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この人に聞きたい
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黒田征太郎さんに聞いた

戦争は命だけでなく、人をとりまくすべてを奪う
アメリカに移住した黒田さんは、
野坂さんの『戦争童話集』に出会い、「9・11」を体験します。
ビルの崩壊と原爆きのこ雲のイメージが重なり生まれた、
「PIKADONプロジェクト」について語っていただきました。
黒田征太郎さん
くろだ せいたろう 1939年大阪府生まれ。画家・イラストレーター。
1969年デザイン会社K2を設立、数々の賞に輝く。その後ニューヨークに移住し、
グローバルに活躍。ライブペインティング、ホスピタルアートなどを精力的に行い、
2005年7月「PIKADONプロジェクト」を始動。
『野坂昭如/戦争童話集〜忘れてはイケナイ物語〜』の映像化など
戦争・環境問題に関わりの深い活動を多数行っている。
自問自答から見つけた、戦争を避けて通れない日本人としての自分
編集部  ニューヨークに移住されたのには理由があるのですか?
黒田

 横文字職業に憧れて始めたグラフィックの仕事でしたが、そのうちに僕の描く絵は、アメリカの真似ばかりだと気付くんです。僕の血の記憶の中にあるものを引っぱり出していない、と。そこで初めて“アイデンティティ”というものについて考えていくんです。「僕はどう見ても極東アジア人。なのになぜ、アメリカの皮をかぶってんのやろ?」この自問自答から始まってこう考えていくようになります。
  「日本人は戦争でろくでもないことをしてきた。それはコンプレックスが根っこにあるからだ。アジアの近隣諸国との親子喧嘩、兄弟喧嘩が近親憎悪となりその果てにえげつないことやった。人が人をバカにすんのはアホくさい、なのにその挙げ句の果てが殺し合いだ。では黒田、自分はどうや?
 僕は非常に人を差別するところがある。戦争の頃は、朝鮮人を差別語を使って呼んでいたこともある。そんなコンプレックスを持ったまま、アメリカに精神を占領されたまま、日本人は生きているんじゃないのか!?」
 それでアメリカコンプレックスの固まりの人間が、アメリカに住んだらどうなるかと思って、僕は人体実験的に13年前にアメリカに渡ったんです。グリーンカード持って「移民」としてね。そうしているうちにまた、自分のアイデンティティにとって、戦争は避けて通れないものだと思ったんです。

編集部  “人体実験”の結果は出ましたか?
黒田

 自分なりにはですが、日本が見えるようになったと思います。離れている方が、よく見えることがあるのです。移住したちょうどその頃、日本では戦後50年といって、過去に線引きしようという気配が湧き始めました。その風潮に疑問と危機感を持っていた時に、野坂昭如さんの『戦争童話集』とニューヨークで出会ったのです。 僕はおせっかいだから、本を読んですぐに、これはみんなに読んでもらわなあかん! と思ったわけです。自分は絵を描けると、だったら絵本化しようと。
  それからニューヨークのブロードウェイで「ライオンキング」を見て、野坂さんの絵本が動いたらいいなと思ったんです。もっとたくさんの人に見せたいから。そう思ったら(映像化を)もうやりたくてやりたくて。

編集部  出会いと記憶が重なったのですね。
今なお広がり増え続ける世界中のグラウンド・ゼロ
黒田

 その作業は5年かかって終わりますが、僕の中に何の達成感もなかった。何故かと考えたら、沖縄が抜けていることに気付いたのです。そこで野坂さんに、「沖縄篇を書いてください」と頼むと、「それは俺にはできない」。
  理由をたずねると「自分は上から弾が落ちてくるのは体験したが、沖縄では弾は水平に飛んでいたんだ。上から落ちてくる弾を受けるのと、真横から飛んでくる弾を受けるのでは、恐ろしさが全然違うはずだ。とても俺には書けない」と。
  僕も頭を抱えました。それでも何とか作り上げたいと、東京と沖縄とニューヨークを行ったり来たりして、やっとこの作品『戦争童話集・沖縄篇〜ウミガメと少年』ができるかできないかの頃に、「9・11」が起こるんです。

