下北半島プロジェクト

ピースボートの旅から帰ってきたA子ちゃんが、旅レポートを寄せてくれました。まずは船の上で行われた、ある印象的なイベントのお話から…。

 ピースボートの朝は、「船内新聞」を読むことから始まります。その日、船内で行われるイベント情報、食事の時間、その他連絡事項などいろいろ書かれた新聞で、パッセンジャー(乗客)はこれをもとに1日の予定を立てます。船の中で仲良くなった人たちと、「これおもしろそう」「こっちも行きたいね」と相談し合う時間は、お互いの興味関心がわかって楽しいものです。

 台湾から沖縄へ向かう洋上、10月22日(火)の夜は、ひときわ目を引くイベントがありました。「鎌田慧さんに聞こう! ~何でもQ&A~」です。鎌田さんといえば、私と同じ青森県出身で、『六ヶ所村の記録』(岩波書店)などが有名なジャーナリスト。今回のクルーズには、水先案内人(ゲスト)として乗船していました。
 タイトルどおり参加者が鎌田さんにあれこれ質問するイベントで、政治、原発、えん罪など、さまざまなテーマの質問が寄せられていました。70~80人の参加者の中、ある男性は「新潟県長岡市で、柏崎刈羽原発の事故に備えた避難訓練が行われましたが、どう思いますか?」と聞いていました。鎌田さんによると、これまで原発の立地自治体が原発事故を想定した避難訓練を行ったことはなかったそうです。訓練をしたら、危険性を認めるようなものだから。ところが、3・11を受けて行われるようになったそうです。でも、鎌田さんは「避難道路がないという問題がある」と指摘しました。避難訓練をするといっても、海沿いに建てられた原発は行き止まりの場所が多く、逃げられないのです。
 「例えば、下北半島の大間原発は海岸線を通る道が一本しかない。福井県内のある原発は、原発の前を通って逃げなければならない」(鎌田さん)
 私の頭に浮かんだのは、2年前の夏に下北半島を訪れた時の景色でした。マガ9スタッフとレンタカーを借りて、県内をぐんぐん北上する途中、人気がなく、細い道路を通りました。下北に住んでいたある女性が「震災前に友達とね、下北の核施設に何かあったら半島を切っちゃえばいいって笑い話にしてたの。でも福島への対応をみると、現実になりそうじゃない?」 と言っていたことが思い出されます。そういえば、青森県の地域防災計画(原子力編)では、県内の原発で事故が起きた場合、むつ市と東通村の住民を青森市へ、横浜町と六ヶ所村の住民は弘前市へ避難させることが定められていたけれど、あれだけの人数をどうやって? 疑問と不安が生じました。

船内イベント「鎌田慧さんに聞こう! ~何でもQ&A~」

 別のある男性は、使用済み核燃料の管理について質問していました。ご自身は、「六ヶ所村ではなく、各県庁所在地の地下に置くべき」と考えているそうです。鎌田さんは、使用済み燃料をどこかに移送することの危険性について「(日本政府は)宇宙や、モンゴルに処分場を作ろうとしていたが、モンゴルには断られた」と話しました。一部に根強い“原子力の技術を残すために原発が必要”とする論調については「そんなのは噴飯物です。原発推進派の論理は3・11を経験しても変わっていない。原発は安い、安全、なくなれば電力不足になる。最近はそこに加えて経済性を出してきた。より露骨になっている。でも、漁業と農業がなくなると日本は成立しない。一次産業を破壊する原発を作って生活していけるのかという根本的な問題」と語りました。
 あまりない機会なので、私も1つ質問してみようとドキドキしながら手を挙げました。むつ市に建設された、使用済み核燃料の中間貯蔵施設のことです。ここは東京電力と日本原子力発電の原発から出る使用済み核燃料を、50年間も保存する計画の施設です。今はまだ操業していませんが、この先どうなるんだろう? と気になっていました。
 鎌田さんは、むつ小川原開発や、原子力船「むつ」の母港建設のことなど下北半島の歴史を丁寧に説明しました。1974年、たった1回の実験で放射能漏れ事故を起こした「むつ」は、各地の港をさまよって、そのたびにその土地に漁業補償金などのお金を落とすため「宝船」と言われていたそうです。あちこちで修理を断られ、最終的には長崎県の佐世保重工が引き受けましたが、「被爆県に原子力船が来るということで大きな反対があった。それを説得したのは、長崎新幹線の建設と、(当時、経営難だった)佐世保重工の救済の2つ。カネで解決してきたのは今と同じ」と鎌田さんは強調します。
 修理を終えた「むつ」は、青森に戻ってきます。その時、新たな母港が建設されたのが、下プロで以前、ひとり芝居公演をしていただいた役者・愚安亭遊佐さんの故郷である関根浜。関根浜港は、今回の中間貯蔵施設への荷揚げ港となりました。この話は、あまりメディアで紹介されることがないので、この場で話してもらえてよかった、と思いました。

 鎌田さんのイベントを終えて船室に帰った私は、ルームメイトに原発の話を持ちかけてみました。ルームメイトは北海道出身で、年齢は私と同じ。「普段、原発のことはそれほど話題にしないけれど、泊原発のことは気になる」と言っていました。3・11で原発が危険なことはわかった。けれども、お金のない地域の事情もある。地元を離れた自分たちにできることとは? とりとめのない話は夜遅くまで続きました。
 ピースボートのパッセンジャーは、年齢も職業も、乗船した理由もさまざま。でも、「何を言っても全否定されることはない」という雰囲気があり、普段は話題にしないテーマのこともスルスルと本音が出ます。出会ってすぐに、込み入った話のできる友人ができました。(A子)

(さらに続く)

 

  

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第33回「日韓クルーズ PEACE&GREEN BOAT2013」に行ってきました!(その2) 〜船内で鎌田慧さんのお話をお聞きしました〜」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    海の上をゆく船の上で、改めて故郷・青森と原子力について考えたA子ちゃん。そして、よき友人との出会いもあったよう。あれこれ思いをめぐらせ、話をしながら、旅はまだまだ続きます。

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