渡部建具店の日々

東京での暮らしを後にして、故郷である滋賀県米原市にUターンした渡部秀夫さんと優さんのご夫婦。自分たちの足もとを見つめながら、地域での新しい交友関係を作り、場づくりに挑戦しています。そんな暮らしの日々から考えたことを綴ったり、またそこで知り合った人たちや面白い試みについても紹介していくコラムです。不定期掲載でお送りします。

第8回

フリージャズよ鳴り響け

苗床の草をとる=場を保つ

 雪も溶け、そろそろ田んぼ畑にと精をだしますか、と思っていたのがとうの昔に感じる怒濤の田畠の日々です。今年は自然農の実践者のひとり、川口由一氏のやり方を模倣しているのですが、時間は有限、身体は一つ、頭で考えたようにすんなりといくわけもなく、身の程を知らないとはこういうことかと痛感しています。
 自然農とは、一つの農法というよりも、日々の暮らし(親の介護や子育てがある中で作業にかけられる時間、手伝ってくれる人の人生、家計等々)を含めて考え、無理をしないで毎日精一杯田んぼと向き合う営みそのものだと思うようになりました。
 4月20日の穀雨に種籾を苗床に降ろし、発芽して田植えができるまで成長してくれるかどうか見守る間は心配でなりませんでした。川口由一さんの著書を何度も読み返し、愚直に実践。しかしすぐに結果がでるようなものではなく、自然の理に身を任せ祈るしかありません。
 そんな折り、農家を数十年とされている集落のお爺さんから聞いた「農業は毎年が一年生」という言葉に勇気づけられました。このモノの見方は長年自然と向き合ってこられた人ならではで、過去と比べて成長して当たり前とする近代的思考とは一線を画しているように思われました。
 なんでもお金で解決してしまう現代、自分の食べる物さえもお金で得ることが当たり前になっていることへの危機感を忘れたくはありません。お金を使って得た時間で何を為すのか、偏りなくおこなうことは難しいと思います。
 手間ひまをかけて自分たちが食べるものを育てていると、なかなか他のことには手が回りませんが、いらないことを考える暇もないのは良いことだと思います。暇になると自分のことは棚に上げて批評批判したがるのが人間だと思いますので。
 こうやって文章を書く時も、頭の中でばかり考えを広げて、自分の手足から離れていないか怖くなります。

 田んぼの記録をこちらのブログにつけています→「母は大地 父は空」

渡部建具店という食品店

 6月から自宅にて小さな商店、住み開きを始めました。
 取り扱う商品は、環境と生産者に配慮し、食べた人のからだが喜ぶもの、地元の知り合いの無農薬野菜、無添加だけど長期保存がきいて非常食にもなるもの等を自分たちで使い切れる量だけ仕入れています。
 営業日は母のデイサービスの休みに合わせ、家で小商いすることで子育てしながらも無理なくヒトと交流できるようになりました。大量生産、大量消費型の商いとは対照的ですが、それを好むヒトたちとのふれあいは心地よいです。
 ですが、暇つぶしの遊び半分でやっているわけではないので、マルチインカムの一つとして確立していくにはどうしていけばよいか、他との関係性、その時々の状況をみて暮らしのバランスをとっていきたいです。
 最近、自営業をされている方々から家計のやりくりに関する切実な声を、業種や地域にかかわらず立て続けに聞きました。個人経営の悲鳴は今に始まったことではありませんが、中央集権型の社会である限り、こういった悲鳴は止むことなく、無縁社会は続いていくと思います。宮本常一氏が言った「地方の文化をおこす運動」や「日本型民主主義」について今一度考え学びたいです。

 自宅でイベントを開催するとともに、会場として自宅を提供することも始め、先日は「くらしとせいじカフェ@米原」を開催していただきました。
 一般参加者に加え地元選出の衆議院議員、滋賀県議会議員、米原市議会議員にも参加してもらい、フリージャーナリスト守田敏也さんによるトルコで起きている反原発輸入運動等の報告、衆議院議員による国政報告、福島のこどもたちの保養をされている「びわこ123キャンプ」の方たちから活動報告がありました。
 そして、始まったばかりのくらしとせいじカフェの今後の在り方について話し合い、ひとまずは滋賀の湖南から湖北まで数ヶ所持ち回りで開催することと、企画運営はそこに住む人たちが中心となって担当することに決まりました。
 終了後にくらしとせいじカフェを中心になって進めている一人、ナカノさんからお話を伺いました。

渡部 くらしとせいじカフェの活動を始めた動機はなんですか?

