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この人に聞きたい

080618up

小室等さんに聞いた(その2)

9条は、ノドにひっかかった小骨でもいい

政治や社会問題について、意外にも「遅い目覚め」だったという小室等さん。
今、9条についてどのように考えているのか、についてお聞きしました。

こむろ・ひとし
1943年東京生まれ、フォークグループ「PPMフォロワーズ」「六文銭」を経てソロに。1975年泉谷しげる、井上陽水、吉田拓郎と「フォーライフレコード」を設立する。これまで、谷川俊太郎ら多くの詩人、アーティストと組んだ音楽活動を続けると共に、ドラマ、映画、演劇へ音楽を提供する。著書に『人生を肯定するもの、それが音楽』(岩波新書)がある。「マガジン9条」発起人の一人。

形骸化しても持っているだけでも、
効果はある

編集部

さて、反戦フォークを歌いながら、遅い目覚めがあり、政治活動に関わり、そして今、小室さんにとって9条というのは、どういう位置づけになっているのでしょうか?

小室

 まあ、言い切るとすれば・・・とにかく、その、どう考えたって実質的に、この日本で憲法9条が実行されているとは思いませんが、でもこれは、形骸化しても残った方がいいし、変えるべきではないと考えています。

編集部

 9条が形骸化しようが、残しておくことは大切なんだということですね。

小室

 残しておいてくれさえすれば、のどにひっかかった魚の小骨みたいにね、世の中がそれと相対する方向に向かっても、どっかひっかかるもの、居心地の悪さみたいなものが、存在するわけですよ。
 あともうちょっとナイーブな、幼稚な言い方をするならば、いかなる理由があろうとも、やはり国家という名のもとに人殺しをしてはいけない、ということです。現実には、人は人を殺す、殺しますよ。しかし、国家という名のもとに殺してはいけないのです。

編集部

 9条が現実と合わなくなってきているから変えるべきだ、という論調もありますね。

小室

 しかし、その現実とは、いったい何なのでしょうか? そういう時に問いたいのは、ちゃんと僕たちは、見ているのか、本当は見ていないんじゃないかということ。死刑についてもそう、死刑そのものは誰も見てないでしょ。食べ物の話もそう、餃子事件でみんな騒いだけれど、スーパーに並ぶ食べ物がどこからきてどうなっているのか、見えてないまま、非常に表象だけ見せられていたというか。だから憲法を変える理由の現実というのも、バーチャルとして見せられている現実のことを言ってるんじゃないかな、って。
 でもうっかりすると、僕も、憲法9条をほんとうにきっぱりと守った方がいいのかと問われると、ぐらっと揺らいだりするのは、自分の現実が見えきっていないからです、たぶん。

編集部

 自分の現実が見えきっていない?

小室

 僕の身近な音楽仲間でもね、まじめに言うんですよ。「だって自分の愛するものが、みすみす殺されるのをだまって見ていることはできないよ。一つの銃があることによって、その愛する人たちが守れるのならば、銃を持つべきなんじゃないか」と言うわけですよ。そういう気持は、わからないでもない。ただ、彼のそうした考え、そこにたどりつくまで、どれくらいのことが彼の中で吟味されているのだろうか、どれだけ自分のメディアで、つまり何をどのように見たのだろうか、とも思うんですよね。

編集部

 自分のメディアで見るということは、自分の身体を使ってダイレクトに情報を入れていくということですね。

自分の足で歩き、
目と耳で見聞きしたものを増やそう

小室

 僕のある知り合いが、東チモールの小さな村に、医療支援で入っていて、東チモールの独立の日に居合わせた。独立するというその日、真夜中の12時に、村の中央に人々が集まって、セレモニー。これまで国連の旗があったところに、自分の国の新しい旗を揚げる。「その時、何がおきたと思う?」そう聞かれて、「歓声があがり歌を歌いダンスを踊った?」と答えたら、「そうじゃないんだ。みんなただこうべをたれて、長い時間沈黙だった」と。
 多くの人が、親きょうだいを殺されているわけだから、くったくなく喜んだりすることはできない。独立できても、まだそういう可能性もあるんだから、心から笑うことはできない。そういう空気を感じたそうです。で、そこにジャーナリストは一人もいない。でも この村こそ報道するべきじゃないのかな、そう彼は言ってましたね。

 そういう話をしてくれるその知人は、僕にとってのスモールメディアです。口コミもそりゃ、吟味しなくちゃいけないけれど、テレビに代表されるようなマスメディアの、誰かに都合のいい与えられっぱなしの情報だけをうのみにする、というのは、どうかなと思う。それだけが世界の動きを知る、唯一のものだと思っていてはいけない。それでは、やはり実際に起こっていることの、ほとんどが見えてないと思いますね。
 9条からちょっと話がずれちゃったけれど・・・だって中東で、イスラエル人が一人二人殺されると大きなニュースになるけれど、パレスチナ人が数十人殺されてもニュースにならないとか、あるでしょう?

