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この人に聞きたい

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鎌仲ひとみさんに聞いた (その2)

核・原発のある世界を見直す時

原子力に依存し、電気を大量に使い続ける。
一部の人に「ツケ」を押しつけながら、
私たちはいつまでそんな生活を続けるのでしょうか?
引き続き、鎌仲さんにご意見を伺いました。

かまなか・ひとみ
大学卒業と同時にフリーの助監督としてドキュメンタリーの現場へ。文化庁の助成を受けてカナダ国立映画製作所に滞在し、米国などで活躍。1995年の帰国後はNHKで医療、経済、環境をテーマに番組を多数制作。2003年にドキュメンタリー映画『ヒバクシャー 世界の終わりに』を、2006年に『六ヶ所村ラプソディー』を発表。現在は東京工科大学メディア学部准教授に就きながら、映像作家として活動を続けている。著書に『ヒバクシャードキュメンタリー映画の現場から』影書房、共著に『内部被曝の脅威』(ちくま新書)『ドキュメンタリーの力』(子供の未来社)がある。

「電気を使えば使うほど豊か」という
価値観そのものが時代遅れ

編集部

 さて、『六ヶ所村ラプソディー』では、私たちが普段何気なく電気を使っている、その生活が、実は原発という「ツケ」を一部の人に押しつけた形で成立しているものだという構造が、はっきりと描き出されていたと思います。
 そこで、日本のエネルギー政策についてもお話を伺いたいのですが、今年の夏、新潟県中越沖地震で柏崎市の刈羽原子力発電所が被災し、全基が停止となったために、首都圏での「深刻な電力不足」の可能性が盛んに報道されました。以前、東電のトラブル隠し発覚で全原発が停止されたときにも感じたことなのですが、原発停止による電力不足の可能性は実際にあるにしても、必要以上に危機感が煽られている印象が拭えない。「やっぱり原発がないと電力が不足して困るんだ」という結論に結びつけようとしているんじゃないかという気がしてなりませんでした。たしかに電気が使えなければ困るけれど、そこで「だから原発が必要」となるのも、ちょっと違うんじゃないかという気がするのですが…。

鎌仲

 まず、考えなくてはいけないのはリスクマネジメントの問題。原発というのは、リスクマネジメントがまったくできないんですよね。「止まる」というリスクを100%避けることはできないのに、そのときのバックアップがあまりにもない。事故でなくても、1年に1回、3カ月はどの原発も止めて定期検査をすることになっていますから、そうするとその止めている間はどうしても火力発電所を動かさなくちゃならなくなる。原発を新しく建てて、その3ヶ月間のためだけに火力発電所を建てるというのもあまりにバカげているでしょう。
 それに、もちろん一基の原発がチェルノブイリ級の爆発を起こせば、日本の面積の半分は汚染されて人が住めなくなるわけですから、どうしてそんなリスクを抱えて電気を起こさなきゃいけないんだ、とも思いますよね。静岡県の浜岡原発も、いつかは必ず大地震が来ると言われているし、そのときに今回の刈羽原発のように、なんとかぎりぎりのところで止まるかどうかは誰にもわからない。ロシアンルーレットをしているようなものです。

編集部

 しかし、そうしたリスクには目を瞑ったまま、まるでエネルギー使用を維持していくには原発しか選択肢がないような言い方がしばしばされています。

鎌仲

 本来は、原発だけに頼るのではない、方向転換ということが考えられていいはずなんです。もっと多様なエネルギー源に分散していくとか、自然エネルギーをもっと開発するとか、蓄電技術を高めていくとか、方法はいろいろあります。あと、コージェネレーション(*)を進めるとか。名古屋大学の竹内恒夫教授は、「コージェネでエネルギー消費量を下げて、省エネ技術を導入すれば、原発なんか全部止めてもまかなえるはずですよ」とおっしゃっていました。
 つまり、エネルギー消費量を減らすことこそが、本来は最大のリスクマネジメントになるはずなんです。まず省エネを進めて、全体のエネルギー消費量を10から5に減らす。その上でその5を何でまかなおうかという考え方。世界的には、すでにそういう方向に進んでいます。その意味で、今の日本はすごく非常識だし、時代遅れだと思いますね。

