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2011-09-07up

伊藤塾・明日の法律家講座レポート

2011年7月9日@伊藤塾本校

「けんぽう手習い塾」でおなじみの伊藤真さんが主宰する、資格試験学校の伊藤塾では、
法律家・行政官を目指す塾生向けの公開講演会を定期的に実施しています。
弁護士、裁判官、ジャーナリスト、NGO活動家など
さまざまな分野で活躍中の人を講師に招いて行われている
「明日の法律家講座」を、随時レポートしていきます。
なおこの講演会は、一般にも無料で公開されています。

「検察の正義」神話化の背景

講演者:郷原信郎弁護士
(郷原総合法律事務所、名城大学教授・コンプライアンス研究センター長)

 2010年、社会に大きな衝撃を与えた大阪地検特捜部による証拠改ざん事件。次々に不正が発覚し、3人の現職検事が逮捕されるなどの事態に、「正義」であったはずの検察への国民の信頼は、大きく揺らぎました。
 事件はなぜ起こったのか、その背景にあったものとは——。元検事で、組織のコンプライアンス問題の専門家である郷原信郎さんがお話しくださいました。

■コンプライアンスとは「社会の要請に応えること」

 今世紀に入ってから、官公企業の不祥事が大きく取り上げられることが多くなりました。私は、この背景にあるものを「変化」だと考えています。
 よく「法令遵守」と訳されるコンプライアンスですが、私はコンプライアンスとは、組織のあり方そのものを規定する概念であり、「社会の要請に応えること」と捉えるべきだと考えています。そして不祥事とは、その「社会の要請」に組織が反してしまうこと。つまり、社会の環境が大きく変化したにもかかわらず、それに組織がついていけない、というときに不祥事が起こるわけです。
 そこには、大きく分けて二つの要因があります。
 一つは組織内的要因。その組織そのものが、もともと変化への適応度が低かったために、急激な変化についていけなかったという場合です。
 もう一つが外的要因。つまり、あまりにも変化が激しすぎて適応できなかったというケースです。バブル景気以降、日本社会における変化はどんどん急激なものになり、世の中は複雑化・多様化を続けています。そこに、今回の東日本大震災がさらなる不連続的な変化をもたらした。マスコミ報道が震災・原発関係に集中しているので表に出てこないだけで、多くの組織が今、この大きな変化への不適応を起こしているはずです。
 組織に関する問題というのは、この二つの観点から考えれば、たいてい本質に迫れると私は考えています。そしてその一つめ、内的要因について考える上で格好の題材となるのが、この講義のタイトルにもなっている「検察」なのです。

■検察という組織の本質が表れた証拠改ざん事件

 これまで、司法の場において検察という組織は、常に圧倒的な権威のある、「正義」の組織とされてきました。起訴された場合の有罪率99%、事実上検察によって起訴されること=処罰されること、である状況が「検察の正義」を確保してきたのです。検察の側もその思い込み、いわば「神話」を維持しようとしてきたし、司法制度の側もそれを支えてきたと言えると思います。検察が捜査していた事件を不起訴にすると決定したときに、その理由を説明する義務がない、つまり裁判での立証責任はあっても世の中への説明責任は負っていない、といった仕組みなどはその最たるものでしょう。
 バブル崩壊以降、大きく変化する社会の中で、あらゆる組織はガバナンス、情報開示、説明責任という三つの義務を果たすことが求められるようになってきました。しかし、検察という組織はそれさえも免れてきた。言い換えれば、他の組織がそうして義務を課されることでなんとか変化に適応してきたのに対し、検察にはその機会もなかったともいえるのです。
 2010年の大阪地検特捜部による「証拠改ざん事件」は、まさにこの「適応できなかった」ことが表面化して起こった問題でした。検察側が主張しているような、ある1人の「とんでもない」検事による犯罪でも、それに対して適切な処置を取らなかった1人の上司の問題でもない。検察全体が問題の本質を見誤って、自分たちのつくり上げた「ストーリー」に合わない証拠を改ざんしたという話であり、「変化への適応度が極めて低い」という組織としての本質が端的に表れた事件です。にもかかわらず、検察が問題を矮小化し、それを組織全体の問題として捉えられなかったところに、事件後もいまだ社会の変化に適応できていないという現状がよく表れているといえるでしょう。

