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2010-09-29up

40歳からの機動戦士ガンダム【第13回】ガンダムで描かれる軍内部での対立 その3

 前回から旧日本軍内での陸軍と海軍の対立について書き始めましたが、先日、ちょっと面白い光景に出くわしました。100人程度が参加したある宴会の席でのこと。料理やお酒が出され、会の後半になるとカラオケタイムとなって壇上でマイクを握って歌う人が続きました。そこに髪を七三に分けた50代と思われる長身の紳士が登場。曲のイントロが流れ始めると「自分は航空自衛隊ですけど、海軍の歌を歌います(笑)」と、谷村新司さんの『群青(ぐんじょう)』を歌ったのです。

 この曲は、旧日本海軍連合艦隊の太平洋戦争開戦から終焉までを描いた『連合艦隊』という映画の主題歌。確か、中井貴一さん扮する特攻隊員が戦闘機で敵艦に向っていくシーンのバックで『群青』が流れていたように記憶しています。
 この曲を自衛隊の方が歌うこと自体を別にどうこう言うものではありませんが、「自分は航空自衛隊ですけど、海軍の歌を歌います」と、わざわざ断わるところに、ちょうどこの原稿を書いていた私は興味を持ってしまったというわけです。

 1945年の敗戦後、警察予備隊、保安隊を経て54年に陸海空3つの組織として自衛隊は誕生したわけですが、旧日本陸海軍の人材が登用されたため旧組織の確執を引きずった揉め事が多かったようです。あるときなどは、兵器の購入をめぐって、陸上自衛隊と航空自衛隊のトップ同士が会議の席で灰皿を投げ合って喧嘩をしたなんていうエピソードもあります。
 陸海空を統合した教育機関である防衛大学校出身の人間がトップに就いて以降は、旧日本軍時代の影響は少なくなったようですが、先のカラオケを歌った方のように、陸海空の意識の差というは、ついつい出てしまうものなのでしょう。

 さて、「お勉強モード」が続きますが、今回も旧日本陸海軍の対立について見ていきたといと思います。


陸軍との予算獲得争いがエスカレートし、
対米戦争から引き返せなくなった海軍

 日本という国家、そして軍部にとって、日露戦争(1904~1905年)の勝利が過信につながり、後々の大きな過ちにつながったという指摘があります。その是非はともかく、いずれにしても日露戦争後の日本には、軍事的な今後の目標を定める必要がありました。そこで1907年に作成されたのが「帝国国防方針」で、ロシア、アメリカなどを仮想敵国としたことと共に、陸海軍それぞれが将来的に目指すべき規模を明記したことが大きな特徴でした。

 そこに示された規模は、陸軍=50個師団(50万~100万人)、海軍=八八艦隊(戦艦、巡洋艦各8隻)というもの。これは、軍部の中にすら、非現実的で国家が破産すると心配した人がいたほどで、当時の日本にとって壮大すぎる規模でした。しかし、いったん決められた数字は一人歩きするもので、このあと陸海軍の予算獲得の争いにつながっていきます。

 日露戦争で完璧な勝利を獲た海軍は「制海権」の重要性を唱え、艦艇建造が至上命題だと莫大な予算を要求し続け、多いときには国家予算の30%以上を海軍の軍事費が占める異常事態となりました。現在、世界一の軍事大国アメリカですら、軍事費は国家予算の20%程度なのですから、海軍の軍事費がいかに多いかお分かりいただけるでしょう。

 一方の陸軍も、総兵力100個師団とも言われる強大なロシア陸軍を相手にするためと軍備拡大を主張し、時には政府に圧力をかけます。例えば、1910年の韓国併合後、朝鮮半島の軍事力増強を求めた陸軍に対して、時の内閣はこれを拒否。陸軍は、陸相を閣内に送らないことで内閣を総辞職に追い込みます。

