イェダりんの“リベルテ”を探して!

雨宮処凛さんのコラムマガ9学校のゲストとしてもお馴染みのイェダりんことイ・イェダさんの連載コラムが、フランスから届きました! 果たして「亡命者」の日々は、楽しいのか? 大変なのか? そのリアルな生活を綴ってもらいます。コラムは、ハングルも同時併記していく予定です。
*ちなみにリベルテ(liberté)とは、フランス語で「自由」。フランス共和国の標語である「自由、平等、友愛」(Liberté, Égalité, Fraternité)の一つであり、その起源はフランス革命にあります。

(最終回)

兵役拒否の難民認定者が誕生、そして・・・。

前回のコラムから今までに起こったこと

 約4ヶ月前の2016年11月22日、この覚えやすい日に、私の子どもが生まれた。名前はナム(※1)と名付けた。文字通り、木のような人に育つよう願いながら。名前を付けるときは、フランス語でも発音でき、かつなにか意味のある良い名前を探そうとたくさん悩んだ。フランスでは子どもが生まれた日から3日以内に名前を付けないと罰金があるらしく、3日間ヒヤヒヤしながら、最後の日に名前を付けることができた。

ベッドで寝ているナム

 ナムの母親とは約1年前、パリで行われたsolida会(※2)で出会った。彼女とは恋愛観や結婚観がよく合い、個人的に何度か会ううちに恋人の関係になった。それからナムが生まれた。

(※1)ナム:韓国語で「木」という意味

(※2)solida会:「アジアの自由と民主主義のための連帯の会」:日本人、韓国人、ベトナム人、フランス人を含め、国籍を問わず様々な人たちが参加。

 ナムが生まれたこと以外にも喜ばしいニュースがもう一つある。JPD(徴兵制反対のための市民集会)(※3)で一緒に活動している安悪喜(アン・アキ)さんを通じて去年5月に出会ったイ・ジフン(仮名)さんが、兵役拒否を理由としてフランス政府から難民認定されたとの連絡が来た。私以外にも難民申請を認められる人が現れることを待ち望んでいたので、連絡が来た当日、すぐに約束を取りつけて、夕方ごろにジフンさんが住んでいるパリ郊外のバーで待ち合わせすることにした。

(※3)JPD(徴兵制反対のための市民集会):2015年1月、イェダさんが二度目の来日時に、元「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)の高橋武智さんと横浜で対談。そこに同席したアン・アキ氏が、ベ平連が行った亡命支援活動を知って感銘受け、法律家らに呼びかけて設立した団体。韓国の徴兵拒否者らのための海外亡命の助言を行い、相談窓口にもなっている。

ジフンさんのこと、JPDの活動のこと

 約一年ぶりの再会だった。ジフンさんは私に白ワインを飲もうと提案し、“2verre de vin blanche s’il vous plaît (白ワインを二杯お願いします)”とフランス語で直接注文をした。Blanc(ブラン)をBlanche(ブランシェ)と言ったぐらいのミスはあったが、この間フランス語の勉強も頑張ったのだなということがわかった。
 乾杯をしてお互いの近況を報告し合った後、ジフンさんがある書類を取り出した。自分が約4年前にもらったものと変わったところはなく、細かく読むまでもなく、それがどんな書類なのかわかった。ジフンさんの難民認定を知らせる書類だった。まもなく、彼は10年間の滞在許可証を受け取るはずだ。

 私が東京でアンさんらに出会って以来、亡命申請際の書類や、フランス当局とのやり取りなどをもとに、JPDは亡命認定の判断基準を綿密に分析した。フランスだけではない。私の事例が韓国で報道されると、多くの人々が様々な国に亡命を試み、各地から連絡が寄せられた。他にも、すでに亡命が認められていたが今まで知られていなかった人からの連絡もあった。実をいうと、亡命に失敗した人も沢山いた。JPDでは関連資料を回収し、その理由を分析し、あらたな亡命希望者に助言した。
 私自身もヨーロッパ各国の市民団体や政党に招待され、韓国人徴兵拒否者らの現状や難民認定の可能性について話し合った。スイスで行われた国連人権委員会に誘われ、韓国政府代表者宛に改善を求める発表も行った。

 この過程ですでに多くの人がJPDの助言を受けて、いくつかの国に渡っている。私たちが把握する以外に、個人単位で国外脱出を試みた人は数百人もいることが昨年の韓国政府発表で分かった(2015年5月の聯合ニュースより)
 そして韓国政府は、昨年末から帰国していない徴兵対象者の個人情報や国内住所をインターネットにて全公開し始めた。残された家族などに圧力をかけるためであろう。韓国にある私の実家にも、特別司法警察官(2012年から施行中の韓国の徴兵忌避者摘発目的の特別警察制度)と思われる人らが訪れたという。

