革する最も早い方法として「発送電分離」が提起されてきたのではなかったか。それを簡単に捨て去って、電力会社の独占を延命させようとする。
 利権とは、これほどまでに人間を腐らせるものなのか…。

 「忘れてはならないこと」を捨て去った政治家ほど始末の悪いものはない。平気で歴史を勝手に捻じ曲げようとする。いわゆる歴史修正主義(レヴィジョニスト)と呼ばれる一群である。
 安倍首相は、まさしくその典型のような政治家だ。それに便乗する自民党「安倍一族」は、まさに右翼翼賛体制の利権集団と化している。

 だが、こんなことは安倍首相にとっては序の口だろう。TPP交渉参加をあっさり決めてしまった。では、自民党の選挙公約はどうだったか。いまさら繰り返すまでもないが、TPP交渉参加絶対反対だったのだ。自民党のHPには、今でも次のようなコラム「TPPについての考え方」という文章が残されている。

 本年11月のAPECを前に、わが党はTPP交渉参加について、政府の準備不足、情報不足、国民に対する説明不足を指摘し、拙速な交渉参加には反対の方針を決定しました。APEC後1ヵ月以上経った現在も、情報不足をはじめ状況はまったく改善されないままです。従って現段階においても、我々の交渉参加反対のスタンスはまったく変わっていません。(略)

 いかに自民党が野党時代に公表した文章だとはいえ、ここまではっきりと交渉参加反対を打ち出しているのだ。それを安倍はあっさりと引っくり返した。2枚舌どころの騒ぎじゃないゼ、まったく。
 この矛盾を指摘されたある自民党幹部は「この当時、我が党は野党であり、情報不足だったから反対した。現在では政権与党であり、情報はそれなりに得ているから、交渉参加は正しい選択だ」と言い訳していた。だが、それも真っ赤なウソだ。東京新聞(3月13日付)がすっぱ抜いている。

 環太平洋連携協定(TPP)をめぐり、日本が交渉参加を近く正式表明した場合でも、参加国と認められるまでの三カ月以上、政府は協定条文の素案や、これまでの交渉経過を閲覧できないことが分かった。(略)
 日本政府は協議対象となる輸入品にかける税金(関税)の撤廃や削減、食品の安全基準のルール作りなど二十一分野で関係省庁が個別に情報収集しているが、交渉の正確な内容を入手できていない。ある交渉担当者は、日本側の関心分野の多くは「参加国となって文書を見られるまで、正式には内容が分からないところがある」と述べた。(略)

 要するに、何の情報も得られないまま、日本は交渉に臨まざるを得ないということだ。そんなことで「聖域」など守れるはずもない。
 そこを国会審議で問われた安倍首相は「オール・ジャパンで、たとえば各議員がそれぞれのルートを使って対象国から得た情報なども、十分に役立つはず」などと、愚にもつかない答弁で逃げた。今の日本の、特に自民党議員の中に、きちんとしたルートを諸外国に持ち、情報を得られる人材などいるだろうか?

 安倍首相は懸命に「TPP参加による経済効果」を力説する。政府はそれに沿うように、15日、「TPPによる経済効果の試算」なるものを発表した。それによれば、実質のGDP(国内総生産)を全体で3.2兆円押し上げる効果があるという。
 関税撤廃による安い輸入品の増加での消費拡大や、工業製品の輸出拡大などによる経済効果だというが、一方で農林水産分野では3兆円の生産減少を見込む。差し引きが3.2兆円という数字だ。
 すべてが、こうして数字に置き換えられる。農民や漁民の日々の労働などは、数字を操る連中の目には入らないらしい。机上の計算に取り組むのが官僚や政治家の仕事だというならば、それはそれでいい。だが、彼らが自ら弾き出したこの数字に背筋が寒くならないのが、僕には不思議でしょうがないのだ。
 政府の試算ですら、米や小麦、砂糖などの国内生産は、ほぼ壊滅的な打撃を受けることが明白だ。特に、主食である米や小麦などは、価格的にはとうてい外国産に太刀打ちできない。座して死を待つしかない。
 それでも「トータルでプラスになるのだからいいではないか」という人たちがいる。バカじゃないか、と僕は思う。
 安倍首相は「これからは『攻めの農業』に体質を転換していかなければなりません」などと無意味な言葉を重ねるだけ。価格が数倍も違うのに、「攻めの農業」っていったい何? バカも飛び石連休(休み休み)にしてほしい。
 しかし、問題はそこではないと僕は思う。
 日本の現在の食糧自給率は、なんとたったの39%だ。つまり、我々の毎日の3回の食事の1回分しか自国ではまかなえないのだ。あとは外国産に頼っている。こんな「先進国」がどこにある?
 それが政府試算でも、TPP参加でさらに27%まで下落するという。もはや、1日のうち1回分の食糧すら、我々は確保できない。
 「農家は甘えすぎ」「補助金制度が農家をダメにした」「高品質の米をブランド米として輸出すれば農家は生き残れる」「耕作放棄地を集約し、大規模農業化すれば十分に可能」などの参加肯定論もあるが、いったん放棄した農地を回復させるのは至難の業だ。口で言うほど簡単なことではないのだが、農業など知らぬ連中に限って、そんな楽観論を言う。

