下北半島プロジェクト

ピースボートの旅レポート、今回で最終回。最後の寄港地、上海で参加したツアーでの体験に、A子ちゃんの考えたこと、感じたことは…。

 ピースボートがただのクルーズツアーと違うのは、船内のイベントだけでなく、寄港地で開催されるスタディツアーがあること。現地の人たちと交流したり、社会問題について検証したりと、そこでしか見聞きできない濃密な内容のツアーが複数用意されていて、参加者は自分の関心のあるものを選びます。
 最後の寄港地・中国の上海でも、「エコ・ビレッジで有機農業体験」「上海の若者と交流」など魅力的なツアーがたくさんあり、私はその中から「史実を知り、未来を考える~検証・南京大虐殺~」を選びました。下北半島プロジェクトとはちょっと縁遠いテーマではありましたが、せっかくの機会なので参加してみました。

上海駅のホームにて。初めて見る中国新幹線。

 10月25日午前、船内のホールに集まると、100人は超えていたでしょうか、大勢のツアー参加者が集まっていました。みんなで船を下りてバスに乗り込み、上海駅へ。ここから、新幹線で南京駅に向かいます。1時間半ほどで南京に着くと、さらに30分ほどバスに揺られて南京大虐殺紀念館へ。お隣の席の方がぐっすり就寝中だったこともあり、私はずっと窓の外を眺めていました。南京駅の周辺はきれいに整備された建物ばかりですが、少し離れると屋根や壁がくずれかけた家がたくさん見えます。そうかと思うと、新しいビルが建設中だったりして、経済成長を遂げる前の日本をぼんやりと想像しました。

 そうして、ようやく到着した南京大虐殺紀念館。館内の展示物は、想像を絶するものでした。日中戦争の時に旧日本軍が行った大虐殺の記録があるとは知っていましたが、30万人とも言われる被害者が、どのように命を失ったかを具体的に示す写真や遺品に、私は言葉を失いました。人が、人を直接的に手であやめている写真は、言葉では言い表せないほど残虐で、ちゃんと見なきゃと思いつつも目を背けたくなりました。前々から、広島や長崎の平和記念館を訪れたアメリカの人はどんな気持ちだろう? と思っていましたが、もしかするとそれに近い経験をしたのかもしれません。

 一通り館内を見学したあとは、南京大虐殺の生存者の証言を聞きました。楊翠英さん(89歳)は、13歳の時にお父さん、弟、祖父、叔父の家族4人を旧日本軍による虐殺で失ったそうです。毎日のように日本軍の飛行機が爆弾を落とし、当時2歳だった弟は目の前で刺殺され、楊さんご本人も左頬を殴られ、今も耳が聞こえない。南京市内には死体があふれ、お母さんは泣いてばかりで目が見えなくなって、楊さんが残された家族を支えていたそうです。
 ここまで、私がメモをとっていると、たまたま隣にいた男性が耳打ちしました。
 「南京大虐殺は、ねつ造だっていう説もあるからね」
 その口調は、少し遠慮がちだったかもしれません。熱心にメモをとる私に「ちょっと一言」のような気持ちだったのかもしれませんが、「自分たちが加害者性を認めることの難しさ」を突き付けられたような気持ちがしました。あの残虐な展示が、すべて本当ではないと思いたくなる気持ちは分かります。犠牲者の数をめぐっては、30万人よりもっと少ないという意見があることも知っていますが、残虐さのレベルを測っていても仕方ないじゃないか、と思いました。

左が、南京大虐殺の生存者、楊翠英さん。

 今回のクルーズの最初の寄港地だった釜山で、「釜山近代歴史館」のガイドの男性はこう言っていました。
 「人間は、時に悪いことをする場合がある。その前提で歴史を見直してほしい」
 この言葉は、何を考察するにあたっても忘れてはいけないのではないでしょうか。こじつけでも飛躍でもなく、私のなかでは原発を巡る一連の議論にリンクします。
 船内のイベントで鎌田慧さんが語っていたように、下北半島には、むつ小川原開発や、原子力船「むつ」の母港建設のことなど、国策によって虐げられてきた暗い過去があります。当時、「仕方ない」「国がすることだから」などと見過ごす、または沈黙する世論があったから、地元の抵抗もむなしく下北半島に原子力関連施設がどんどん作られました。歴史を見つめ、「人間は、時に悪いことをする」という当たり前のことを認めなくては、脱原発の具体的な道筋は見えないと、私は思っています。

 南京大虐殺紀念館ツアーの翌26日に、船内では「3・11脱原発 自然エネルギーネットワーク 原発も汚染水もいらない!」と題するシンポジウムが開催されました。
 元原発設計者の後藤政志さんは、「政府は、福島第一原発の周囲の海は汚染されてないと言うが、間違っている。水を通しにくいフェンスはあるが、波が高いと意味がない。フェンスの中の水は、1日数十パーセントの割合で入れ替わる」と指摘していました。時として国は事実と違うことを言います。さらに、諦めたり、黙認したりしてしまう世論(自分たちも含めた)もあります。どちらも未来の社会への加害行動、という気がしてなりません。それを認めたうえで「じゃあ、どうする?」を考えなくてはならないと、再認識しました。

 10日間のクルーズで学んだことは、「海外の異文化」というよりは、外側から見る「日本の問題点」でした。東アジアの国々で、日本人は「加害者」としての立場におかれます。日本のなかでは、被害者意識を感じることはあっても、加害者としての自覚を持つ機会はあまりないため、とても新鮮な気持ちでした。
 すぐに解決できない難問も、立ち位置を変えることによって、見えてくることがありました。初めての海外ツアーで得た経験を、日本に帰っても忘れないようにします。(A子)

(おわり)

「オーシャンドリーム号」のデッキから見た青い海。

 

  

※コメントは承認制です。
第35回「日韓クルーズ PEACE&GREEN BOAT2013」に行ってきました!(その4)日本の外に出て見えてきたこと」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    ということで、A子ちゃんの東アジアの旅報告、今回でひとまず終了です。日本の外に出て見えてきたのは、やっぱり日本であり青森であり…。この体験がまた、今後A子ちゃんが出会う別の体験に重なって、見えてくることもあるのかもしれません。
    今後もイベントレポートなどなど、不定期ながら下プロページ、更新していきたいと思います。

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