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この人に聞きたい
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広河隆一さんに聞いた

自分たちの足下から、説得力ある「反戦」の論理を
フォトジャーナリストとして40年近くもパレスチナ紛争の取材を続け、
2004年からは「一枚の写真が国家を動かすこともある」
「人々の意志が戦争を止める日が必ず来る」をキャッチフレーズに掲げた
フォトジャーナリズム月刊誌『DAYS JAPAN』を創刊した広河さん。
紛争地域の極限の状況を見てきた立場から、
「戦争とは何なのか」について伺いました。
広河隆一さん
ひろかわ・りゅういち
フォトジャーナリスト。1943年生まれ。
日本ビジュアルジャーナリスト協会(JVJA)会員。
著書に『チェルノブイリ 消えた458の村』『反テロ戦争の犠牲者たち』(岩波書店)他多数。
現在、フォトジャーナリズム月刊誌「DAYS JAPAN」http://www.daysjapan.net/ 編集長。
編集部 広河さんはフォトジャーナリストとして40年近くもパレスチナ紛争を取材してこられ、‘82年に撮られたレバノン戦争とパレスチナ難民キャンプの虐殺事件の写真は世界に大きな衝撃を与えました。今回のイスラエル軍によるレバノン空爆をどう見ていらっしゃいますか?
広河  82年の戦争の再来だという声も出始めています。あの時は88日間、イスラエルによる爆撃の後、虐殺事件が起こりました。今回イスラエルは、イスラエル兵を捕虜にしたヒズボラ(神の党)だけでなく、レバノン社会を徹底的にたたいています。これはレバノンの被害者が、ヒズボラに対して「彼らさえいなかったらこんな犠牲は出ないのに」と思わせるためです。イスラエルは、レバノンを分断し、再び内戦化させることを望んでいるわけです。

今こうした行動を大国、特にアメリカがけん制できないことを、イスラエルはよく知っています。「反テロ戦争」の名の下に、あらゆる暴力を行使してきたアメリカは、イスラエルの暴力を批判できません。それにアメリカの和平案がほとんど破綻している今が、チャンスでもあります。

しかしイスラエルは、この作戦を自分たちの成功のためには、

1)レバノン南部のシーア派イスラム教徒の村々を壊滅させる、

2)レバノン国家が合法政党であるヒズボラを非武装化させる、

3)シリアがヒズボラを取り締まる、

 などのことを達成させなければならないのですが、これは本当に難しく泥沼化する恐れがあります。しかしイスラエルの右派が望んでいることは、和平ではなく混乱です。そしてこうした動きの中で、双方に恐ろしい数の犠牲者が出ており、拡大しつつあります。

 国際的な平和勢力が骨抜きになっている今、市民が声を上げなくてはならないでしょう。 
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老人の膝の下には安全ピンを抜かれた手榴弾が置かれ、
誰かが遺体を動かしたら爆発するようになっていた
(レバノンのパレスチナ人キャンプ、1982 年)
戦争の真実を伝える雑誌を再び創りたい
編集部 ’04年から『DAYS JAPAN』を創刊されましたね。この雑誌を立ち上げた経緯を教えてください。
広河 ‘80年代の終わりごろ、『DAYS JAPAN』という雑誌が講談社から出版されていました。創刊にあたり、当時の仕事仲間たちが「日本から世界に誇れるような雑誌を創りたい、日本の『LIFE』(アメリカのジャーナリズム雑誌)を創りたい」ということで、手伝ってほしいと声をかけられ、創刊準備からかかわることになりました。

この雑誌は今の『DAYS JAPAN』のようなスタイルとは違い、総合誌だったのですが、企業広告に迎合することなく、伝えなければならないことは伝えるというスタンスでスタートしました。その姿勢が逆に企業から支持を得て、この雑誌に広告を出すことで企業イメージが上がると、どんどん広告が集まる状況でした。

しかし、創刊から2年弱で『DAYS JAPAN』は廃刊に追い込まれてしまったのです。内部の人事対立や、公害に関する記事など企業にとって都合の悪い内容を掲載していたことで日頃から圧力を受けていたりなど、さまざまな要因が重なってのことでした。ライターや写真家はこぞって抗議しましたが、どうにもなりませんでした。

