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2013-02-20up

B級記者どん・わんたろうが「ちょっと吼えてみました」

【第120回】

司法が再び容認した教育委員会の「報復」~元三鷹高校長の2審判決が浮き彫りにしたこと

 1審に続いて、2審も「全面敗訴」だった。

 東京都立三鷹高校の校長だった土肥信雄さん(64)が、職員会議での挙手や採決を禁じた都教委の通知を批判したところ、定年退職後の非常勤教員への採用試験で不合格にされたとして、都を相手に賠償を求めた訴訟。東京高裁は2月7日、1審の判断を支持し、土肥さんの控訴を棄却する判決を言い渡した。

 哀しいことに、この種の訴訟ではお馴染みの風景になってしまったが、判決の言い渡しは、わずか10秒ほど。市村陽典裁判長が「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする」と事務的な口調で主文を告げると、3人の裁判官はあっという間に法廷から去って行った。

 法廷に残った土肥さんは「残念でしたけれど、これからも闘います」と悔しさをかみ殺すかのように淡々と一言。しかし、裁判所の正門前に出てマイクを握ると、「即刻、(最高裁に)上告です。全く不当な判決で許せません」と語気強く判決を批判した。高裁の審理では三鷹高校で土肥さんの部下だった教員の証人尋問が行われ、土肥さんに有利な証言をしていただけに、なおさら納得できない様子だった。

 1審判決などの際に当コラムでも取り上げてきたが、訴訟での主な争点は2つあった。1つは、職員会議での挙手・採決の禁止が、憲法が定める表現の自由や教育の自由を侵したり、教育基本法上の「教育現場への不当な支配」にあたったりして、違憲・違法かどうか。そして、もう1つは、それに反対した土肥さんを非常勤教員の採用試験で不合格にしたことが違法かどうか、である。

 合格率が97.2%だった2009年の非常勤採用試験で、校長だった土肥さんは「仕事の成果」「職務遂行能力」「組織支援力」「職務の理解・実践力」の4項目と総合評定(絶対評価)が、すべて最低ランクの「オールC」だった。790人中、790位。こりゃどう考えたって、都教委を批判したことに対する「報復」「見せしめ」としか受けとめられない。土肥さんは、非常勤教員に採用されていれば得られるはずだった報酬相当額など1850万円の賠償を求めていた。

 東京高裁の判決は、土肥さんの教え子や保護者らが提出した多くの陳述書を引いて、土肥さんが生徒に慕われ、「教師として求められる重要な一面において優れた能力を持っていた」と認めた。1審判決にはなかったことだった。

 しかし、非常勤教員の採用の話になると、一転して都教委の主張を丸呑みする。「任命権者の都教委は選考にあたり、どのような要素をどの程度重視するのかを含む広い裁量権が認められる」とした時点で、土肥さんに勝ち目はない。

 「非常勤教員は配置された学校の校長の指揮・監督のもとで、校長の指示する職務を適切、円滑に遂行することが求められる」から、「組織内の人間として行動する能力の有無を中心に土肥さんを評価し、不合格にしたことは、裁量権の逸脱・濫用にあたるとは認められない」と述べた。

 挙手・採決禁止の通知を批判したことが土肥さんの不合格に反映されたとしても、同様の理由で「許されないとする理由はない」と指摘。この問題で都教委に公開討論を求めたり記者会見を開いたりした土肥さんの言動を「あくまでも自己の主張を通そうとする態度をとった」と悪意的に解釈し、上司の指示を理解したり組織への協力・調整をしたりする能力に欠けると評価したことが「根拠となる事実に欠けると言うことはできない」と言い切った。

 土肥さんにとっては、1審より後退した内容だそうだ。都教委の「報復」に、さらに強いお墨付きを与えてしまった格好である。

 もっとも、そうすると「重要な一面において優れた能力を持っていた」土肥さんが「オールC」をつけられるのはおかしくないか、という疑問が湧く。これについて判決は、非常勤採用の選考は「在職中の業績評価とは異なる」と逃げてしまった。