■伝統的犯罪から、価値判断が求められる現代型犯罪へ

 かつて、検察が扱う事件の大半は、殺人や強盗などの「伝統的犯罪」でした。こうした犯罪においては、その行為を「やってはいけない」ということを、誰も否定しない。問題になるのは「その人が本当にやったのか」だけであり、起訴すべきかどうかというところに価値判断の要素はほとんどありません。しかも、多くは個人による犯罪であり、それが社会に与える影響も限られていました。
 しかし、近年増えてきた、政治や経済などに関連する「現代型」の犯罪はそうではありません。その行為自体が「当然悪いこと」なのではなく、法律を守らせるための強制力として設けられている罰則に違反するという形の犯罪です。こうした事件においては、実際には数多く行われている法令違反行為の中から、法令の目的に照らしてどの行為が処罰の対象になるのか、起訴すべきなのかを決めるという価値判断が必要になります。しかも、ライブドア事件や村上ファンド事件を考えればわかるように、強制捜査や起訴の段階で社会に与える影響は、伝統的犯罪に比べてはるかに大きいのです。
 そうなれば当然、検察も他の組織と同じように、説明責任を負うべきだということになってきます。ところが、検察はそうした社会の要請の変化にまったく対応できなかった。それどころか、問題の客観的な検証ができず、大阪地検の事件が自分たちの組織にとってどういう意味のある事件なのかを理解できなかったのだと思います。
 ただし、これは検察だけでなく、多くの組織が大なり小なり抱えている問題です。逆に言えば、検察の問題を考えることで、他の組織に共通する問題も見えてくるはず。そのわかりやすい例が、今回の原発事故における対応を厳しく批判された東京電力でしょう。
 東電は、「原発は安全である」という根拠のない「神話」のもとで、ガバナンスの構築や説明責任、情報開示といった責任を実質的に果たしてこなかった。それが今回の事故への対応でも、多くの失敗を犯し、社会からの信頼を失った原因だと思います。これもまた、震災によって社会環境が急激に変化したにもかかわらず、その変化への適応性がないという電力会社の属性が顕著に表れてきてしまった例だといえるでしょう。

■法令遵守からルールの創造へ

 冒頭で「コンプライアンスは法令遵守ではない」という話をしました。しかしこれは、よく言われるように「コンプライアンス>法令遵守」という意味とも少し違います。「遵守」という言葉には、なぜそのルールを守らなくてはならないのか、という疑問を封じる、思考を停止させる作用がある。守らなくてはならない理由はどこかへ行って、「守ること」自体が目的化されていってしまうんですね。
 たしかに、変化が少なく安定した社会では、ルールは「お上」がつくるもので、私たちは黙ってそれに従っていればよかったかもしれない。しかし、現代のように複雑化・多様化した社会においては、もっと現場に適合したルールを生み出して、それを一般化していく必要がある。これまでのように「ルールを守る」ことだけを考えていては、必ず同じ問題、同じ不祥事が起こってしまいます。
 つまり「法令遵守」から「ルールの創造」へと、法令へのアプローチを変えていく。これが新たなコンプライアンスの意味だと私は考えます。想定外のことが起こったときには、ただルールに従うのではなく、そもそも自分たちの組織が目指していること、使命としているのはどんなことなのかを考える。そこに照らし合わせれば、今自分たちが何をすればいいのか、問題にどう取り組めばいいのかは、おのずと見えてくるはずです。
 繰り返しになりますが、コンプライアンスとは組織に向けられた社会的要請にしなやかに俊敏に適応し、組織の目的を実現していくことです。そもそも、組織というものは社会の要請に応えているからこそ存在が認められているのであって、その意味ではこれは当然のことともいえるでしょう。
 今回の東日本大震災によって急激な変化がもたらされた日本社会においては、「変化に対応していく」コンプライアンスは、これまで以上に重要な課題になるはずです。その中で、組織のあり方も今後変わっていかざるを得ないでしょう。そして、ただ従来のルールに従うのではなく、自らルールを創造し、そこから新たな価値を生み出そうとする人間が評価される社会になっていく。それは、皆さんが今後目指そうとする司法の世界においても同じではないか。私はそう考えています。

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言葉自体はあちこちで耳にするようになった「コンプライアンス」ですが、
果たしてその意味は本当に理解されているでしょうか?
固定したルールを「ただ守っていればいい」のではなく、
常に変化し続ける社会の要請に応えるために、
柔軟に「何をすべきか」を考え、新たなルールを創造していく。
それが今、すべての組織に求められているのです。

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