編集部  テレビで見ていてもすさまじい光景でした。
黒田

 僕はその時ニューヨークにいましたが、ワールドトレードセンターが崩れていく時の煙と、広島・長崎の原爆の煙がだぶって見えてね。でも、ピントが合ってしまったのは、「グラウンド・ゼロ」ってアメリカが言い出したから。ふざけんな、と思った。ここがグラウンド・ゼロなら世界中にグラウンド・ゼロはある、と。それで、「PIKADON(プロジェクト)」やろうと気持ちが固まったの。やらないと僕が悔しいと思ったの。人のためじゃない。自分のために。
 それからもうひとつ、20年ぐらい前、野坂さんに、朝鮮戦争が始まった時、どうされていたか聞いたんです。そしたら確実に核爆弾がソ連から飛んでくると思ったので、新潟の山の方へ逃げたそうなんです。そのイメージが、キノコの形をした雲がずーっと自分を追いかけてくるっていうものなんですよ。すごい感性でしょ?
 その話がずっと僕の頭の中に残っていて、1995年にフランスが核実験を再開したニュースを聞いた時に突然、表に出てきたんです。その時から僕はキノコ雲を描き始めているんです。 原爆というのは、人が作った最悪の武器なんだけれども、それが爆発することによって立ち昇る煙の形状、キノコ雲というのは、非常におもしろい。色と光も摩訶不思議でね。そう思って3000枚以上描いた。何かが俺にそうさしているんだと思って。

編集部  それが「PIKADONプロジェクト」のきっかけですね。
黒田

 とはいえ、実は最近まで「PIKADON」というタイトルは決まっていませんでした。「ピカドン」は伝承のような詠み人知らずの言葉だし、禁句めいたところがあるけど、インパクトがあるでしょ。ピカッと光ってドーンと音がしたら何十万人が死ぬ。すごいよね。こんなテクノサウンドないと思ったね。
 それに、この象徴的な言葉が風化してしまったら、そこで起こった事実も風化してしまう。そんな危惧もあって、禁句がなんだと、俺が言ってやれと思って決めたんです。

編集部  プロジェクトのシンボルになっているこのイラストは、原爆のきのこ雲がモチーフですか?
黒田

 今まで日本人が世界につきつけてきたのは、「NO」ばかりです。そこで僕は、「YES」にしたくてキノコ雲を逆さまにしてみた。そしたらキノコがフラスコに見えた。で、そこに水を入れ命の種を入れる。そしたら命が芽吹いてくる。

編集部  キノコ雲が逆さまになることで命を再生する器になるなんて、素敵な発想ですね。
黒田

 このプロジェクトはただ、戦争反対・核兵器反対じゃない。衣食住のことを、みんなで考えていこうよというメッセージです。戦争が始まってとられるのは命だけれども、命がとられるということは、衣食住をとられるということ。このプロジェクトでは、「戦争反対」「核兵器反対」なんてダサイと言っている人も巻き込みたい。だから肩に力を入れすぎずに伝えていかないとね。

編集部  この夏に本格始動されるプロジェクトの内容を教えてください。
黒田

まず、7月16日から夢の島公園内にある第五福竜丸にてPIKADON展を行います。PIKADONバンドでライブをやって、本やアニメ作って、3000枚のPIKADONの絵をVTRにする計画もあります。おばちゃんのPIKADON隊作ったり、Tシャツをじゃんじゃん作って、シンボルイラストを浴衣の柄にしてももいいんじゃない?
  そうやって気負わず楽しく、アートにできる小さな風穴作りを続けていこうと思っています。 *「PIKADONプロジェクト」の予定についてはこちらをどうぞ。
http://www.pikadon.jp/top.html

オマケムービー
さて、今回は、ちょっとしたオマケをご用意できました。インタビューのときの「動く黒田さん」です。デジカメの動画モード撮影ではありますが、そのときの雰囲気を感じてもらえると思います。左のアイコンをクリックしてぜひご覧ください。新しいウインドウが開きます。通信環境によっては、読み込みに多少時間がかかるかもしれませんが、待つ価値あり!です。音はヘッドフォンをお薦めします。

戦争は人間の命だけでなく、衣食住も自然も、
人間を取り巻くすべてのことを
犠牲にしてしまうのだと黒田さん。
プロジェクトにかける強い使命感に心を打たれました。
ありがとうございました!

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