戻る<<

マガ9トークイベント:バックナンバーへ

080903up

◎報告!「戦争と9条と国際貢献を考えるアツーイ夏の一日。」

8月10日(日)新宿ネイキッドロフトで行われた、
〈マガ9・トークイベント〉の一部収録です。

第2部 9条を持つ日本の国際貢献はどうあるべきか〜自衛隊の海外派遣をめぐる気になる同行と問題点〜 トーク:伊勢崎賢治さん

伊勢崎賢治(いせざき・けんじ)957年東京生まれ。大学卒業後、インド留学中にスラム住民の居住権獲得運動に携わる。国際NGOスタッフとしてアフリカ各地で活動後、東ティモール、シェラレオネ、 アフガニスタンで紛争処理を指揮。現在、東京外国語大学教授。紛争予防・平和構築講座を担当。著書に『武装解除 紛争屋が見た世界』(講談社現代新書)『自衛隊の国際貢献は憲法九条で』(かもがわ出版)などがある。

 今日は、自衛隊のことから少し広げて、各国が「世界平和」という名目で軍隊を出す、そのことについてお話をしたいと思います。実は僕は防衛省と非常に仲が良くて(笑)、毎年2回、いわゆる幕僚監部の候補生を相手に講演をしているんですけれども、今からお話しすることは、そのままそこで話している内容です。

 日本はこれまで、海外に何度か自衛隊を出してきましたけれども、その法的根拠については、世論的にも、もしくは国会でもほとんど議論がされてきませんでした。自衛隊や各国の軍隊が派遣される、その現場にいた者としては、非常に違和感があります。

 その、海外での軍事行動の法的根拠を考える上で、非常にいい題材となるのが、今のアフガニスタンです。僕はたまたまそこでつい最近まで活動をしていましたので、まずその話をしたいと思います。

●アフガンDDRという「ババ」を引いた日本

 アフガニスタン問題の事の発端は、2001年9月11日の同時多発テロです。アメリカ合衆国は、これを本土攻撃ととらえ、それを仕掛けた国際テロ組織アルカイダをかくまったということで、当時のアフガンのタリバン政権に対する攻撃を開始しました。「不朽の自由作戦(OEF)」ですね。国連憲章の51条が保障している「個別的自衛権の行使」によるものです。

 この戦争は、一応合衆国側の勝利ということになりました。タリバンやアルカイダは殲滅されたわけじゃありませんし、オサマ・ビンラディンもまだパキスタンで生きていますが、タリバン政権を倒したということで、一応の勝利は得たわけですね。

 このとき、アメリカは一つの結論に達します。このアフガンの地を親米の新政権によって統一しない限り、9・11のようなことはまた起こりかねない。アフガンを安定化しない限り、アメリカにとっての安定はない。そしてこの「アメリカの安定」は、そのまま「世界の安定」でもあると、当時は考えられていたわけです。

 しかし、アフガンに統一政権を樹立して、法による支配、民主国家による支配を実現するにあたっては、邪魔者がいました。それが、タリバン政権下ではずっと駆逐されていた他の軍閥たちです。彼らは、対タリバン戦においては「北部同盟」として結集し、アメリカ側について戦いましたが、タリバン政権を倒すと即座に、また内戦に突入していました。

 国家をゼロからつくるときには、大変残念なんですが、やはり暴力装置が必要です。新しい国軍をつくり、警察をつくる、それによって初めて憲法を創案し、法の支配を実現することができるわけです。それなのに、新しい政権の軍隊や警察より強大な軍を持つ勢力が周りに点在していては意味を持たないんですね。

 さらに、その軍閥たちの力の背景になっているのが麻薬生産でした。彼らはタリバン政権崩壊直後から、それまで禁止されていた芥子の栽培を再開したんですね。外貨を得て武器を買うためです。アメリカが自分たちを邪魔者にしているという恐怖を感じ取っていたこともあるし、もちろん内戦の資金が欲しかったということもあるでしょう。わずか1年を経ずして、アフガンはなんと世界最大の麻薬産出国になってしまったんです。

 そうした状況の中、アフガンに統一国家をつくるためには、まず国軍、警察、司法、そして麻薬の問題を何とかしなくちゃならない、そしてそれをやるためにはDDR(武装解除)が必要だということになった。