ふたたび『DAYS JAPAN』を立ち上げようと思ったのは、9.11以降、巷に溢れているジャーナリズムそのものがおかしくなっていると感じたからです。
今、ジャーナリストと名乗っている人たちは、戦争を報道しているつもりでいながら、実は国や軍に追随することだけを仕事にしています。あたかもその国や軍が正義のために戦争をしていて、被害者が存在していないような写真や記事ばかりで、ごくふつうに暮らしている大勢の人々が爆撃を受けて血を流しているという現実はほとんど掲載されない。ジャーナリスト自身にもっと気概を持ってほしいというのもありましたが、良識あるジャーナリストたちが取材をしても、発表する雑誌がないという現実もあったのです。

それでかつての『DAYS JAPAN』を復活したいと思って、昔の編集長とアートディレクターに声をかけ、3人が中心になって会社を創りました。ちょうどその頃『DAYS JAPAN』の商標登録の期限も切れていたので、これを獲得して創刊することになったのです。
編集部 新生『DAYS JAPAN』では、どういったものを伝えようと考えていたのですか?
広河 楽しい日本や喜びの日本、趣味の日本といったものを伝える雑誌はすでにたくさん出ています。それはいわばコインの表の部分だと思うんですね。それをわざわざ僕らがまた出す必要はない。そうではなくてコインの裏の面、世の中で起こっているのに伝えられないことを扱う雑誌にしたい、と思いました。
日本の多くの人は、今現在、世界のあちこちで戦争をやっているんだという意識さえないでしょう。だからどうしても、戦争について取り上げることが必要だと考えていました。
編集部 読者はどんな人たちですか?
広河 10代から60代まで幅広い層が読んでくれていますが、半分以上が女性で、その中でも30代が比較的多いですね。読者は、この世の中ちょっとおかしいんじゃないか、でも、知りたい、知らなければいけないことが知らされてないんじゃないかと感じている方たちだと思います。憲法の集会などに行くと、年齢の高い人の割合が多いようですが、我々の集会では20代から30代の、特に女性が半分以上います。
編集部 女性の読者が多いというのは、少し驚きですね。というのも、『マガジン9条』の読者は、きちんとデータをとったことないのですが、アンケートの回答やご意見をみると、男性の割合が多いんです。ウェブ上でディベートを行う「みんなでディスカッション」のコーナーに参加しているのも、ほとんどが男性です。
広河 そうなんですか。でも男性よりは女性の方が、直感的に命というものに対しての危機感が強いと思いますよ。
photo2
バグヒシャルキャト難民キャンプで栄養失調の子どもを抱く父親。
早急に治療しないといけないが、ここには医療機関がまったくない。
(アフガニスタン、2001 年 12 月)
戦争は被害者のいないゲームではない
編集部 『マガジン9条』の読者は、30代から40代を主なターゲットにおいています。以前、9条について、日本の安全保障についてのアンケートをとったときに、結論から言うと「9条は改憲したほうがいい」という意見が多かったのですが、その理由について「憲法9条があることが、有事の際に日本を危なくする」だとか「交戦権も武器も軍隊も放棄している日本というイメージでは、近隣諸国になめられてしまう」「毅然とした態度で外交を行うには、自立した軍事力を持つことが必要である」というような声が寄せられました。
憲法を変えたいと思っている人の多くは、改憲=戦争となるとは思っていないし、決して軍事国家になりたいわけでもないはずです。でも中には、戦争も必要悪であるのだ、という意見もあったんです。
広河 戦争というものを抽象的にしか考えてないように感じますね。前の太平洋戦争に対しても、今は「戦争」という抽象的な概念だけが残っていて、具体的なことについては誰も見ようとしない。だから60年過ぎたところで「戦争は必要悪だ」というような方向に向かっていくのでしょう。
 被害者という日本の経験も、広島と東京大空襲だけは言い伝えないといけないという動きがありますが、それさえももう薄れてきているのです。まして日本が加害したものに関しては、水に流しましょうという人たちもいる。どこにも被害者のいない戦争。まるでパソコンの中のゲームのようですよ。