 こうした背景のもと、ジフンさんは我々の助言で送り出した中では難民認定を受けた最初の事例だ。もっと言うと、その直後、国名や詳細は公表できないが数人の難民認定者が現れている。より多くの人が亡命できるよう願って2014年に日本に行き、外国人記者クラブで記者会見をしたことなどを考えれば、嬉しいことだ。社会的にも大きな変化があったと聞いている。

 パリには多くの難民申請希望者が集まっているが、知り合いや友達の力を借りずに衣食住を一人でまかなってきた人を見たのは、ジフンさんが初めてだ。彼は今、ある韓国人宿泊施設で働きながら生計を立てているそうだ。そんな彼だが、今の仕事につく前には野宿も経験している。パリに到着してしばらくの間、あまりの難民希望者の多さに難民申請の手続きさえできずに暮らし、揚句の果てに持ってきたお金が底をつき、野宿を決心したという。

パリではホームレス達が住んでいるテントをよく目にする。SDF(Sans Domicile fixé)と書いてある。「居住地なき(人)」という意味。

 野宿をするうちに、自分と似たような状況の人々とも親しくなったそうだ。美味しそうなパーティー料理を用意して晩餐会を開催する野宿仲間から、招待を受けることもあった。もし難民として認められなければ、このままここに住んでもいいとも思ったという。「衣食住も解決できて、仲間たちは自分を受け入れてくれる」。ジフンさんの言葉は、十分に共感できるものだった。
 しかし、苦しい時期がなかったわけではない。人生初めての野宿で体調が悪くなり、無理やり眠りにつくこともあったという。

 難民申請の際の面接審査はどうだったのか気になった。質問の中には、その人の主張の信憑性を確認するため、意地悪なものがいくつかあったそうだ。ジフンさんは自分の宗教に関して、「キリスト教徒はみんな兵役を拒否するんですか?」という質問を受けたという。韓国のほとんどのキリスト教徒はむしろ、兵役義務が平和のために必要だと思っている。この質問を受けたジフンさんの戸惑いは相当のものだっただろう。
 ともかく、兵役拒否を理由とした難民がまた一人誕生。しかも、自分の顔が世間に知られることを避けることができたにもかかわらず、兵役拒否権改善の活動に一緒に乗り出してくれるという。

 そんな彼に、韓国の現在の情勢についても聞いてみたが、意外にも、「韓国人に対してなんの期待もしていないし、韓国についても思い出すことはない」と、否定的な答えが返ってきた。これは私が勝手に思ったことだが、彼には韓国に対する恨めしさがあるのかもしれない。ジフンさんは「自分らしく自分の国にいたいだけなのに、そうしようとすると(徴兵拒否を理由に)監獄に行くことになるし、様々な不利益を我慢しなければいけない」と言いながら、怒りと悲しみが混ざったようなため息をついた。自らの言語と文化を諦め、難民として国を離れるということは、元の場所では自分が自分として生き続けることができないということを意味している。
 私は、これから移民者として生きていかなければならないイ・ジフンさんに、移民者の権利など知っている限りの情報を伝え、彼と別れた。

子どもを巡って

 話はまた戻るが、最近、ナムと私たちにとってつらい出来事があった。
 ナムが子ども社会福祉団体であるASE(Aide Sociale à l’Enfance)という施設へ送られたのだ。ナムが生まれた病院が、私たち夫婦を子どもにとって危険な親だと判断してASEに報告したからだ。ASEは公的に、様々な暴力(物理的、心理的、放任など)に晒される危険性のある子どもたちを守る仕事を担っている。病院などの機関だけではなく、匿名の情報提供者からでも、報告があれば子どもを施設に送るための手続きが進められる。情報提供者の言葉を最優先にしながら、実際に子どもがリスクに晒されているかを確認するための長い手続きを経ることになる。このような不当なやり方を経験し、ASEについて調べて見たが、親の67%が、子どもの収容は不当であり、望まない監禁だと答えていた。 私はASEよりも、ナムが生まれたpitié salepêtrier病院に腹が立っている。彼らが私たちをASEに報告した根拠は以下の通りである。

・3日間子どもに会いに来ていない
・父親が抑圧的

 私が3日間ナムに会わなかったのは事実である。
 私は出産予定日の前に3週間の休暇をとって、ナムが生まれた時から休暇が終わるまで、それこそ面会時間いっぱい(病院で寝ることができたら当然そうしたが)、一日も欠かさずにナムに会いに行った。
 しかし、休暇がほとんど終わろうとするころ、母と妹が私に会いにフランスにやって来た。韓国を離れて以来4年ぶりの再会だったうえ、滞在日数が長くなかったので、私は彼女たちに会うために病院に行く時間を割かなければいけなかった。
 ナムは生物学的な父母だけが入ることのできる新生児室にいたので、私は病院関係者に、母と妹が来る数週間前から、彼女たちも新生児室に入れるよう特別許可をお願いしたが、結局かなわなかった。そのせいで、私の家族がナムと一緒に過ごせた時間は1時間にも満たなかった。規則は規則というのも素っ気ないと思うが、仕方ないとは思った。
 だが、私が異議を唱えたいのは、病院側の対応である。私は、時間の都合上、家族の新生児室への訪問を許してくれなければ、ナムに会いに来られないかもしれないと病院側にちゃんと説明をしていた。その点について、病院関係者は十分理解を示し、頻繁に病院に来られなくても自分たちが子どもの面倒を見るし、何かあったら連絡すると言ってくれた。そんな彼らが、いかなる理由であれ3日間子どもに会いに病院に来ていないからと、私を危険な親と判断したのだ。

