戻る<<

伊勢崎賢治の平和構築ゼミ:バックナンバーへ

伊勢崎賢治の平和構築ゼミ

090930up

アフガニスタンでの武装解除を指揮した伊勢崎賢治さんは、現在、東京外国語大学で平和構築・紛争予防講座長を務めています。そのクラスには、世界各国から学生たちが集まっています。学生といっても、紛争地から国費留学でやってきた、国を再建する命を受けている官僚の卵や、国連の元上級幹部など、出身地もバックグラウンドも実に多様。
「マガ9」では、伊勢崎さんをナビゲータとして、学生たちの出身国、出身地の現状について紹介。伊勢崎さんとのやりとりを通して、国際平和を作るために何が求められているのか? 生の声を聞きつつ、日本の現実的で有益な国際協力について考えていきましょう。

第5回:デズモンド・マロイさん(アイルランド出身)(その1)「北アイルランド紛争とアイルランド国軍」

伊勢崎賢治 いせざき・けんじ●1957年東京生まれ。大学卒業後、インド留学中にスラム住民の居住権獲得運動に携わる。国際NGOスタッフとしてアフリカ各地で活動後、東ティモール、シェラレオネ、 アフガニスタンで紛争処理を指揮。現在、東京外国語大学教授。紛争予防・平和構築講座を担当。著書に『武装解除 紛争屋が見た世界』(講談社現代新書)『自衛隊の国際貢献は憲法九条で』(かもがわ出版)などがある。

Desmond Molloy(デズモンド・マロイ)●1957年、ダブリン生まれ。アイルランド国軍大尉としてレバノン国連平和維持軍、カンボジア国連軍事監視団に参加した後、退役。シエラレオネ、ハイチで国連PKOの武装解除の責任者などを務める。現在、東京外国語大学大学院平和構築と紛争予防講座伊勢崎研究室の特別客員研究員、国連開発計画(UNDP)武装解除・動員解除・社会復帰担当シニア・アドバイザー。

国内安全が第一使命だったアイルランド国軍

伊勢崎  あなたとはずいぶん長い付き合いになりますね。もう何年になるのかな。

デズモンド  9年? 8年かな。

伊勢崎  初めて会ったのは東ティモールですよね。

——2001年、インドネシアからの独立のため長い内戦を経たばかりの東ティモールに、伊勢崎さんは国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)の一員として赴任した。肩書は「コバリマ県知事」。西南部コバリマ県のトップとして、行政・治安などのすべてを取り仕切った。
 このとき、伊勢崎さんのもとに配属されたスタッフの1人がデズモンド・マロイさん。アイルランド共和国出身のデズモンドさんは、かつて所属していたアイルランド陸軍を早期退職後、国連やNGOの職員として人道支援の現場で活動を続けていた。
 これを縁に、デズモンドさんはその後、シエラレオネでも伊勢崎さんの片腕として、民兵の武装解除を担当し内戦終結に貢献。現在は「特別客員研究員」として伊勢崎ゼミに所属している。

伊勢崎  あなたはこれまでにいろいろな活動に関わってきているけれども、今日はまずその原点ともいえる、アイルランドでの体験から聞いていきましょう。
 アイルランド国軍に入隊したのはいつのことですか?

デズモンド  高校を卒業してすぐ、士官学校に入りました。そこで2年間学んだあと、陸軍の砲兵隊に入ったのです。

伊勢崎  そこではどんな活動を?

デズモンド  当時のアイルランド軍、中でも陸軍というのは、「国内の安全を守ること」にその使命の重点が置かれていました。とりわけ、私が入隊した1975年ごろは、北アイルランド紛争が非常に激しくなっていた時代でしたから。