 しかしこれらについて、国連は基本的に何もしません。これは当たり前で、アフガンはアメリカという一加盟国、一常任理事国の戦争の場にすぎないわけですから、国連が軍事的なコミットメントができるわけはないんです。仮にやろうとしたら、中国やロシアが絶対反対します。

 こうした取り組みはすべて二国間援助でやることになり、国軍はアメリカ、警察はドイツ、司法はイタリア、麻薬はイギリスが担当することになった。そして、そこでどういうわけか日本がDDRという「ババ」を引いてしまったんですね。事実、他の部分は先にすべて決まっていて、誰にババを引かせるか、待っていたような状態だったんですよ。それを引いてしまったのは、内容をよく知らずに受けてしまった、当時の川口順子外務大臣でした。

 それで外務省は慌てて、国連の一員としてアフリカのシェラレオネの武装解除と内戦終結を成功させた経験のあった僕に話を持ってきた。それで僕は、アフガンに行くことになったわけです。

●日本の「中立」イメージがDDRという駆け引きを成功させた

 このアフガンのDDRについては、僕自身も含めて誰もが失敗すると思っていたと思います。

 そもそも、イスラム戦士にとってのカラシニコフ(銃)は、武士にとっての刀みたいなもの。魂なんです。子どもが成人になれば、必ず銃の扱いを教えるし、武装するのが当たり前。ですから、武装解除というのはある種のタブーで、その言葉を口にすることもできないような状態でした。

 しかも、武装解除とか停戦合意というのは普通、戦いが最終局面に近づいて、どの勢力もちょっと疲れてるときにやるんですね。しかしこのときは違った。軍閥たちはタリバン戦に勝利したばかりで、軍備をどんどん増強しているようなときです。誰も全然疲れていないんですね。

 それでも、本当に大変な思いはしましたけれど、2年間で、軍閥の力の象徴であった重火器類を、ほとんど100%新しい国軍の管理下に置くことができました。

 どうやったのか。武装解除というのは、基本的にお金と口です。平和の価値をみんなに説いてとか、そういう話じゃありません。武器を置いて新しい政権に入れば、トップの連中にこんなポストが約束されるとか、一般兵士には恩赦やこんな復員事業があるとか、そういう利害調整、駆け引きなんですね。ゲームのレフェリーのようなもので、中立性のある人間が間に入って、皆に「こいつらが言うなら信じられる」と思わせて武器を置かせるわけです。

 さて、これを誰がやるか。国連はやらないし、アメリカやその同盟国は信用されていない。しかし、日本がやったらうまくいってしまった。それが憲法9条のおかげであるという暴論は吐きたくありません。しかし、戦後60年で培われた我々の体臭、人畜無害であまり警戒心を抱かせないという特質が、功を奏したのは確かだと思います。

 また、こうした現場で信頼醸成をしながら武装解除に持っていくといった役割は、非武装で行うのが鉄則です。ですから、このときも武装した自衛官は1人も使いませんでした。一等陸佐を1人、非武装で使っただけです。あと使ったのはお金と、政治力と、我々のイメージ。これをもって僕らは、DDRを完了させたわけです。

 このプロジェクトには、皆さんの血税である、ODA予算100億円を使いました。しかし実はこれは、厳密に言うとODA大綱違反なんですね。

 武装解除というのは、武器を地上からなくすためにやるのではない。新しい国軍をつくるためにやるものです。アフガンの場合も、アメリカが担当して立ち上げた新しい国軍が、DDR完了によって唯一の暴力装置になった。彼らは今、アメリカが進める対テロ戦のOEFの最前線で戦っています。そして彼らが使っている武器は、僕らがDDRによって集めたものなわけです。

 その意味で、これは明らかに対米軍事協力だし、ODA大綱違反です。本当はいけないんです。でもやってしまった。なぜか。

 アフガン戦やイラク戦から人類が教訓を学べるとしたら、それはたった一つ、どんな「正義」があろうと、戦争はしてはいけないということでしょう。 しかし、そのことと、起こってしまった戦争をいかに終結させるかというのは別の話です。