 陸軍の政治介入はこの後も続きますが、その点では海軍も同じでした。時の海軍大臣が首相に対して辞任をチラつかせたり、閣議での署名を拒否したりすることで、「海軍拡充案」を押し付けようとしたのです。
 陸軍はロシアを、海軍はアメリカを仮想敵国とし、予算獲得競争をエスカレートさせていきますが、その行き着いた先が太平洋戦争でした。


「海軍反省会」で明らかになった
予算獲得のために叫ばれた「アメリカ脅威論」

 昨年8月、『日本海軍400時間の証言(全3回)』というドキュメンタリーがNHKで放送されました。
 旧日本海軍の元大尉から中将まで、海軍中枢にいた延べ40人の元将校たちが参加した「反省会」が昭和55年から11年間にわって開催されたのですが、同番組では、その模様を記録した225本、400時間の録音テープをもとに会議の模様を再現。130回以上開かれた会議は、非公開という決まりがあったことなどから、出席者のホンネがよくわかるものでした。

 番組第1回「開戦“海軍あって国家なし”」では、多くの海軍将校がアメリカとの戦争に不安をいだくなか、海軍トップで戦争を実質的に指導した軍令部(作戦を立案する天皇直属の機関)が、なし崩し的に開戦へと突き進んだ模様が明らかにされていきます。

 たとえば、海軍軍令部総長の永野修身大将が「海軍が戦争に反対すれば右翼や陸軍が内乱を起こす」「内乱を起こされたとき陸軍には人数上かなわない」「その結果、海軍は陸軍や右翼による政権の支配下に置かれる」というようなことを話していたと元将校が証言。開戦決断の理由のひとつは「陸軍から海軍を守る」という組織防衛のためだったのです。

 そして、開戦の大きな決め手となったのが、予算獲得競争にまつわる海軍側のメンツだったことが、以下の証言によって明らかにされます。

 「予算獲得の問題がある。それが国策で決まると、大蔵省なんかどんどん金くれるんだから。(中略)臨時軍事費がドーンと獲れる。好きな準備(軍備)がどんどんできる。海軍の心理状態は非常にデリケートで、本当に日米交渉を妥結したいと、戦争しないで片づけたいと(思った)。でも海軍が意気地がないとかなんとか言われることはしたくない」

 同番組で紹介されたこの証言は、軍令部第一委員会にいた高田利種大佐(後に少将に昇進)が「反省会」とは別の場で海軍関係者に語ったもの。「アメリカと戦うにはもっと軍艦が必要だ。予算をもっとよこせ」とアメリカの脅威を喧伝して予算を獲得してきたため、今さら「戦争はできない」などと言えなくなったというわけです。
 確かに、大正5(1916)年度予算から海軍の予算が陸軍を上回り続け、大正9年度には、陸軍2億4700万円に対して海軍4億300万円。翌10年度は陸軍が据え置きなのに対して海軍は4億8400万円に増額されるなど、海軍優位の時代が続いていました(藤井非三四著『陸海軍戦史に学ぶ 負ける組織と日本人』参照)。

『陸海軍戦史に学ぶ 負ける組織と日本人』
藤井非三四著(集英社新書)
前回紹介した『なぜ日本陸海軍は共同して戦えなかったのか』(光人社)と同じ筆者が書いた旧日本軍を題材にした組織論。軍隊内の暴力、人事、戦略、情報戦、そして今回のテーマである陸海軍の対立など、多くの事例を提示しながら、日本陸海軍の作戦や行動の欠点を明らかにします。太平洋戦争や軍隊についての知識がそれほどなくても十分理解できる組織論です。

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 このことについて、現在発売中の月刊誌『中央公論 10月号』で、石破茂・自民党政調会長はこう述べています。

<軍部、特に海軍には、今さら「アメリカとは戦えない」とは言えない事情がありました。当時の国家予算のおよそ半分が軍事費、その半分以上が海軍に渡っていたのです。「戦争をしないなら」と、これが大幅に削られたら、海軍には失業者があふれる。>
<軍の上層部も政治家も、「負けるのが分かっている戦争をやる」方向に、どんどん傾いていった。そこには、本当の意味での「国策」はなかったのです。欧米では当たり前の、「どう始めて、どのようにやめるか」という、「戦争設計」さえなかった。>

