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デスク日誌(47)

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「チベット」「原発」「裁判員」

 さまざまな事件や問題が、次々に起こります。このコラム、ひとつのことだけを書いていては、間に合いそうもありません。
 そこで今回は、3項目を、取り上げてみます。

 

中国政府のとるべき道

 中国チベット自治区での市民や僧侶の抗議行動を、中国政府は武力弾圧した模様だ。結局、1989年の「天安門事件」と、内実は何も変わっていない。

(注・天安門事件=1989年6月、民主化を求める市民学生ら数十万人が、北京の天安門広場に集結。大規模な抗議集会を行った。これに対し中国政府は武力制圧を行い、市民側に300人以上の死者が出たとされる。しかし、この300人という発表にはかなり疑問が持たれており、死者数は1千人をはるかに超えているという報告もある。結局、指導者たちは逮捕されたり亡命を余儀なくされたりして、民主化運動は終息した)

 市場経済が導入され、経済活動が自由化されて富裕層が増加し、経済大国としての地位を確立したとはいえ、中国における政治状況がそれほど変わっていないことの証左である。
 確かに、チベットの独立を容認することは、中国という国家にとっては、最高度の政治的危機を迎えることを意味する。なにしろ、数百ともいわれる少数民族を内包する巨大国家である。ひとつの民族の独立を承認すれば、ほかの少数民族の独立意識に火をつけることになりかねないからだ。

  それならば、中国と同じ多民族巨大国家であるアメリカにはそんな危険性はないのか。
 アメリカは、ヨーロッパからの移民たちが、先住民族を駆逐する形で成立した国家だ。移民国家ゆえの多民族混淆、国内での民族間の軋轢は確かに現存する。だが、どの民族も(先住民を除けば)ニューカマー、後からやって来て定着しただけにすぎない。その意味で、自らの独自の国家をアメリカ内に持っていた民族はいない。
 中国の場合は、まったく事情が異なる。
 中国は数千年に及ぶ王朝の変遷が、周辺の小国家群を征服併合しながら繰り返されてきた、多民族複合国家なのである。『三国志』や司馬遷の『史記』を始めとするさまざまな歴史英雄譚などに、その物語が記述されている。
 つまり、アメリカは征服者が外から来て建国したのだが、中国は内部でさまざまな民族が覇権を争って少数民族国家を併合し、王朝交代を続けてきた国家なのである。
 なんとか抑えつけておかなければ、それらのかつて国家を形成していた民族が、独立と民主化を求めて、何度でも繰り返し行動に打って出てくるだろう。中国政府は、その独立機運をなだめ、懐柔し、柔らかに(?)抑えつけることで、なんとか国家の統一を保とうとしてきたのだ。
 しかし、今回のチベットの様相を見ると、その抑えつけ方に問題があったといわざるを得ない。

 チベット族は、中国国内に約540万人ほどだという。10億の民を抱える中国にとって、本当の意味での少数民族である。しかし、同様の少数民族は、国内だけで数百に及ぶ。これが、中国政府にとっての、アキレス腱なのだ。
 もしそれらの民族が、次々と同じ行動を起こしたなら、それこそ収拾のつかない事態に陥ることは目に見えている。事実、今回の暴動はチベット族が多く住む四川省や甘粛省へも、飛び火し始めた。

 この事態を解決するには、どうすればいいのか。
 特効薬などありえないだろうが、まず民族間(漢族とチベット族)差別の撤廃、徹底的な平等化と自治権の大幅な拡大、経済援助、そしてチベット仏教の自由を認めることが最低限で、なおかつ早急に実施しなくてはならない政策だろう。

 チベット自治区に対する中国政府の資本投下は、ここ数年、かなり膨大な額に達している。
 西寧~チベット・ラサを走る1956キロに及ぶ青海チベット鉄道は、2006年に運行を開始した。これは、中国政府の威信をかけた「チベット開発」の象徴でもあった。
 青海チベット鉄道は、世界最高地を走る鉄道として、欧米人や日本人にも大人気となり、チベットへの観光客はここ数年で10倍以上にも増加している。だが、その恩恵をチベット人がほんとうに受けたのかどうか。
 観光開発とともにチベットへ進出した漢族が、利益を独占している、という不満が今回の暴動の大きな原因のひとつだとも言われている。
 この不満を解消するために、繰り返しになるが、民族間差別の撤廃、チベット仏教の自由化、経済的援助、自治権の拡大などを、早急に行うしか道はないはずだ。
 その上で、独立問題については時間をかけて話し合うこと。ほかに具体的な解決策は、ない。

