戻る<<

デスク日誌:バックナンバーへ

デスク日誌(22)

070919up

河原から聞こえない声

あるお祭りで

 まだまだ暑いです。

 その暑いさなかの日曜日、近所の大きな公園で、地域の人たちが主催する「平和まつり」というのが開かれていると聞いたので、散歩がてらに出かけてみました。

 さまざまなグループが、自分たちの思いや志を、パネルにしたり写真展にしたり、のどかだけれど、地域で活動している市民たちの思いのこもった小さなお祭りでした。

 フリーマーケットも開催されていましたし、野外の小ステージでは何組かのバンドの演奏も楽しめました。暑いけれど、秋の気配も少しだけ感じられる午後でした。

切ない連鎖

 私たち夫婦とは顔見知りの『ビッグイシュー』販売人のおじさんの顔もありました。

「今日は商売じゃなくて、観客だからね」などと言いながら、楽しそうに会場を見て回っていました。

 でも、そのおじさんからちょっとイヤなことを聞きました。

「このごろね、なんだかヘンな人が絡んでくるんだよ。若い男だけど、前に別のおじいさんを苛めていたのをオレが注意したのが気に入らなかったらしくてね。こんなとこをウロウロすんじゃねえ、とか言って、オレの胸倉つかんだりするんだ」

「それはヤバイね。で、どうしてるの?」

「うん、ちょっとだけ場所を変えたの。販売場所を、交番に近いところにしたんだ。いくらなんでも、お巡りさんの見てる前じゃ、殴ってこないだろうからね」

「あ、それはよかった。なんかあったら、遠慮しないで声をあげるんだよ」

「うん、まあ、人通りも多いから大丈夫だと思うけどね」

「とにかく、気をつけてね」

 元気そうだったので一安心しましたが、こんなことが実際に起きているのです。

 弱い人を痛めつける。

 どうにもイヤな風潮です。

 公園や河川敷などで、ビニールハウスや段ボールハウスをこしらえて、ひっそりと暮らすホームレスたちを、若者たちが「クズだ」「テメエらは社会のゴミだ」「掃除してやる」などと言いながら、殴るけるなどの暴行を加える。挙句に油をかけて火をつける、などという女子高生まで出現しました。

 こんな乱暴を働くのは、学校や社会の中で、むしろ、弱い立場の人間だったり、苛められっ子である場合が多いといいます。学校や社会に適応できなくなった若者たちの“はみだし意識”や“弱者意識”が、彼らをして、さらに弱い者へ牙を剥くという悪循環をもたらしているのだという意見です。

 つまり、弱い者が自分よりもっと弱い者を見つけてウップン晴らしをする。弱い者苛めの“負の連鎖”と言っていいのかも知れません。切ない連鎖です。

 こんな風潮、誰が作ったのでしょうか。

またも顔を出した“伝統”

「暴れワルガキは許せない」

 その通りです。しかしそう言うだけでは、ことは片付きません。こんな若者が後を絶たない状況は、どこに原因があるのでしょう。

 このところの、文科省の動きは大迷走ばかりです。

 今度は「武道を学校の正式教科にする」という方針が決められたようです。なんだか、またしても“思いつき方針”のように思えてなりません。

 「日本古来の伝統を身につけさせる」などと、またも“伝統”が顔を出しました。何かというと“日本古来の伝統”です。しかし、日本古来の伝統の象徴とも言われる「武士道」なるものが、あの戦争で担わされた役割を、戦後日本はきちんと整理し検証してきたでしょうか。

 「生きて虜囚の辱めを受けず」(「戦陣訓」=生きたまま捕虜になってはいけない)などと、武士道を曲解した方針を打ち出し、失わなくても済んだはずの多くの若き兵士の命を、無為に投げ出させたことへの反省は、果たしてなされたでしょうか。

 教育の中でそんなこともきちんと行わずに、またも武道の正式教科化。大丈夫なのかと、首を傾げたくなるのです。

 武道が、弱い者苛めの道具に使われるという“負の恐れ”は、ないのでしょうか。「習った技を、あのジジイにかけてみようぜ」などという不埒な連中が出てこないと言えますか?