 戦争をしないために日米交渉で譲歩することは、中国大陸からの撤兵をはじめとする国家としての大転換――当時の感覚からすれば大きな後退となるわけですから、海軍としてはその責任をとりたくなかったということもあります。大雑把にいえば、当時の海軍の考えは「批判されるぐらいなら戦争をしてしまえ」というあまりにも無茶苦茶なものだったと言えます。

 組織の利益を優先することで国家や国民に重大な被害をもたらす――当時の海軍の行為は、現代の政治家・政党や官僚、そして企業経営者などにもあてはまることではないでしょうか。
 先の民主党代表選では、「反小沢」か「親小沢」かをめぐって党内で激しい争いとなりました。前記のNHKの番組タイトル「海軍あって国家なし」ではないですが、ニュースから伝わってくる民主党代表選の模様は、まさに「民主党あって国家なし」という組織内の論理が最優先された茶番劇のように私には見えました。旧日本海軍の“暴走”は、現代社会にも通ずる教訓と言えます。

 今回引用した『日本海軍400時間の証言』を検証した『日米開戦を語る 海軍はなぜ過ったのか』というテレビ番組が昨年12月に放送されました。そのなかで作家の澤地久枝さんは、先の反省会に出て証言している海軍の幹部たちは「軍令部とか海軍省とかエリートの方へ行った、実戦部隊ではそんなに仕事をしていない人たち」だと指摘し、「生き残りエリートの会議だなという感じが増します」と話していました。
 戦場を知らないエリートたちが机の上で決めたことによって、前線の兵士や一般市民の多くの命が奪われる結果となったわけですが、澤地さんの指摘を聞いたとき、私はガンダムのなかのある登場人物を思い浮かべました。主人公アムロが所属する地球連邦軍参謀本部のゴップ大将です。

 でっぷりと太った身体、嫌味な物言いと表情が特徴的な人物で、「(連邦軍最大の軍事基地)ジャブローの深部に安穏と暮らし、安全地帯から人間の命を駒の如く扱う、富野由悠季描くところの”悪い大人”」なんていう言い方もされています(宝島社刊『決定版 僕たちの好きなガンダム』より)。ゴップ大将の登場シーンはそれほど多くはありませんが、「永遠の厄介ものかな。(アムロたちの乗る軍艦)ホワイトベースは」と敵に尾行された自軍を嘲り、その敵の情報をアムロたちに一切知らせないという、そんな行為自体がゴップ大将の人物像をよく表しています。
 このような前線を知らないエリート高官の醜い姿が描かれているところも、ガンダムという作品の特筆すべき点ではないかと私は思います。

 さて、ここまで書いてきたのは、改めて言うまでもなく、日米開戦前の旧日本陸海軍のこと。戦いの前だからこそ内部で争う余裕があったとも言えますが、実は開戦後も陸海軍の醜い対立は激化していきます。組織のために味方を欺く行為や、資源獲得にまつわる争いなど、まさに前回ここで書いた、ガンダムで描かれたような軍内部の争いが陸軍と海軍の間で展開されたのです(次号につづく)

(氷高優)

※上記以外の主な参考文献は、この項の終わりに明記します。

前回、この欄で、ついに「ガンプラを買ってしまった」ことを書いたところ、このコラムを読んでくれている方から「うちにもこんなのがあったよ」と写真が送られてきました。「1982年製造。1/60シャア専用ザク」だそうですが、説明書に載っているバンダイの古いロゴが時代を物語っていますね。1980年の発売から今年で30周年となるガンプラですが、累計販売数はなんと4億個以上。多くのガンプラを世に送り出している「バンダイ・ホビーセンター」は、静岡の地場産業とも言えるでしょう。いつか工場見学に行ってみたいものです。

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