 また、今回の騒乱の遠因として、1989年に起きた同じようなチベットでの暴動を武力鎮圧したのが現在の胡錦濤国家主席であり、その胡主席のチベット政策に対する不満が鬱積していた、との見方もある。
 そんな背景があるだけに、胡主席の政策変更は望み薄。だから、今回の問題がそう簡単に片付くとは思えない。中国政府は、チベットで起きていることを、徹底的に隠そうとするだろう。だが、中国はいまやネット大国でもある。さまざまな情報が、すでに漏れつつある。隠そうとしても、隠しきれるものではない。そこが、ビルマ(ミャンマー)とは、決定的に違う。
 いずれ表に出てしまう情報ならば、政府自らが公表するほうがいい。その上で、新たな政策を示せばいいのだ。それができないのであれば、アメリカがイラクやアフガンで犯した同じ過ちを、中国もまた犯すことになる。

 北京オリンピックはもう間近だ。
 武力で民主化や差別撤廃を弾圧するのであれば、とても平和の祭典など開く資格はない。
 かつて、天安門事件の際に抱いた憤りが、またふつふつと甦る。

(津込 仁)

 

原発「暗殺指令」は事実か

 月曜日(3月17日)の新聞広告を見て驚きました。『週刊現代』の広告です。
 そこに、巨大な活字が躍っていたのです。

 <驚愕スクープ
 「実行者」が決意の実名告発
  関西電力高浜原発「町長暗殺指令」
 「これは特殊任務や。あいつだけは絶対に許せん。あいつがおったら高浜原発はやがてなくなってしまうかもしれん。そやから、あんたらで、町長を殺ってくれんか」>

 さすがに、仰天しました。いくらなんでもそれは…。
 実は私はかつて、ある週刊誌の編集部にいたことがあります。
 その週刊誌で、かなりしつこく原発問題を追いかけ、多くの記事を掲載しました。だから、一般の方よりは、原発問題に関しては多少知識があるほうだと思います。そんな私でさえ、仰天したのです。驚かないほうがどうかしています。
 週刊誌のある種の記事が、かなり信憑性に欠けると批判されていることも、私は内部にいたことのある人間として、苦い思いを持って、それなりに理解しているつもりです。しかし、まったくのガセネタを訴訟覚悟で、それも実名を出してまで掲載するとは、考えにくい。そこには、訴えられても受けて立てるだけの、証拠に裏付けられた自信があるとしか思えません。
 というわけで、すぐに『週刊現代』を買って来ました。

 記事は、確かに“暗殺指令”を受けたという人物の実名入りで掲載されていました。その具体的なやりとりは、今回が<前編>ということで、来週号に詳しく載ることになるのでしょうが、命を狙われたとされる高浜町の今井理一町長(75歳、現職)までも、
「私にシェパードをけしかけて、喉元を食いちぎらせようとする動きがあったことは、知っています。それが関電の原発事業にからんでいたことも。ある(高浜)町議の経営する鉄工所の密室で行われた“謀議”に参加した、別の(高浜)町議からそれを聞きました>
 と、同誌の記事中でコメントしていますから、そうとうに確度の高い情報であるように感じました。

 もしこの記事が事実なら、それは原発政策の根本にまで関わるような重大事です。特に、これが同誌の言うように、“プルサーマル”問題に端を発した事件であるならば、なおのこと、現在進められている原発行政全体にまで、大きな影響を与えることになりかねません。
 プルサーマルとは、原発の運転後に発生する核廃棄物で“地上最悪最強の毒薬”プルトニウム(核爆弾の原料となる)を再利用するために、未使用のウランをプルトニウムに混合して作った燃料(MOX)を使う計画のことです。 この危険性は、各分野の研究者たちから、それこそイヤになるほど指摘されているのですが、一旦立てた計画は何が何でも押し通す日本の官僚機構、どうしても推進の立場を崩しません。

 例によって関西電力の報道課長は、同誌の取材に対して、
「(暗殺を)指示したのか確認したところ、本人(K氏)は否定しました。当時の上司と部下にも確認しましたが、誰も認識していません」と、答えています。
 いつもの答えです。私たちも電力会社や通産省(当時)には、ずいぶん取材を申し込んだものですが、いつだって回答は、この関電と同じ、木で鼻をくくったようなものでした。
 そうとうに確実な証拠を突きつけても、「そのような文書は把握しておりません」とか「それはすでに廃棄されており、本物かどうか確認できないので、コメントできません」などという中身のない回答がほとんどでした。
 電力会社や関係官庁の対応のひどさは、今回の柏崎刈羽原発の地震災害の際に始まったことではないのです。
 しかし、今回のこの『週刊現代』の記事は、そんなことでお茶を濁せるようなものではない。