*コージェネレーション…発電のときに発生した熱を給湯や冷暖房に利用するなど、一つのエネルギー源から複数のエネルギーを取り出すというシステム。エネルギー消費量の大幅な削減になる。また、利用する場所で発電する形になるため、発電所からの送電によるロスも防げる。

編集部

 日本の省エネ技術のレベルは非常に高い、とも言われていますが…。

鎌仲

 家電などについてはそうかもしれません。でも、何もかも電気でまかなおうとする姿勢、「電気を使えば使うほど豊かだ」というメッセージそのものから抜け出られていないんです。電力会社が進めようとしている「オール電化」だって、「電気でより生活を豊かにしましょう」という考え方でしょう。そうした意識そのものを改革することを、今は求められている時代なんだと思います。
 そもそも、原発で大量に電気をつくって、その電気を高圧電線を使って遠いところから運んでくるという一極集中型の電気のつくり方、使い方が、すでに時代遅れですよ。アジアの経済をリードする立場にある日本がその時代遅れのやり方をとっている限り、他の国々は「やっぱり原発しか方法はないのか」と思ってしまう。そうではなくて、日本が意識を改革して、省エネを進めて自然エネルギーへの転換を図ったら、その影響は大きい。地球環境にとってものすごく大きな効果をもたらすこともできるはずだと思います。

「軍事」であれ「平和」であれ、
核を利用すれば必ず
ヒバクシャが生まれる

編集部

 しかし、原爆の被害を体験した日本が、一方でそうして原子力に頼るエネルギー政策をとるようになったのは、どうしてなのでしょうか? 本来は原発技術が導入される際にも、いい言葉ではありませんが「核アレルギー」的な動きがもっとあってもよかったように思うのですが、「平和利用」という言葉が大きかったのでしょうか。

鎌仲

 きっかけは、第五福竜丸事件(*)だと言われています。
 この事件が起こったことで、第二次世界大戦は終わったのにまたヒバクシャー放射性物質を体内に取り込む内部被曝をした人々が出てしまったということ、放射能汚染がいかに人を「ヒバクシャ」にするのかという、核兵器の根幹をなす部分が世界中にばれてしまうことになった。でも、核兵器開発を続けたいアメリカはそれでは困る。そこで、日本側にその被害については黙っていろと持ちかけた。その交換条件として持ち出されたのが、核の「平和利用」の技術だったんです。

*第五福竜丸事件…1954年、マーシャル諸島近海で操業していた日本のマグロ漁船、第五福竜丸が、ビキニ環礁で米国が行った水爆実験に遭遇した事件のこと。乗組員23名が被曝し、無線長の久保山愛吉さんは半年後に死亡した。

編集部

 原発技術を日本に提供するから、そのかわりに第五福竜丸事件の被害については騒ぎ立てるな、という「取り引き」がされたということですか?

鎌仲

 被害に遭った乗組員やその遺族たちに、安い見舞金で和解させて、これ以上余計なことをしゃべるなと圧力をかけた。広島や長崎の被爆者が、戦後に原爆の被害について箝口令を敷かれたのと同じです。
 日本政府のほうにも、米ソだけではなくフランスや英国も核技術に参入してきたことで、憲法9条を持つ国ではあっても、やっぱり核技術を持たなくては世界の「大国」とは互していけない、という考えがあった。それで、「平和利用」という言葉で、日本人の核アレルギーを払拭すればいい、ということになったんですね。このあたりは、第五福竜丸の乗組員のひとり、大石又七さんが『ビキニ事件の真実』(みすず書房)という本にも書かれています。「毒をもって毒を制す」という言葉だったと思います。