「戦争をやめる」
それはトライしないと絶対に不可能

編集部

 たしかに、テレビの情報、それも日本の地上波だけを見ていると、ほんとうに一部の、しかも同じ情報だけになってしまうでしょう。

小室

 僕だって偉そうに言えるほど、自分の目では見れていません。でも、いつも自分に言い聞かせるのは、自分の耳に直接、口コミ的に入ってくるメディアをちゃんと持っていないといかんなあ、そのために飲んだくれているうち1回は省いて、自分の足で歩いて、見て、聞いてまわるようにしよう、ということ。みんなが自分のプチメディアを持って、集まって情報交換をしていくと、それはマスメディアにも引けを取らない効果を生み出しますからね。
 だって、戦争を伝える報道番組に、BGMがかかるってことは、もうそこで作っている人の意思が働いているってことですから。

編集部

 戦場に音楽なんてないですからね。

小室

 9条や憲法について、今だにちゃんと深く読んだことはない。僕が9条について語っていることは、いたって情緒的ですよ。でも情緒には情緒の良さもあるだろうと思うわけです。
 人類は、これまで戦争を止めたことはないですね。だけどでもそれは、止められなかったのか。それとも単に止めようとしなかったのか。 「やめる」と言うのは、「やめますよ」と宣言して実行することからしか始まらない。なのに、みんな裸の王様じゃないけれど、亡霊だけが一人歩きしているのに、異議を唱えない。だって、ブッシュのやっているようなことは、亡霊みたいなものでしょ。ありもしないことをでっち上げて、戦争にして、経済をころがしている。
 「戦争をやめるんだ」ということにトライする条件が、かろうじて日本にはあるわけだから、それを捨てるのは、いかにももったいないですよ。北欧の国には、軍隊を持ちながら、外交として平和的な貢献に尽力している国もある。それもかしこい方法ですね。現実論からそこを導き出している。
 これは、僕は前からそう思っていたところ、どこかの先生が言及していたので、我が意を得たり、と思ったのだけれど、自衛隊は世界に冠たるレスキュー隊にする。戦闘のための武器は持たずに、この地球上でおきている困難、災害に対して、素早く出動していく。それって、夢物語じゃなくって、ものすごく現実的なことだと思うんだけれど。
 平和憲法を実践する国としてやればいい。それを、電通とか博報堂とか、日本の優秀な広告代理店に、彼らにお金もちゃんと払って、世界に宣伝していけばいい。決してえらそうにはせずにね。
 そうやって、日本がうまくいったら、じゃ、我が国もやってみようかな、と考える国だって、出てくるだろうと思うんだけれどね。

編集部

 民族間の争いが問題になっているアフリカでは、9条の精神を勉強することで、平和をつくりだす運動があると聞きました。だから、小室さんが言うように、ちっとも夢物語ではなく、現実にそうなっている、ということを私たちももっと知って、自分のメディアで、口コミで広げていきたいと思います。
 最後に、今後の小室さんの活動予定などお聞きしたいと思います。昨年秋、新生フォーライフレコードのレーベルより、“まるで六文銭のように”(*)のファーストユニットとして「はじまりはじまる」をリリースされたり、今年に入って1981年に発売された「目撃者 (Eyewitness)」の復活版を出されたりと、「復活」ものを次々とリリースされていますね。

*「まるで六文銭のように」:1968年に結成し1972年に解散した「六文銭」は、2000年に小室等、及川恒平、四角桂子のメンバーで再結成し、活動を続けている。


『はじまりはじまる』


『目撃者』
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小室

 はい。いっそう身軽になったこともあり、直接、お客さんの顔が見える、お話ができるぐらいの小さな会場を中心に、ライブも続けていく予定です。

編集部

 そうしたライブ会場での出会いやおしゃべりも、いわば自分のスモールメディアですね。「本当に知りたいことを知る」ためには、時に能動的に情報をキャッチしにいく行動をしなくては、と思いました。本日は、長い時間、ありがとうございました。

小室さんの精力的な今後の活動は、「お知らせメモ」にもあります。
ぜひ、直接会場で、小室さんの歌とトークをお楽しみください。

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