  きちんとした内実を考えずに行われた形だけの教育が、過った結果をもたらしたことが、これまでいかに多かったか、忘れてはいけない。

 教育行政が現在のように、クルクルとその方針を変えてしまうようでは、教師たちはとても落ち着いて教育などできません。教科書検定が、ときの風潮に流されて、その検定意見を変えてしまうような現状では、何をどう教えるべきか、教師が戸惑うのはあたり前でしょう。

 例えば、最近の「沖縄戦での住民集団自決について、日本軍の強制があったとは断定できない」という方向への教科書検定意見の変更です。これによって歴史の教科書から「沖縄住民の集団自決が日本軍の強制による」という記述は消えてしまいました。

 安倍晋三首相の「戦後レジームからの脱却」路線におもねった変更とも言われています。沖縄のほぼ全島民の憤激を買ったこの変更。では、安倍首相が失脚した後では、またも変更されることになるのでしょうか。

 このような文部行政の迷走が、教育現場の荒廃に手を貸しているのだ、という批判は的を射ていると思います。

ほんとうの救援を

 先日の台風9号の際には、東京と神奈川の境を流れる多摩川流域だけで、30人ほどの人たちが河原や中洲に取り残され、ヘリコプターで救助されました。その様子は、繰り返しテレビでも流されましたから、みなさんもご存知でしょう。

 危うく救助された人たちは、ほぼ全員がホームレスです(中洲で自主映画撮影中だったという2人も含まれていましたが、この人たちは例外です)。河原に青いビニールテントを張って、ひっそりと暮らしている人たちです。多摩川流域だけでも、その数は200人を超えるとも言われています。

 河原の人たちは、無言です。声高に叫ぶ手段もツールも持っていません。だからといって、無視していい訳では決してない。

 ここにも、小泉前首相が掲げ、安倍首相が踏襲しようとした“改革”の、無残な足跡を見ることができます。

 そんな境遇から、なんとか立ち直ろうとするホームレスを手助けしよう、という趣旨で始められたのが、この『ビッグイシュー』という雑誌です。みなさんも、もうご存知でしょう。

 販売人たちは、みんなホームレスです。

 定価が200円。そのうちの110円が販売人の収入となります。大きな都会の繁華街の片隅に立って、販売人たちは『ビッグイシュー』を売り続けています。静かです。通行人に押し付けるようなことは一切ありません。ただ黙って、雑誌の表紙を目の前にかざして立っているだけです。

 販売人たちは、みんなとても礼儀正しい。買うと必ず「ありがとうございます」と、丁寧に頭を下げてくれます。

 そんな人を、“社会のゴミ”扱いして難癖をつけ排除しようとする。ほんとうに、頭にきます!

  歪んだ若い連中が、なるべく早く学校に戻れるようなカリキュラムを研究・実践すること。その上で、彼らにきちんとした職を見つけ提供すること。それが、もっとも手っ取り早い解決法ではないでしょうか。

 時の権力者におもねって、教科書内容の変更などに血道をあげている暇などないはずです。

 河原の人たちに対しては、ヘリコプターでの救助ではなく、ほんとうの暮らしの救援を行わなければなりません。小泉&安倍路線がぶち壊してしまった弱い人たちの生活を、もう一度救い上げること。「再チャレンジ」などという上滑りした言葉ではなく、最低限の生活ができるような援助を行うことです。北九州市に見られたような、生活保護申請受付拒否など、絶対にあってはならない。

 

川田龍平さんも首をひねった

 お祭りの会場には、今回の参院選で激戦の東京地方区を勝ち抜いて、見事に参院議員になった、川田龍平さんも顔を見せていました。声をかけてみました。

「どうですか? 議会の様子は?」

「何がなんだか分かりませんよ。議会が始まったとたんに、もう大騒ぎですからね」

 まったくです。

 議会内部にいてさえ、よく分からない混乱事態。見ている私たちに理解できなくても、当たり前かもしれません。

 福田か麻生か。

 よく分からないまま、自民党総裁選挙が行われています。

 どちらがその座に着くにせよ、人々の壊された暮らしの再構築が待ったなしであることを、忘れないで欲しいのです。

(小和田 志郎)

ご意見フォームへ

ご意見募集

マガジン9条