ナカノさん くらしとせいじカフェをはじめたのは、県知事選の時がきっかけです。でも種を蒔いたのはその前からで、「政治」というと敬遠しがちな友人や仲間に、「人間は社会的動物。人間は社会を作って生きてこられた。社会をつくるってことは、そこには必ず政治がある。つまり、生活する(生きる)ってことは、政治と無関係ではいられない。私が野菜を買いに八百屋に行く時、無農薬の野菜が食べたいと思ってもない時、それは政治と密接につながってる。だから、今日のゴハンをつくる時、明日のおやつを考える時、政治なしでは私の生活は成り立たない」…みたいなことを念仏のようにつぶやいてきました。
 2012年の衆院選。その時も同じようなことを言い「何かしなくっちゃ、何か動かなくっちゃ」と友人たちに話し、そのときはじめて「選挙に行こう」のチラシをつくりました。
 そして2013年の県知事選。チラシだけじゃあかん、何か他にもしないと、と立ち上がったのが「くらしとせいじカフェ」です。
〈「今日のご飯なんにする?」と政治はつながってる。「今日のご飯なんにする?」と同じ気軽さで政治を語りたい〉をキーワード(フレーズ)に、あちこちで開催しはじめました。
 でも、今でもちょっと政治的な言葉を発すると相手から拒否反応にあいます…。

渡部 選挙について思うことを教えてください。もし現行の選挙に問題があると考えるのであれば、どうすれば良くなると思いますか?

ナカノさん 公職選挙法の改正を望みます。もっと市民が、候補者の政策によって選択できるような仕組みに。そしてもっと民意が反映されるような仕組みに。たとえば公示前でももっと気軽に候補者の政策討論がされる必要があると思います。
 また、小選挙区制ではなく中選挙区制に戻したり、投票できる人を1人ではなく2人にしたり、知事選なんかの「長」を決める選挙では、過半数をとるまで二度三度と投票が行なわれるようにしたり…。
 でも、やっぱり一番は、市民の民度を上げることでしょうか。地元に利益を誘導するような投票ではない、また、聞いたことのある名前だから投票用紙に書くとかではない投票行動が望まれます。そのためには、「あなたはどんな社会をつくりたい?」と一人ひとりに訊くことがいいのかな、と思います。
 辺野古で漁業権を売ってしまい工事の見張り役をしている漁師さんに、辺野古のゲート前で監視している機動隊に、わたしの家の隣のお姉さんに、子どものクラスメートのお母さんに、「あなたはどんな社会をつくりたい?」って聞いたら何かの糸口が生まれてくるんじゃないかな…と思う今日この頃です…。

 くらしとせいじカフェ@米原に参加された人の感想を少しご紹介します。

「くらしとせいじカフェを発起したおかあちゃんたち数人と出逢うまでは、私一人で選挙事務所へ差し入れやボランティアに行っていたのだけれど、同じように熱い想いで行動するお母ちゃんに出逢うことができ、仲間が出来、とても嬉しかった」

「わからないことはわからないと言うことから出発して学んでいく必要がある。そう感じている」

「投票率をいかに上げるかが肝心。そのためには選挙ではない時期の、こうした政治について話し合う機会がとても大事」

 最近は、「明日の自由を守る若手弁護士の会」メンバーを招いての「憲法カフェ×くらしとせいじカフェ」も開催されるようになっており、滋賀のおかあちゃんたちのたくましさは頼もしいです。
 しかし、@米原の次に開催した@長浜では「政治」というキーワードが含まれているからという理由で会場を貸してもらえない、断られるということが数件ありました。暮らしと政治が離れていることを実感します。