——「北アイルランド」とは、北大西洋に浮かぶアイルランド島の北部、アルスター地方9州のうちの6州を指す。
 16世紀から英国の植民地支配下にあったアイルランドは、1922年に英連邦の一員として独立を果たした。しかし、英国領である隣のグレートブリテン島からの移民者が多く、英国と同じようにプロテスタントが多数派を占めていたこの地域だけは、その後も英国統治下にとどまることになる。英国からの分離とアイルランドへの統合を望む、少数派カトリックを中心とする勢力(ナショナリスト)と、英領への残留を望むプロテスタント中心の勢力(ユニオニスト)との対立は、ここから表面化していくことになった。
 1960年代後半、米国などで盛んになった公民権運動の影響もあり、その対立はさらに激しさを増していく。政治や経済の中枢を占めるプロテスタントからの差別に長く苦しんできたカトリックの人々が、対等な権利を求めて声を上げ始めたのである。
 デズモンドさんが軍に入った1970年代は、そうした背景のもと、ナショナリストとユニオニスト、双方の過激派による武力闘争が激化し、毎年200〜300人もの民間人がその犠牲となっていた時期だった。中でも、ナショナリスト過激派武装組織のIRA(アイルランド共和軍)によるテロ攻撃は、大きな被害を生み出していた。

デズモンド  アイルランド共和国市民の中で、IRAを支持していたのはほんの一部の人々に過ぎなかったと思います。しかし、IRAはアイルランド国内で軍事訓練を行うとともに、なんとか一般の民衆を仲間に引き入れ、動員しようとしていた。それを防ぎ、IRAの勢力が共和国内に広がるのを阻止するのが私たちの第一使命だったのです。

紛争は、なぜ終結できたのか

伊勢崎  しかし、北アイルランド紛争は1990年代に入って終結に向かいますね。その経緯を説明してもらえますか。

——出口が見えないかにも思われた北アイルランド紛争は、90年代半ばになって大きな転換を迎える。度重なる交渉の末、1998年には、英国とアイルランド政府、そして北アイルランドのナショナリスト、ユニオニスト勢力の双方が参加しての包括的和平合意「ベルファスト合意(イースター合意、グッドフライデー合意とも)」が成立。IRAもこれに合意した。
 その後も、和平反対派によるテロ攻撃が頻発するなど、和平への道のりは決して平坦ではなかったものの、2005年にはIRAの完全武装解除が完了。一時期は停止されていた北アイルランド議会も復活した。デズモンドさんが指摘するように、「コミュニティ間の対立はまだまだあるし、武装勢力による殺害事件などは今も続いている」ものの、大規模な「紛争」は、ほぼ終結したと言っていい状況にある。

デズモンド  紛争が終結に向かった理由の一つは、やはり米国の介入です。かつてのブッシュ・シニア政権の時代まで、米国はあまり北アイルランド問題に関与しようとしなかったのですが、1993年にクリントン政権の時代になって、介入に積極的な姿勢を見せるようになった。その圧力がベルファスト合意につながったと言えると思います。
 さらにその後、結果的に和平を大きく後押しすることになったのが、2001年のNY同時多発テロ事件です。

伊勢崎  というと?

デズモンド  もともと、IRAは米国に住むアイルランド系市民による資金的援助のもとで活動していました。アイルランドの人口は450万人ですが、米国在住で自分を「アイルランド人だ」と思っている人は4000万近くにものぼると言われています。そして、そうした「ディアスポラ」ともいうべき人々は、IRAの闘いを「故国の独立を勝ち取るための闘い」と位置づけ、非常にロマンティックなイメージでもって支持していた。一時は、米国にあるすべてのアイリッシュパブがその資金源になっていたと言ってもいいほど、多額の資金がそこからIRAに流れ込んでいました。
 しかし、「9・11」は、その彼らの「テロリズム」に対する認識を一変させました。「9・11」が「テロ」であるなら、自分たちが支援してきたIRAの活動も「テロ」ではないか。もうこれ以上、それに与してはならないのではないかーー。そのことに、多くの人々が気づき、そしてIRAへの資金援助が激減したわけです。

伊勢崎  なるほど。

デズモンド  それによって、資金難に陥ったIRAは、和平交渉に応じて武装解除に同意せざるを得なくなりました。
 そして、もう一つ重要なのは、そのIRAの武装解除について、「降伏して武器を置け」という命令の形を取らなかったことでしょう。あくまで「自ら武装解除することを求める」という形で、実際の解除を監視したのも、カナダやオーストラリアなどの第三者機関でした。

