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この人に聞きたい
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川田龍平さんに聞いた その2

「与えられた」憲法を、自分たちのものにしていこう
東京HIV訴訟の和解成立から10年。
ドイツ留学を経て、大学で教鞭をとりながら、
平和や人権についてのさまざまな活動を続けている川田さん。
憲法9条や改憲について、改めてご意見を伺いました。
かわださん
かわだ りゅうへい 東京都出身。
生後6カ月のときに血友病の診断を受け、
治療のための輸入血液製剤投与によりHIVに感染。
10歳で母親から感染を告知される。 高校3年生だった1993年、
東京HIV訴訟の原告団に加わり、95年実名公表。
現在は松本大学非常勤講師、「人権アクティビストの会」代表を務める。
主な著書に『龍平の現在(いま)』(三省堂)
『薬害エイズ原告からの手紙』(共著、三省堂)など。
憲法9条こそ、日本が世界に誇れるものだと思った
編集部 前回、川田さんは憲法13条や25条を根拠に、HIV訴訟裁判を闘ってきたというお話でしたが、憲法9条についてはどう考えていらっしゃいますか?
川田 僕が憲法9条について考えるきっかけになったのは、ドイツに留学していた1999年に、オランダのハーグで開かれた「ハーグ平和市民会議(注1)」に参加したことでした。1889年のハーグ平和会議から100周年を記念して、もう一度平和会議を、今度は市民の手で開こうということで開催された会議です。

この会議の最後に、討論のとりまとめとして「公正な世界秩序のための10の基本原則」というものが採択されたのですが、その一番最初に、「各国議会は、日本国憲法第9条のような、政府が戦争をすることを禁止する決議を採択すべきである」という項目が入ったんですよ。それがすごく印象的で。

そのとき、僕はドイツで生活し始めて1年くらいたって、ちょうど「日本人」としての自分を意識し始めたころでした。そんなときに、憲法9条の先進性をそういう形で評価されたというのはすごく大きかった。日本という、僕が生まれ育った場所に対して持っているアイデンティティ、そして日本が世界に対して誇れるものというのはこれなんじゃないかと思ったんです。
編集部 外からの評価を受けて、9条に対する見方が変わった。
川田 そうですね。ドイツに行く前、1995年に、水俣病患者による厚生省前での座り込みがあって、僕も応援に行ったのですが、そこでこんな話をしたんです。「日本という国がこれからどんなことを大事にしていくべきかというときに、経済的な豊かさを競うのではなくて、命とか人権とかがちゃんと守られている国であってほしい。そういう国をこそ、僕は誇りに思う」と。そういうふうに思うようになっていたので、国際会議の中で9条が認められ、10項目の中でも最初に挙げられたというのは、自分自身にとってもすごく意味のあることでした。

あと、1999年というのは、ドイツが憲法を改定して軍隊の海外派兵を認めてコソボ紛争に派兵した年でもあったんですね。戦後初めての、ドイツの軍隊の海外派兵です。それにもショックを受けていたから、余計に印象が強かったのかもしれません。
編集部 最近の日本でも、憲法ができたのはもう60年も前なんだから、国際情勢に合わせるために9条を変えるべきだという意見もありますが…。
川田 じゃあ、例えば世界人権宣言(注2)は古いからやめちゃえという話なのかってことですよね(笑)。これは、一つの勝ち取ってきた理想なわけで、そこから後退するのはおかしい。そもそも、国の理念を表す憲法を、新しいとか古いとかで取り替えようとか、そういう問題ではないんじゃないですか。僕は「まだたった60年しかたっていない」としか思いませんし…。

日本という人口でいっても世界で9番目の国の憲法に「軍隊を持たない」ということが条文として書いてあるのは、すごく貴重なことじゃないかと思います。

もちろん、憲法9条と今の現状との乖離は明らかです。でも、だから9条を変えるべきだ、というのはおかしい。僕は、現実を憲法に近づけていくべきだという考えです。自衛隊については、必要のない部隊や戦力(武器)は縮小していき、いずれは国際海外救助隊にするとか、改編していけばいい。現実を憲法の理念に近づけていく、そういう努力こそが必要なんじゃないでしょうか。