 私たちも、市政や行政の取り組みについて市民が学ぶために米原市が設けている「市職員出前講座」「市長と市民等が行う対話型意見交換会」の仕組みを活用し、この二つの会を開催していくことに決めました。しかし、こちらも出前講座の方は、「どういった方々が集まるのかわからないとお受けできない」という返事で、柔軟性に欠けていて勿体ないという印象を持ちました。
 私たちは、何かを購入するかのように行政に対しても客体でいるのではなく、主体的に知って学んで話し合うことで地域を育てていくという視点を持ち続けたいです。

四方山

 母の介護負担限度額の更新をしようとしたら、利用者である母の預金通帳の写しを提出しなければならなくなっており驚きました。法改正によるものとのことですが、役所の窓口には苦情が殺到し担当者も困惑していました。
 これは限度額申請と更新の歯止めにしか思えません。年金受給額と納税額でだいたいの対象の判別はできると思うのですが…。

 話は変わり、7月の後半から、マガジン9の「つながって考えよう」にも登場した今村登さんとアメリカへADA(Americans with Disabilities Act/障害を持つアメリカ人法)制定25周年記念の式典へ行くことになり、ジェイムス・M・バーダマン著『黒人差別とアメリカ公民権運動――名もなき人々の戦いの記録』、トクヴィル著『アメリカのデモクラシー』を興味深く読みました。 恥ずかしながら公民権運動についてろくに知らなかったのですが、概要を知ることができたおかげで一見関係のないブルースやジャズの聴き方が変わり、知ることで世界の認識がこれまでと変わる面白さを再確認できました。
 民主主義が声高に叫ばれる昨今、それさえも浅薄な和魂洋才になってはいないだろうか? と、歴史と先人に学ぶ必要性を感じています。せっかくなのでアメリカの歴史を知ることができる博物館をいくつかまわり、アメリカの運動のあり方やその運動をくみ上げる仕組みを見つめ、そこから日本型民主主義について再考し、自分の日々の暮らしに活かしていきたいです。

 アメリカ的なものからアジア的なもの、西洋医学的思考から東洋医学的思考、そういった流れは、二項対立を超えて間(あはひ)の再認識を感じさせます。主客分離型から主客非分離型へ帰還したところから始まる視点をもって、「何を信じたら良いのか」よりも「私はどう生きたいのか」を問うていきたいです。これは、筑紫哲也さんの最後の多事争論「この国のガン」に対する私なりの返答でもあります。

 最後に。
 「超フリージャズ・コンサートツアー」を企画運営している友人から、フリージャズは公民権運動の中で生まれたものだと聞きました。
 自分たちの生きる権利を、命を賭けて主張しなければならなかった時代に、ジャズミュージシャンたちが音楽でその想いを表現したその創造性。それがいまこの日本を生きる人たちにも届くといいなと思います。

 

  

※コメントは承認制です。
第8回 フリージャズよ鳴り響け」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    ちょっと久しぶりの更新となりました、渡部建具店(間が空いちゃった理由は「農繁期」でした)。ご無沙汰している間に自宅でのお店もオープン、「建具店」の活動はさらに広がっています。
    ちなみに、食品店のイラスト左に描かれている「社長」は、コラム第4回に登場した、渡部家の小さな娘さん。この「社長」のお眼鏡にかなう(はずの)ものだけが、食品店には並んでいるのです。

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渡部建具店

渡部建具店: 2013年6月から活動開始。琵琶湖の近くで暮らす秀夫と優の夫婦で、秀夫の先代までの屋号を用いて「間」と称した場づくりを主におこなっている。現在までに「上映会の間」「対談の間」など、その時々で自分たちが向き合いたいモノゴトを取り上げ、ヒトが集い対話することに重きを置き、目の届く範囲を大切にしながら自分たちの歩幅で活動している。他にデザインや車椅子利用者の旅のお供なども。建具はつくれません。 ホームページ

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