時々お散歩日記

 アルジェリアでは日本人を含む多くの人たちが殺されたし、大鵬さんは亡くなるし、アベノミクスがどーしたのこーしたのだし、日銀は安倍の恫喝に簡単に屈服してしまったようだし、それに乗じて経団連は「春闘での賃上げなんてとんでもない」と言い出すし、安倍晋三首相の最初の外交的成果は「ベトナムへの原発輸出」だそうだし、茂木経産相は「原発新規建設も考える」と平気な顔で表明するし、麻生副総理は「さっさと死ねるようにしてもらわないと」などと終末期医療についてトンデモ発言するし、その上、鳩山元首相の中国での発言には閣僚(小野寺防衛相)からも「国賊」なんて尋常ではない言葉が飛び出すなど安倍内閣の閣僚たちの質はひどいもんだし……。
なんだかこの国は、ぼんやりとした薄明かりの中で「いやな感じ」(高見順)におおわれ、世の中には「将来に対する漠然とした不安」(芥川龍之介)が蔓延し始めているような気がして仕方ない。
ねえ、ほんとうに、大丈夫でしょうか…?

 原発も沖縄の米軍基地も改憲も国防軍も経済も増税も社会保障制度も貧富の格差もTPPも、この7月の参院選で大きな岐路に立つ。ところが、図に乗った自民党のあらゆる分野での強硬路線に、きちんと対応できる野党側の態勢といえば、まことに心もとない限り。
 なぜ、大同団結ができないのだろうか。もはや、アイツが嫌いだ、あの党とは一緒にやれない、細部に異論がある…などと言っている場合じゃないでしょ! そんな時期はとうに過ぎたんですよっ!
 せめて「原発」と「現状での改憲」、このふたつに論点を絞って、統一会派を作って戦うというような最低限の戦略を立てなければ、右翼政権の思うがままの国にされてしまう。
 薩長連合のお膳立てをしたのが坂本龍馬だという。「出でよ、龍馬」などと言うつもりはないが、普通の人たちが、普通の言葉で団結する。せめてそれぐらいの政治的発想があってもいいじゃないか。
 ここでは詳しく書けないけれど、少しだけそんな動きが出てきている。希望を捨ててはいけない。

 安倍首相の新刊本のタイトルは『新しい国へ』だ。このコラムでも何度か指摘してきたように、「安倍の国」は決して新しくなどない。旧い戦前の国家体制への先祖返りである。
 安倍首相は、ネット上で若者に大層な人気があるという。若者が、戦前の抑圧国家体制に憧れる? そこが僕には不思議でならない。ニコ動での安倍中継のバックには“88888”(パチパチパチパチパチ=拍手音)が、滝のように流れていた。
 ふ~ん?

 安倍首相の究極の目標は「憲法改定」である。中でも、彼にとっては「9条」が最大の憎悪の対象らしい。なんとしてでも9条を葬り去りたくて仕方ない。大好きだった“おじいちゃま”の岸信介元首相が、大の「9条嫌い」だったからだろう。
 そして、その改憲の行き着く先は「国防軍」である。安倍自身がそう述べているのだから間違いない。
 僕らのような使いものにならない年よりなどはどうでもいい。間違っても「国防軍召集令状」などは来っこない。「軍隊への招待状」を受け取るのは“88888”などと書き込んで喜んでいる若い人たちだ。

 このところ、「アベノミクス」なる言葉が、マスメディアで妙にもてはやされている。「アベ」と「エコノミクス(経済学)」の合成語で、かつてレーガン米大統領の採った経済政策を「レーガノミクス」と呼んだことにならった言葉だ。
 ただし、レーガノミクスがそうだったように、アベノミクスが意味するのは、結局のところ、国民間の貧富の差の拡大につながる経済政策でしかないと、僕は思う。
 毎日新聞(1月21日付)のコラム「危機の真相」で、浜矩子同志社大学教授が「○○ミクスは悪徳商法」と題して、この安倍経済政策を激しく批判している。

(略)レーガン大統領は、中央銀行が作り出したドル高の流れにただ乗りした。安倍政権は、中央銀行に作り出させる円安で、点数稼ぎをしようとしている。レーガノミクスが金融政策への便乗商法なら、アベノミクスは、金融政策に対する恫喝商法だ。法改正をちらつかせながら、言いなりになることを強要している。いずれ劣らず、悪徳商法だ。だが、やっぱり、恫喝の方がタチは悪いだろう。

 詳しくは、このコラムのレーガノミクスを論じた部分を読んでほしいのだけれど、これによって起きたのは、表面上の一時的な景気回復の幻影だった。レーガノミクスは、結局はバラマキ型の需要拡大策に過ぎず、その後のブッシュ大統領の経済政策の失敗も重なって、結果として膨大な「双子の赤字」(対外収支も財政収支も大赤字)を生み出すに至り、米経済に大打撃を与えた。そしてそれは全世界へ波及し、世界経済を混乱に陥れたのだ。その愚を、アベノミクスは反省もなく繰り返すだけだと、浜教授は指摘している。
 レーガノミクスとブッシュの経済失政が招いたものは、米国社会の凄まじいばかりの貧富の差の拡大と、失業者の膨大な群れだったではないか。富は一部の大金持ちの金庫で唸り、家を失った多くの人々が路上へ放り出された。
 それへの反発が巻き起こしたのが、貧しい怒れる若者たちによる「オキュパイ・ウォールストリート(ウォール街占拠)」運動だった。日本における「官邸前抗議デモ」や「官邸街オキュパイ」も、ある意味でそれに通底すると言っていいと思う。