 実際の戦争というのは、一人の人間の体がずたずたにされて腐乱していく。その光景を見たら、一生逃れられないくらいのショックがあるのです。
  だから僕から言わせたら、それを必要悪として是にするなんていうのは、当然成り立ちませんよ。それは見ればすぐにわかること。1人の人間がそのようにして無惨に殺された光景を見ただけでそれだけのショックを受けます。ましてや何千人、何万人という人がそうやって殺されていくというなんていうのは、許されるはずがない。
 だから僕らは目をそらさずにその事実を見なければいけない。
 本当の戦争のことを知らない人が、戦争は必要悪だと言ったって、そんなものは通るはずがありません。
  原発も一緒です。チェルノブイリで起こったような本当の被害を見ようとしないから、知らないから「どんどん作りましょう」と言っているのと同じではないでしょうか。
編集部 紛争の極限状態を実際に見てこられた広河さんが、一番感じたのはどういうことですか?
広河 やはり戦争というのは人間の体が吹き飛ばされて、焼け、目鼻が外れ、腐乱し、髪の毛がバーッと壁にへばりついて、人間のどこの部分なんだろうというような肉片が転がって……、そういうことなんです。
人間の体が真っ二つになるというのは、ほんとに恐ろしい光景です。おとなだけでない。小さな男の子や女の子までも。それが戦争です。
編集部 そういったことは、なかなかイメージできるものではないですね。
広河 戦争で殺す、殺されるとは、そういうことなのです。その現実をわからずに、まるでゲームのように、自分が命令だけするような人間になるのだと思っているんじゃないでしょうか。ゲームでは自分のボタンによって相手がポンと消えますからね。
 今、日本はまるで1億総司令官になったつもりでいるのだと思いますね。

  もうひとつ僕がイメージするのは、仮に日本で戦争がはじまって、自分が兵士としてかり出されるとしたら、僕は優秀な兵士になると思うんですね。というのは、僕はものすごく臆病で怖がりだから、目の前でちょっと猫が横切ったり、藪が少しでもゆれたら、すぐさま銃の引き金を引くでしょう。そこに子どもがいるのか、女性なのか、武装兵かは問いません。
  でも戦地では、それがいい兵士なのです。兵士か民間人かをちゃんと見届けてから撃とうなんてやっていたら、こちらが撃たれてしまうかもしれないから、間違えて撃ってもしようがないんじゃないかとなる。
  だから、「女の人や子どもたちが大勢いる中に武器を持った人間がいたとしても、そいつを殺すためには撃て」っていう考えはわかるんです。人道的にとか、非戦闘員と戦闘員なんていう意識も生まれようがない。
  僕はそれがいやだから、戦争が起こる前の前のところで反対してるだけなんです。自分が脆い人間だということがわかっているから。
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前日に 3 歳の女の子をなくした母親。
深い悲しみに涙も涸れ果てたようだった。
(アフガニスタン、2001 年 12 月)
これから伝えたいこと、それは命について
編集部 今後、広河さんは何を一番伝えていきたいですか?
広河 これだけは譲れないということがあります。それは命の問題。人を殺すことは悪いことで、殺されることもいやなことだという、当たり前のことです。フセインが悪いとか、テポドンがあるからしようがないじゃないか、という言い訳は通用しません。ただそれだけです。
イラクでもフセインの弾圧や虐殺を止めさせるためには仕方ないのだという名目で、空爆する考えがありますけれども、それでは虐殺を終えるために虐殺をするという論理になってしまう。誰だって、自分たちはこういう状況だから殺されても仕方ないんだって思う人はひとりもいないのです。自分の娘の顔が半分に割れて壁に付着しても仕方のないことだと思う人なんかいないですよ。そこを見なければならない。目をそらさずに。

広河隆一さんが
編集長を務めている
『DAYS JAPAN』は、
“戦争の現実を伝える雑誌”として、
創刊以来、高い評価を受けている。
手にとって、目をそらさずに、
見て欲しい。
戦争の現実を知ること。そこからでないと何も始まらない。
もう一度この原点から問い直したいと感じました。
広河さん、ありがとうございました!
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