注1 ハーグ平和市民会議…1899年にオランダ・ハーグで開かれた「ハーグ平和会議」から100周年を記念して、ハーグでもう一度平和会議を、との呼びかけのもとに開催された市民会議。世界各地からNGO、平和活動家などが集まり、人権や平和などをテーマにさまざまな論議やワークショップを行った。

注2 世界人権宣言…人権および自由を尊重し確保するために、1948年12月10日第3回国連総会において採択。「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準」を宣言したものであり、人権の歴史において重要な地位を占めている。
「恐怖」は報道によってつくられている
編集部 先日『マガジン9条』で行った改憲についてのアンケートやご意見を分析したところ、10代から20〜30代の若い世代の間では、「近隣諸国から攻め込まれたらどうするのだ。軍隊を持たないのは危険だから、改憲のほうが現実的だ」という意見が多くありました。川田さんは今、松本大学で非常勤講師をされていて学生と接する機会も多いと思いますが、そういう若い世代の意識の変化について、何か感じることはありますか。
川田 僕の周りにいる学生に関して言えば、そのような意見を耳にすることは少ないですね。特に松本では、戦争体験者のおじいちゃんおばあちゃんと同居しているケースが多いし、兵器工場だった地下壕とか、そういう戦跡も身近にあるせいか、戦争に対しての考え方は、東京なんかとはちょっと違うのかもしれません。海がなくて山があるから、外敵に侵入されるという恐怖をあまり感じないというのもあるだろうし。

ただ思うのは、若者たちが感じている「攻め込まれるかもしれない」恐怖というのは、「つくられた」もの――マスコミの報道によって喚起された恐怖だということ。その意味では今も残るエイズやエイズ患者に対する差別的なイメージと同じです。

例えば、松本にいても、ワイドショーで「テポドンの射程距離範囲はこれくらいで」というイメージ図なんかを見せられると、「いつミサイルが飛んでくるか」っていう気になってしまうけど、冷静になればこんな山の中なんか狙ってくるわけがないじゃないですか。
編集部 そうかもしれません(笑)。
川田 それに、もし日本が狙われるとしたら、まず原発ですよね。あんな、それこそ海から簡単に侵入できるところにあるのに、それを平気で維持しているほうがおかしい。しかも、こないだ国会でも質問が出ていましたが、津波の引き波で海の水位が6メートルくらい下がっちゃったら、冷却水の取水ができなくなって大変危険な事態になるという原発がたくさんあるらしいんですよ。どちらかといえば、そういうことのほうにもっと恐怖を感じてほしいと思いますね。

あと危ないのは、基地のあるところですよね。松本にも陸上自衛隊の基地があるんですが、「軍隊がないから危険」なんじゃなくて、そういう基地を抱えていることのほうがよっぽど危険だという考え方に立つべきなんじゃないでしょうか。
編集部 北朝鮮による拉致事件や核開発についても、必要以上に恐怖感をあおるような報道が目立ちます。
川田 イメージでつくられた恐怖感、テレビの映像によってつくられた恐怖感ですね。たしかに拉致事件は非常に大きな問題だけれど、それによって普段の生活が「危険で怖い」なんて、誰が本当に感じているんだろうか、と思います。

核開発問題にしても、実際に北朝鮮を見てもいない人が「非常に危ない状況である」と言っていたりする。実際に見てきていないことをどうやって判断するのか。実際に行った人によれば、「北朝鮮には核開発するような力はない」とも言いますよね。アメリカが核を持ってる方がよっぽど危険だとは思わないのか。