 要するに、非常勤教員には生徒に慕われるような指導をする先生よりも、上司の命令に従う従順な先生を採用するのだと、行政と司法が一体になって宣言してしまったのだ。生徒の方なんか見向きもせず、組織の管理だけを優先する論理である。退職を控えた現職の先生たちへの影響も大きいことだろう。怒りを通り越して、哀しくなってくる。

 その前提になった挙手・採決の禁止についても、判決は都教委の裁量権を幅広く認めてしまった。

 判決はまず、高校の校長が「職員会議の運営方法についての裁量権を持つ」と認めながらも、都教委は「行政機関としての管理権に基づき、校長に対して包括的な支配権を持ち、その指揮・監督は法令により校長の権限とされている事務にも及び、特に必要がある場合には具体的な命令を発することもできる」と述べた。

 そのうえで、挙手・採決の禁止通知は、都教委が「法令上認められた権限に基づいて発したもの」であり、職員会議での挙手によって校長の意思決定を拘束しかねない運営がされていた学校を支援するためという目的も不当ではないとして、適法と判断した。

 さらに、今回の通知が出たとしても、挙手・採決以外の方法で教職員の意見を聴くことができるので、職員会議での校長の裁量権がなくなるわけではないし、「ただちに教育現場における民主主義的議論が奪われることにはならない」と解釈。

 また、通知は職員会議の運営方法という組織内部の技術的事項を定めるもので、「教育の中立性・不偏不党性の確保の要請に反するものでも、教師と生徒の間の教育における自主性尊重の要請に反するものとも認められない」とも述べ、「教育現場への不当な支配にはあたらない」と結論づけた。

 いやはや、なんとも。土肥さんが漏らしていたけれど、たしかに「土肥敗訴ありき」で導かれた論理に見える。

 勘違いされがちだが、土肥さんは通知を批判したけれども、三鷹高校の職員会議で挙手をさせたり採決を取ったりしたわけではない。自らは通知に従っていた。当然、このことを含めて懲戒処分を受けたことはなかった。だから都教委は、非常勤教員への不合格という姑息な嫌がらせをするしかなかった、というのが事の真相だろう。

 判決後の報告集会で土肥さんは「私は『文句ばかり言っている』と判決に指摘されたが、都教委の指導には従っていたし、挙手・採決の禁止に対しても説明を求めただけ。それで『組織になじまない』とされるのはおかしい」と反論した。

 そして、上告して最後まで闘う理由として「生徒のためです」ときっぱり。挙手・採決禁止に反対したのも「先生の声を聞かないで、どうして生徒のことがわかるのか、という思いから」と強調していた。職員会議の言論の自由にとどまらず、何より生徒への影響を心配する土肥さんの基本姿勢がにじみ出ていた。

 吉峯啓晴弁護団長は「子どもたちのためにどういう実践をするかが学校のメーンテーマとなるべきなのに、判決は教育委員会の言うことを聞くかどうかが重要だと認めてしまった」と批判した。もっともだと思う。

 いじめや体罰をはじめ、教育現場のひずみが社会問題になっている昨今。どんな先生が求められているのか、教育委員会はどんな支援をするべきなのか、が問われるべき裁判である。最高裁はぜひとも、生徒の目線に立って判決を見直してほしい。

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<上司の命令に従う従順な先生を採用するのだと、
行政と司法が一体になって宣言してしまった>判決。
それはつまり、社会が子どもたちに対して、
「言われたことに黙って従っているのが<正しい>のだ」というメッセージを、
堂々と発信するということでもあります。
それは果たして「教育」と言えるのか。
本当に子どもたちに教えたいことなのか。
先日、政府の教育再生実行会議で「道徳を正規教科に」との提言がなされたこととも、
どこかつながっているように思えます。

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どん・わんたろうさんプロフィール

どん・わんたろう約20年間、現場一筋で幅広いジャンルを地道に取材し、「B級記者」を自認する。
派手なスクープや社内の出世には縁がないが、どんな原稿にも、きっちり気持ちを込めるのを身上にしている。関心のあるテーマは、憲法を中心に、基地問題や地方自治、冤罪など。
「犬になること」にあこがれ、ペンネームは仲良しだった犬の名にちなむ。「しごと」募集中。

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