 ナムの母親は、産後うつはもちろん、体調も悪くなっていて、出産直後なので、立っているのもやっとということも多かった。オムツ替えや入浴など、子どもの世話は立ってやらないといけないため、私はできるだけそうしたことを母親に代わって担当しようと努めた。のちに、病院側が私を抑圧的だと判断した根拠をASEから聞いたが、体調の優れない母親への配慮として、また、ナムの父親としての役割をちゃんと果たすためにとったその行動を、病院の関係者たちは、「父親が子どもを独り占めし、母親の役割を妨害しながら抑圧」していると判断したのだ。

 病院では、産婦を徹底的に観察しなければならない義務があるという。ナムの母親もその観察の対象であって、看護師が義務的に、何の気なしに放つ「うつ病と関連付けられた質問」(フランスでは産後うつは自然のことのように扱われている印象を受けたが)のせいで疲れていて、また、怖がってもいた。
 ナムの母親が受けた質問の中で、誰が聞いてもひどいと思える質問を一つ書くと、ナムの姓についての無分別な質問がある。ナムの姓は母親の姓であるパク「朴」をつけてパク・ナムだ。看護師は母親に、なぜ子どもに父親の姓を付けないのかと聞きながら(そもそも子どもに誰の姓を付けようと、その人に何の関係があるだろうか)、「あなたは二番目の妻か?」と聞いたのだ。
 あとでASEから聞いたが、結婚もせず、子どもに父親の姓を付けない私たちを、病院側は関係の悪い夫婦だと思っていたそうだ。当時は理由もわからなかったが、いつからか病院側が私たちを親としての資格がないと判断しているような気はしていた。父親の姓を付けないことで人種差別的な発言(母親の姓をつけるなんて、あなたたちユダヤ人なのか?)やフランス文化至上主義的な発言(フランスは父親と母親の姓を両方付けるが、なぜ母親の姓だけをつけるのか?)を受けたが、私はのちに、病院側が私たち夫婦の行動について部分的にのみ判断し、否定的に記述した書類を見ることになった。
 責任感がなく権威的な病院に腹が立ったが、私は下手に行動し、ナムが強制収容され、誰かに養子縁組されてしまう事態を招くことを警戒した。だが、じっとしている気はない。
 「リベルテ:Liberté」(自由)を探すためにフランスにいるが、自由のために立ち向かわなければならないことが、まだたくさんある。難民として認められたイ・ジフンさんも、むしろ韓国に帰ることができないという事実が実感され、以前にもまして心が落ち着かないという。私も理不尽なことや不確実なことが差し迫ると怖いし消耗するが、これからもそうしたことに立ち向かえる人間として生きていきたいと思う。

最後に

 読者の方々へ。私のコラムを読んでいただいて誠にありがとうございます。連載を続けたいという気持ちはまだありますが、能力が気持ちに追い付かず、なかなかコラムを更新することができませんでした。ここに最後のコラムを残し、感謝の気持ちを伝えます。マガジン9の皆様にも、このような私にコラムを連載できる機会をくださって、誠にありがとうございました。リニューアルされるマガジン9も期待しております。

 また会える日が来るよう願いながら、みんなお元気で!

翻訳:黄 天秀/鄭 康烈/金 成河)

高橋武智さんとイェダさんの対談。2015年1月3日、横浜中華街で (撮影:アン・アキ)

 

  

※コメントは承認制です。
(最終回) 兵役拒否の難民認定者が誕生、そして・・・。」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    2014年、雨宮処凛さんが連載のなかで紹介したことをきっかけに、この連載は始まりました。「自由のために立ち向かわなくてはいけない」というイェダさん。徴兵の問題だけでなく、フランスでの生活に対する視点からも、さまざま考えさせられることがあります。まだまだ聞きたいことが沢山ありますが、またぜひ機会をつくってお話を伺いたいと思います。

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イ・イェダ(LEE Yeada)1991年韓国・仁川生まれ。17歳の頃から韓国社会に疑問を持ち、集会などに時々参加。韓国の専門学校で日本語を学んだ後、2012年、入隊2ヶ月前に単独でフランスに亡命し徴兵拒否。ベーグル職人を経て、現在はフランスでの就学を目指している。パリ郊外に居住

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