 かつて、田原総一郎氏が若かったころに書いた『原子力戦争』(講談社文庫収録)という衝撃的な小説があります。いわゆる原発利権をめぐる暗闘や殺人、原発そのものの危険性を、告発した小説です。これは発表当時、「小説の形を借りてはいるが、中身はほとんど事実である」と評された話題作で、のちに黒木和男監督によって、映画化(1978年)もされています。
 現在では、すっかり政府に擦り寄る“ジャーナリストもどき”になってしまった感のある田原さんですが、これ1冊だけでも評価には値すると言っておきます。
 そんな小説と同じようなことが、実際に起きていたとしたら、これはほんとうに由々しき事件です。
 来週の『週刊現代』の記事に、注目します。

 偶然でしょうが、「マガジン9条」では、先週と今週の2週にわたって、『原発崩壊』の著者・明石昇二郎さんのインタビューを掲載しています。
 併せて読めば、日本の原発行政の裏側の漆黒の闇の深さに、慄然とするでしょう。

(小和田 志郎)

「裁判員制度」をどうしても始めるなら…

 先週のこのコラムで、「裁判員制度」と「死刑判決」について触れた。
そこで私は、「厳罰化が進む裁判とメディアの影響」について、特にワイドショーなどのテレビ・メディアが、一方的に被害者感情に依拠して応報(仇討ち)主義的な報道を繰り返すことによる弊害について書いた。
 「被害者の人権を守れ」、「被害者家族の悲しみを忘れるな」、「もしお前の家族が殺されても、お前は死刑に反対するのか」といった、とても分かりやすい議論だけが繰り返され、「少し冷静になって、死刑制度そのものについて議論を深めよう」などという意見は、ほとんど無視される傾向にあること。そして、そのようなメディアによって動かされた世間なるものの動向が、裁判結果に無視できない影響を与えているのではないか。
 私は、そんなふうに書いた。

 (この記事については、クレヨン伯爵さんからとても丁寧な私信メールを戴いた。私信なので、「みんなの声」欄には掲載できないけれど、ここでお礼を述べておきたい)

 どうも、その見方は外れてはいなかったようだ。
 朝日新聞(3月17日)に、こんな記事が載っていた。
 <昨年、福岡地裁であった模擬裁判の評議では、交際相手を殺害した女性被告の量刑が議論になった。裁判員役の20代の女性は、被告の母親役の「出所したら、家族として迎え入れて普通に暮らしたい」という言葉に強く反発。「他人の家族を壊しておいて『普通に暮らす』とは虫がよすぎると考えたからだ。
 この様子を別室のモニターで見ていた検察官や弁護士は驚いた。「身元引受人がいるのは被告にはプラスの情状のはずなのに」「僕らのこれまでの常識が通用しない。裁判官より裁判員の方が犯罪に厳しい」(後略)>

 なぜこんなことが起きるのか。最近の風潮なのか。
「自己責任」「厳罰主義」「犯罪抑制効果」「被害者家族の感情」「応報主義」…。最近のテレビ報道は、ほとんどがこの路線に乗っている。とすれば、裁判員になった一般人が、その報道に影響されることは避けられまい。 これでは公正な判決を期待できない。

 では、テレビを含めたメディアの犯罪報道を、規制するべきなのか? いや、それは危険だ。思想表現報道の自由に著しく反することになる。むしろ、権力側の思うツボだ。ならばどうすればいいのか。
 私は、報道機関のいま以上の自主規制を熱望する。

 現在、「放送と人権等権利に関する委員会(BRC)」という機関があり、放送による人権侵害やプライバシー被害などの審査を行っている。1997年にNHKと民放各局がつくった、いわゆる自主規制機関であり、現在は、竹田稔(元東京高裁判事、弁護士)委員長のもと、崔洋一(映画監督)、中沢けい(作家)など9人の委員が審議に当たっている。
 しかし、いかんせんあまりに少人数、しかも非常勤である。これでは、嵐のようなスクラム報道にはとても太刀打ちできまい。ここに、徹底的な増員を行う必要があると考える。むろん、政府機関関係者は、絶対にタッチできないようなシステムにしなければならないのは当然のことだ。
 この程度では、完全な対策にはならないだろうが、とにかくそれが、「裁判員制度」が開始される前の絶対条件だと強く提言したい。
 それでも「裁判員制度」が始まってしまうのなら、せめて、刑の重さを決めるという「量刑」だけは、裁判員の判断から外すべきではないか。
 被害者になり代って裁判員が刑を下す、というのでは裁判制度の根幹が崩れる。裁判は「仇討ち」の場ではないはずだ。

 最後に、『死刑』(森達也著、朝日出版社)を、強力にお薦めしておく。どんな状況があろうとも、人を殺すということを肯定できないあなたに…。

 <生きていてはいけない人って、いるのだろうか。> (同書の帯より)

(鈴木 耕)

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