 諸外国が、食糧を「安全保障政策の武器」として利用しているのは当然だ。安倍らが大好きな言葉に「国益」がある。それぞれの国が自らの「国益」を守るために、食糧を武器にさまざまな交渉に当たるのは、当然すぎるほど当然な話なのだ。
 日本は、最初から「安全保障の武器」を放棄しているに等しい。
 中国からの食糧の輸入が完全に止まったら、日本はどういうことになるか考えたことはあるのか。
 アメリカはしたたかだ。日本を思い通りにコントロールするためには、食糧の輸出制限など、簡単に行うだろう。
 グローバル化する世界にあって、食糧という「生の根源」の分野でこんなに簡単に自ら裸になってしまう国は珍しい。

 だが、食糧が政治的なツールとして使われなくても、問題は残る。
 世界的な異常気象が指摘されている。ここ数年、アメリカやオーストラリアなどの農産物大量生産国で、特に小麦やとうもろこしの旱魃被害が深刻だ。それによって、日本が輸入する飼料の値上げに、酪農家は悲鳴を上げている。
 もし、こんな世界的な天候被害がもっと続くようになれば、日本はたちまち干上がってしまうのだ。その時、安倍政府はどうそれに対処できるというのか? そんな方策をきちんと用意してあるのか?
 「国益」というならば、これほど国益を無視した政治を続ける首相も珍しい。寅さんなら言うだろう。「あ、それをやっちゃあ、おしまいよ」…。

 さらにもうひとつ、暗くて酷い話。朝日新聞(16日付)にこんな記事があった。

「解雇自由」、法に明記を  産業競争力会議 民間議員が提案
 安倍政権の成長戦略づくりを担う産業競争力会議(議長・安倍晋三首相)が15日開かれ、民間議員が、解雇を原則自由にするよう法改正を求め、お金を払って解雇できるルールづくりを提言した。今後、欧州の例などを調査して具体化を検討する。
 「人材力強化・雇用制度改革」をテーマにした分科会での議論を経て、分科会主査の長谷川閑史・経済同友会代表幹事(武田薬品工業社長)が提案した。(略)

 どうだっ、恐れ入ったかっ! である。現在は、労働契約法で「解雇には客観的合理的な理由が必要」と定められている。それを根底から引っくり返そうというのだ。
 「解雇するのに理由なんかいらねえ。おめえは首だあ。はした金くれてやっから、明日から会社へ来るんじゃねえゾ」で片がついてしまう。ブラック企業が日本を席巻する?
 アベノミクスとやらで舞い上がった財界、「アベちゃんがいるうちに、ヤバイこと(オシシイこと)はみんな決めてしまおう」というわけだ。パートなど非正規労働者の首切りだけでは満足せず、ついに正社員にまで手を伸ばした。
 そういえば「連合」とかいう労働組合の組織があったような気がするが、こんな凄まじい財界老爺たちの言い分に、反論したという噂はまるで聞かない。そういえば、原発に関しても連合が反対したって話もなかったし。これは何のための組織なんだろう?

 ほんとうに、この国はどこへ行ってしまうのだろう…か。

 

  

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すずき こう

すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

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