 アメリカでは、貧しい若者へ向けての「兵士徴募」が横行している。「軍隊に入れば、除隊後の大学進学を保証する」といった甘言に釣られて多くの若者たちが入隊していったのだ。
 結果、彼らはどうなったか?
 イラクへ送られ、アフガンで過酷に戦った。そして、心的外傷後ストレス障害(PTSD)という病を抱えて帰国し、アルコール中毒や麻薬漬けとなって、大学どころか監獄とリハビリ施設の往復を余儀なくされた者が続出したのだ。その辺りの事情は、少し古い本だが、ベストセラーにもなった『ルポ 貧困大国アメリカ』(堤未果、岩波新書、730円+税)に詳しい。
 むろん、この兵士徴募の現象は、アメリカに「軍隊」があるからだ。日本でも自衛隊員募集で同様のケースはあるだろうが、アメリカのように露骨な勧誘は聞かない。
 だが、もし憲法改定によって「日本国防軍」が創られたらどうなるか。同じことが我々の国でも起きるに違いない。

 最近、若年層のホームレスが増えているという。あの「年越し派遣村」にも、かなりの若い人たちの姿があった。大企業の都合のいいように法律が改定され、派遣や臨時雇い、パートタイム勤務などの非正規労働者が激増した結果だ。
 正社員と非正規社員では、その所得の差は開くばかり。とすれば、行き場を失った若い労働者へ“軍隊への誘い”が甘く囁きかけることになるのは目に見えている。
 僕が、安倍に熱烈な“88888”を送る若者に違和感を覚えるのは、そういうことだ。
 安倍は「集団的自衛権行使の容認」に踏み切る構えだ。何のことはない、それは「戦争参加権の確立」の言い換えにすぎない。アメリカの戦争に、日本も加担するということだ。とすれば、「日本国防軍兵士」という名の下に、戦場へ駆り出されるのは、“88888”を書き込んでいる“君自身”ではないか。
 「戦争はゲームではない。戦場に音楽は流れない。映画やテレビとは違うのだ」という、戦場からカメラを武器に平和を訴えてきた友人のカメラマンの言葉を、僕は思い返す。
 血がほとばしり、脳漿が飛び散り、手足がちぎられ、火薬と血の刺激臭が漂い、断末魔の悲鳴が聞こえるのが戦場だ。“88888”の君たちよ、死者たちと向き合ったカメラマンの悲痛な報告を聞くがいい。それでも国防軍を肯定し、安倍首相を支持するか。

 原発事故の後始末は、遅々として進まない。
 「除染」というもののひどさが、次々と明らかになっている。僕は何度も繰り返してきたが、あれは「除染」などではない。放射線源を移動させる「移染」にすぎない。
 その「除染」さえ、デタラメなやり方だと批判されている。原因のひとつが、ゼネコンが絡んだ事業形態にあることは明らかだ。
 6次~8次もあるという下請け・孫請けの会社が、それなりの利益を得るために、本来作業員に渡すべき賃金から、いくばくかをさっぴいてしまう。下請け企業だって厳しいのだ。特別手当(国から日給1万円が特別支給されるはず)が途中で消え、現場作業員にはひどい場合は1万円を下回る賃金しか渡らないこともあるという。手抜きが起こるのは当然ではないか。
 おいしいところを掠め取り、発注するだけで巨大な利益を得るゼネコン。だが、そのゼネコンに除染作業を依頼しているのが、なぜか「独立行政法人日本原子力研究開発機構」(鈴木篤之理事長)という組織だ。ここはあのポンコツ原発「もんじゅ」の運営体。つまり、原子力ムラの中枢だ。そんな組織が国から数千億円もの除染事業を委託され、それをゼネコンに任せるという構図。どこまでも、原発を食い物にする。
 現場で作業しているのは、アベノミクスからはじき出されたような人たち。この不況の中、人集め業者から「お兄さん、いい仕事があるよ」と誘われて、仕事内容も曖昧なまま連れてこられた人も多いという。むろん、若い人たちもたくさん混じっている。

 このような人たちの中の若年層は、国防軍兵士徴募のもっとも重要なターゲットのひとつになるだろう。
 財界も、命令絶対服従の若者たちが多くなればなるほど、大喜びする。命令どおり過酷な仕事でも黙ってこなしてくれる労働者は、財界にとっては金の卵だ。
 ここで、安倍の目論見と財界の願望は完全に一致する。考えていくと、いつだって政治の深い部分では、何か薄暗いものが蠢き絡み合っている。ひとつひとつは別の現象のように見えながら、どこかで利害が一致して、ある日突然、それが国民の目の前に現出する。
 そうなってからでは、実は遅いのだ。

 “88888”の拍手も熱狂もいいけれど、それがもたらす未来を、原発や憲法を見据えることで考えていかなければ、怖いことになると僕は思うんだ。
 国の未来ではなく、ひとりひとりの未来を。

 

  

←「マガジン9」トップページへ   このページのアタマへ↑

マガジン9

すずき こう

すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)など。マガジン9では「お散歩日記」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。

最新10title : 時々お散歩日記

Featuring Top 10/64 of 時々お散歩日記

マガ9のコンテンツ

カテゴリー