伊勢崎  「降伏して武器を奪われた」のではなく、「自分たちの手で闘争をやめたんだ」という形を取ったんですね。

デズモンド  そのとおりです。武装解除の目的は、武器そのものの廃棄ではなくて、あくまで戦いをなくし、コミュニティの安全を図るということ。そのためには、ただ「武器をなくす」のではなくて、武器があっても使えないようにする、そうした雰囲気をつくることが重要なんだと思います。

伊勢崎  武装解除は和平の象徴として一つのステップにはなるけれど、武器そのものはいくらでもまた買えるわけですからね。そうではなくて、武器が新しく入ってきてもそれを使えないような社会的通念をつくる、「使わない」という信頼を醸成していく。それが北アイルランドにおける和平実現の手法だったということですね。

紛争終結とともに、縮小された軍隊

——さらに、この北アイルランド紛争の終結は、デズモンドさんが所属していたアイルランド共和国軍にも大きな変化をもたらした。和平の進行と並行して、軍の「リストラ」が実行され、その規模が大幅に縮小されることになったのである。

伊勢崎  具体的には、どのくらいの縮小だったんですか。

デズモンド  もともとアイルランド共和国軍というのは非常に小さくて、陸空海あわせて1万5000人程度でした。それが現在では、8500人にまで減っています。

伊勢崎  どうしてそんなことができたんでしょうか。

デズモンド  政府が「紛争の解決に伴い、国軍を縮小していく」という方針を立てたからです。私はそのころ現役の将校でしたからあまり詳しいことは知らないのですが、軍隊の適正なサイズについて検討するための特別委員会が設置された、と聞いています。
 そして、アイルランド共和国が直面している脅威について、それに対して必要な軍備について、厳密なアセスメントが行われました。その結果、全土に軍隊を展開しなくてはならないような「脅威」はもはやアイルランドには存在しない。それに対して1万5000人という軍隊の「サイズ」は大きすぎる。軍事費をカットする必要があることは明白だ、という結論が出されたのです。

伊勢崎  しかし、反対はなかったんでしょうか? たとえば、あなたも含め現役の軍人たちからは?

デズモンド  軍からの反対はほとんどなくて、武力沙汰は一つも起こっていません。将校クラスには一時金と年金が保障される、非常に有利な早期退職パッケージが用意されていたし、若い世代にも、しばらくは給料をもらいながら大学に行けたり、別の仕事を紹介してもらえたりといった有利な退職パッケージがあったんです。それもあって、多くの人々が自主的に退職に応じていった。縮小化が始まったのはちょうどアイルランド経済が上向きのときでもあったので、軍隊をやめてもいろいろと他にチャンスがあったという点で、タイミングも非常によかったんですね。

伊勢崎  なるほど。しかし、いくら紛争が終結したといっても、たとえば軍需産業などの勢力が、別の「脅威」の存在を煽って軍備増強の必要性を強調する、そして軍の一部もそこから利益を得るというケースも世界的にはよく見られますよね。現在の日本でも、政府が北朝鮮などの外的脅威の存在を煽っていますが、アイルランドではそういうことも起こらなかったということ?

デズモンド  もともと、私たちの国には「国内に軍需産業を持たない」という誓約があるんです。すべての武器はもちろん、弾薬一つとっても、自分たちの国で生産しているものはありません。そもそも、重工業自体がほとんどありませんし。

伊勢崎  そうすると、軍需業界が危機感を煽って、軍の規模の維持や拡大を狙うということも起こらなかったわけだ。

デズモンド  ええ。

伊勢崎  「紛争終結後の軍隊」という意味で、あなたの国は非常にいい例になりますね。日本もそうですが、私たちは「軍隊の適正なサイズとはどういうものか」ということを、つい忘れがちですから。
 あなた自身も、そのときの早期退職パッケージを利用して退職したんでしょう?

デズモンド  そうです。ただ、退職を考え始めたのはそれよりも前ですね。アイルランド軍兵士として国連ミッションに参加したカンボジアでの体験が、大きなきっかけになっています。

伊勢崎  では、その話を次回に聞いていきましょうか。

長い紛争を経て、「軍縮」へと向かったアイルランド。
その体験からは、日本も多くのことを学ぶことができそうです。
次回、軍隊を離れ人道支援活動に飛び込んだデズモンドさんの、
個人的な体験や思いを聞いていきます。

ご意見フォームへ

ご意見募集

マガジン9条