 つまり、我々がブッシュの始めた戦争が正しかったかいけなかったかを議論している間にも、一般市民が、女性や子どもが死んで行っているわけです。これを厳粛に我々は受け止める必要がある。

 だから、一度起こってしまった戦争は、絶対に早く終結させなくてはなりません。そして、僕はこのとき、政権を樹立してアフガンの地を安定させることが、この「対テロ戦」という間違った戦争を終わらせる一番の方法ではないかという結論に至り、それに協力することにした。それが、僕なりの正義だったわけです。

●テロリストを生み出しながら進行するOEF

 しかし、そうしてDDRを終わらせたアフガンの状況は今、実は大変に悪くなっております。

 武装解除というのは、必ず力の空白を生みます。盛り場などでも、一人の大親分に力があればあるほど、みんながそれを怖がって治安がよくなるということがありますが、それと同じです。その親分を武装解除してしまうことで、新たな火種が出てくるんですね。

 ですから本来、国連が武装解除を担うときには、平和維持軍を大量に入れてその力の空白を埋めるんですが、アフガンの場合はそうじゃなかった。だからなおさら、国軍と警察をちゃんとつくって、法の支配を確保することが大切だったんです。

 しかしその当時、2004年の時点では、国軍も警察もまだ全然育っていませんでした。ですから、僕は武装解除をいったんやめるか、スピードを抑えるかしようとした。しかし、それはできませんでした。その背景になったのがこの年に行われた、ブッシュが再選された米大統領選です。

 このとき、もうすでにイラクは泥沼状態でしたし、ブッシュはせめてアフガンでは成功例を示したかった。それで、ワシントンから「大統領選の前にアフガンの選挙をやれ」と、大変な圧力が来たんです。そしてそれまでに、選挙の前には武装解除を完了させなくてはならないというコンセンサスをつくっていたのは僕自身でした。結果として、僕は自分で自分の首を絞めることになったわけです。

 結局、国軍や警察の力が確立しないまま北部同盟の軍閥たちを武装解除したことで抑止力がなくなり、アフガンではタリバン、アルカイダが力を盛り返すことになりました。これは当然予想されたことだったんですが。

 そしてまた、我々が「武装解除」という形で免罪符を与えた軍閥の司令官らは、2004年の選挙に出てみんな政治家になり、さらに麻薬をせっせとつくり始めました。今はもう、アフガンは世界で流通する芥子の9割を一国でつくる、史上最大の麻薬国家になってしまっています。

 国軍もまだ弱く、警察は腐敗の権化。司法も駄目だし、麻薬もそういう状態ということで、アフガンの国づくりのための取り組みのうち、完了したのは武装解除だけということですね。そしてそれも、完了はしたけれど成功はしていないということです。

 そんな中で、OEFは今、大変な窮地に陥っています。内部崩壊の危機にあるといってもいい。

 その大きな背景は、作戦による一般市民へのコラテラルダメージ(二次被害)です。米軍は、このあたりにテロリストがいるらしいということで爆撃をするわけですが、テロリストは1人で山の中にこもってるわけじゃなくて一般の居住区に潜伏しますから、当然周りにいる人たちが巻き添えになる。子どもや、アフガンでは文化的に絶対に戦闘員になり得ない女性も含めて、ですね。

 それが少数であればまだ、どんな軍事作戦にも犠牲は伴うということで許容範囲なのかもしれませんが、去年の犠牲者は約1000人。毎年、このくらいの数の人が死んでいっています。そうなれば「いくらなんでも」という話になり、人々の憎悪はアメリカに、その向こうに見えるカルザイ政権に向かう。そして多くが、タリバンの側に寝返ってしまうんです。

 つまり、テロリストをどんどん新しくつくりながら作戦が進行している、これが今のOEFの状態だと言えると思います。

後半へつづく

米軍などによる攻撃が始まってからまもなく7年、ますます混迷を極めるアフガニスタン情勢。
日本がそこで行う「支援活動」の法的根拠とは?
そもそも、「海外へ自衛隊を派遣する」とはどういうことなのか?
現場での体験に根ざした、伊勢崎さんのお話は続きます。。

ご意見フォームへ

ご意見募集

マガジン9条