そういうことが覆い隠されて、一部の情報――もちろん事実かもしれないけれど、でも一部のみが切り取られた情報――だけが流されている。意図的に恐怖を抱かせているような、一方的な情報操作ですよね。もしテレビを見ていなければ、一般の人がふだんの生活の中で「攻め込まれるから怖い」なんて感じることはまずないはずだと思うんですよ
編集部 「危ないから軍隊を」という、その「危ない」という前提の大半はつくられたものだと。
川田 そのとおりです。あと、「軍隊が必要だ」というなら、「なぜ必要なのか」をもっと突き詰める必要性もあると思います。僕は、少数の「先進国」の人たちが、自分たちの今の生活を維持するために富を偏在させている、その原因の一つになっているのが軍隊だと思っています。軍隊を海外に派兵することで、その国の企業もまた海外へ進出することができて、それによって得た利益や利権はまた一部の人たちだけが得ることになる。「家族を守る」とか「国を守る」とかいう言葉だけじゃなくて、そういう仕組みもちゃんと明らかにした上で、「本当に軍隊が必要なのかどうか」を問うべきなんじゃないでしょうか。
憲法を、本当に自分たちのものにするために
編集部 前回の裁判のお話のところでもあったように、川田さんは、護憲とか改憲とかではなく、憲法を実際に使う、活かす「活憲」の立場だ、とおっしゃっていますね。たしかに、今の日本の社会で、私たちが憲法を使う、あるいは活かすことが十分できているかといえば、そうではないように思えます。それなのに、「改憲」の言葉だけが先走りしてしまっている。
川田 そもそも、憲法の一番の目的が何かといえば、一部の人たちが持つ強大な権力から一般の市民の権利を守ることだと思います。だから、政治家などの権力者が勝手に「変える」と言い出すとか、そういうことをしていいものではないはずなんですね。

その意味で、僕は憲法99条
(注3)がとても大切だと思っています。天皇や官僚、政治家などには、憲法を尊重して養護する義務がある、という項目です。この条文は、もっとしっかり「使って」いかなくてはならないのではないでしょうか。

ただ、改憲について言えば、国民が本当に望むのであれば、僕はそれもありだと思っています。ただし、憲法の「使い方」も含めて、何をどう変えていくのか、国民一人ひとりが自分たちでちゃんと議論して、意味を理解した上で作業が進むのであれば、ですが。賛成も反対も、両方が意見を付き合わせて、さまざまな議論をしていくことが大事だと思います。
編集部 改憲の手続きを定める「国民投票法」についても、論議が続いていますが。
川田 今の国民投票法案の中身はもちろん問題だけれど、僕たち一人ひとりが、憲法をちゃんと「自分のもの」として認識していくために、僕は国民投票については、いずれは避けて通れないものだと思っています。

僕は、今の憲法が「アメリカに押しつけられた」という言い方には賛成しないし、今の憲法にある理念は、五日市憲法
(注4)を見てもわかるように、もともと日本にもあったもので、戦前の日本にまったく民主主義がなかったというわけでもない。ただ、どこかで日本人の中に、今の憲法に対して「(敗戦によって)与えられたもの」もしくは「国が国民に対して定めたもの」という意識はあると思うんです。

これからは、そうではなくて憲法は「自分たちのもの」だということを再認識していかなくてはいけない。そのために、国民投票という直接民主主義によって、「上から与えられたもの」ではなく、自分たちの手によって、作り上げたものにしていくためには、その過程が必要なんじゃないか、と思うのです。ただし国民投票法の議論も含め、じっくりと時間をかけてやるべきことですが。

憲法は使って、活かしてこそ意味があるものです。私たちはイメージだけでなく、もっともっと憲法の中身についても知った方がいい。そして、護憲という言い方ではなく、活憲という表現やメッセージも広げていきたいのです。

注3 憲法99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」

注4 五日市憲法…明治時代、東京・五日市で仙台出身の千葉卓三郎らが起草した私擬憲法草案。現在の自由権、平等権にあたる権利を定めた規定が組み込まれているなど、その民主的な内容で知られる。
「憲法は、使って、活かしてこそ意味がある」という川田さんのことばには、
現実感があります。私たちはもっと憲法を知り、「自分たちのもの」として
「どうするべきか」を考えていく必要があるのではないでしょうか。
川田さん、ありがとうございました!
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