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編集部

 でも、「平和利用」とは言っても、原発の技術は当然核兵器にも転用できるわけですよね。

鎌仲

 もちろん、核技術を持っていればいつかは核兵器製造も、というもくろみもあったかもしれません。だって、原発があれば核兵器の材料になるプルトニウムも、濃縮ウランも手に入るんですから。日本人は核には軍事利用と平和利用の二つがあると思っているかもしれないけど、本当は一つなんですよ。それが違うもののように見えるようにさまざまな「工夫」がされてきたから、誤解されているだけなんです。
 今、イラクの人たちが劣化ウラン弾という放射性物質によって苦しんでいる。日本のヒバクシャにしても、直接被爆した人だけではなくて、後から被爆地に入った人たちが残留放射能によって影響を受けた。そうしたことを考えても、核を扱うところには必ずヒバクシャが生まれてくるんです。
 元をたどっていけばウラン鉱ですね。ウランを掘ってる人たちも被曝しているし、大量のウラン残土がきちんと管理されていなくて、またヒバクシャを生み出しているという話もある。つまり、核を平和利用しようが軍事力として利用しようが、放射能汚染は必ず起きて、そこで犠牲者が必ず生まれるということなんです。

「軍備を持つこと」のリスクもまた、
覆い隠されている

編集部

 では最後に、憲法9条についてのご意見をお聞きしたいと思います。今夏の参院選挙では自民党が大敗しましたが、「改憲」はほとんど争点になりませんでした。参院の第一党となった民主党にも、いわゆる改憲論者は多いようです。こうした、「9条を変えて軍隊を持とう」という意見についてはどう考えられていますか。

鎌仲

 まず思うのは、本来一国の憲法を変えるというのは、もっと議論を深めて、10年20年かけてやる仕事なんじゃないかということ。それをなぜこんなに急がなければいけないのかということがわからないし、伝わっていないですよね。
 それに、なぜ変えるのが9条なのかということもわからない。ただ「軍隊を持ちたい」というだけにしか傍目からは見えないですよ。

編集部

 そして、その軍隊を持つことで、どんなメリットがあってどんなリスクがあるのかということも、十分には語られていないように感じます。

鎌仲

 エネルギー政策におけるリスクマネジメントができていないように、9条を捨てて軍備を持つことのリスクについても、国家として政府として、具体的にリアリティを持った計算がまったくできていないと思います。
 そして、そのリスクによって一番被害を受けるのは国民なんですよね。国が軍隊を持つことで国民を守れるような時代ではすでにないですよ。日本でこれまでテロが起きなかったのは、軍隊を持たない、平和を標榜している国だからだと私は思っているんです。だって、そんな国でテロをしても誰も褒めてくれないから(笑)。
 だいたい、55基もの原発を無防備に海岸線に並べておいて、本当に武装する気なのかと思いますよ。1基の原発がやられたら、一千発分の核弾頭が爆発するのに相当するのに。

編集部

 「軍隊がないと危険だ」といわれるけれど、実はそっちのほうがずっと危険性が高い。

鎌仲

 憲法9条というのは、かつて政府が戦争という暴挙に出るのを、国民が自分たちの力で止められなかったという、その反省から生まれたものだと思う。つまりは、国民が政府につけた「手綱」なんです。それを捨てるというのは、自分たちの権利をわざわざかなぐり捨てようということ。第二次世界大戦のときの轍を踏まないために、私たちは国民として、もっと賢くならなきゃいけない。そう思います。

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平和利用であれ軍事利用であれ、
核が用いられる限りは必ずヒバクシャが生まれます。
これ以上「犠牲」を生み出さないために、
平和や反戦を訴えるだけでなく、私たちの生活のあり方そのものを、
考え直してみる時期なのではないでしょうか?
鎌仲さん、ありがとうございました。

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