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この人に聞きたい
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巻紙公一さんに聞いた その2

文化的な連帯と、新しい理念を!
70年代の終わりにデビューをした巻上公一さん。
その後、独自のスタンスを取りながら、
ミュージシャンとして、アーティストとして 活動を続けてきた巻上さんは、
これまでの時代をどう捉えてきたのか。
そしてこれからの私たちの目指す方向について、お聞きしました。
巻上公一
まきがみ こういち
1956年熱海市生まれ。超歌唱家。即興演奏家。
1979年「20世紀の終わりに」でデビュー以来、
今なお特異な活動を続けるヒカシューのリーダー。
日本トゥバホーメイ協会代表、ベツニ・ナンモ・クレズマー専属歌手、
日本口琴協会会員、J-scat(日本作詞作曲家協会)理事、
日本音楽著作権協会評議員、人体構造力学「操体法」インストラクター、
中国武術花架拳を燕飛霞老師に10年間師事。
著書に『声帯から極楽』(筑摩書房)など。
最初から護憲や改憲ありきではない議論の場を
編集部 湾岸戦争のころはまだいろいろな声を上げてきたクリエーターや著名人たちも、今、所属事務所などのとりまく環境の難しさから、政権に対して反対や疑問の考えを持っていても、なかなか声をあげにくくなっていると聞きます。
巻上 そういった見えない、独特の圧力というか動きが、どこともなく、いろんな人の心の中にだんだんと巣くっているというのがこわいですね。僕自身は、けっこう前からこの傾向には気がついていました。小泉さんが首相になった時から、ずっと危険を感じていて、そのことは、自分のブログでも書き続けてきました。彼は戦争したい人だから、すぐに辞めてもらいたいと。ファシズムの再来だと。だけど、クリエーターはそれを口にするというより、作品の創造によって現実と対峙していますから、なかなかあえて政治的なことを口にはしないと思います。

僕が小泉首相のこと、嫌いだし困ると思うのは、まず、子どもの教育にものすごく良くない。未来背負っている大事な子どもに、たいへん、悪い影響を与えてきたわけです。例えば、「人の話を聞かない」「国会の答弁の時でも、人が話している時、にやにやしている」「まじめな質問に対して、ふざけたはぐらかしをする」。あの態度はもう、大人として信じられないのだけれど、国のリーダーの行動は、やる気のある人のやる気をそぎ、いやおうなしに、子どもに大きな影響を与えるものです。
編集部 小泉首相のことば少ないフレーズや、断固靖国参拝を続けるといった態度が、きっぱりと決断力があるように見える、というのは、今も相変わらず、国民の人気の要因ですね。
巻上 きっぱりにはうっかりがつきものです。そもそもきっぱりとした決断力や即決力なんて、ない方がいいのです。明日に持ち越せることは、持ち越した方がうまくいく、というのは世界の原則でしょう。それが、考えを深めたり、みんなとコンセンサスを取るための有効な方法です。“今日の課題は、今日絶対にやらなくてはいけない”という思想は「考えるのはやめよう」ということですよね。
編集部 それは、よく言われますが、9条と自衛隊の矛盾をどうすんだ、といったこととつながることでしょうか。
巻上 憲法というのは、わかりにくくても、理想でもかまわないというのがぼくの考えです。そして細かな法律は合理的であればいい。だいたい矛盾は、矛盾のまま抱えていた方がうまくいく場合の方が多い。矛盾を受け入れられないっていうのは、ある種の“ポップミュージック”の作り方だよね。つまり誰にでもわかりやすく、明快でなくてはいけない。今、全体にそういうのが流行でしょう。芸術もね。
編集部 そういうわかりやすいことが受けるというのは、そこにあるはずの問題を、自分なりに考えずにすませてしまう、ということにもなるかもしれません。巻上さんの追求してきた音楽は、わかりやすさとは対局にあるようにも思えます。
巻上 実は単なる直球なんですが・・・、大勢の人にわかる必要が果たしてあるのかとも思います。一緒にいると楽しかったり辛かったり、面白かったり、いろんな感覚を共有できるのがライブの楽しみです。
編集部 ホーメイをはじめ、民族音楽への探求も深くてらっしゃいますが、そこへの関心や興味といったものも、あるスタンスの上に立ってやってらっしゃることでしょうか?
巻上 まずへんな声が好きっていうのが一番にありますが、グローバリズムとナショナリズム、ポピュラーミュージックとエスノミュージックの微妙な関係とかね。いろいろ考えると複雑な居心地です。 小さな国の音楽や、かなり個人的な表現に興味があるのは、その人にしかできない音楽があるからです。それが自分のためだったり、家族だけのためだったりする音楽って、いきいきとしてすばらしくて、そういう音楽のありかたがそこにはしっかりとあります。多くの人に聞かれるための音楽、マスということが全てではない、そこに魅力を感じるのです。

 音楽って、人を楽しませなくちゃいけない、といってる人が、音楽家の中にもたしかにいるんだけれど、それはコンサートとのなかで、与える側と与えられる側の、“たいくつな関係”でしかない。 どういう出会いがあるか、どういう出会いをつくるか、ということについて、お客さんも、ただの受け身になっている。でもほんとうは、お客さんだって、積極的で能動的にならなくちゃいけないんです。

 そういうことをいろいろ考えていくうちに、自分はもう“マス”な音楽をやるのはよそうって思った。まあ、今も昔もマイナーだし、できないんだけれどね。(笑)
「恐怖」は報道によってつくられている
編集部 教育基本法の改定案が、9月の臨時国会の継続審議となりましたが、盛り込まれる愛国心ということばや、内心にまで国家に強制されることになるのではないか、表現の自由が狭められるのではないか、という強い懸念があるのですが、表現者のお一人としてどう思われますか?
巻上 ぼくは中学校の時は、万博があったり、ちょうど三島由紀夫が割腹自決したりして、国家のことを考える機会にめぐまれていた。でなーんとなく、君が代とか、日の丸とかなんの影響なのか好きでなく、唄ったり日の丸を振ったり、「愛国心」なんてことばを口にすることにも、ぼんやりとした抵抗があったものだけれど、今の若い人って違うのね、わりと自分の近くにいる若者たちも“ニッポン男子としては”とか、君が代を唄うということに関しては、平気というか、むしろ積極的なのかな。
編集部 日本でやるサッカーの国際試合の前には、歌手が出てきて君が代を歌いますね。
巻上 唄いますよね。あんな仕事がきたら、いやだな、困るなぁと思うんだけれど(笑)でもぼくは2番まで歌えますよ。「仰げば尊し」だって、「千島の奥も、沖縄も」っていう歌詞の4番まで歌える、希有な歌手です。
編集部 宇宙語で唄っちゃったらどうですか?(笑)
巻上 宇宙語ね(笑)。でも「君が代」は現代人にとっては宇宙語的に聞こえるかもしれませんね。あの意味をどうとらえるのか。だけど、ぼくの宇宙語でやったら怒られるでしょうね。

“自由”ということについての僕の考えは、前回も言った「音楽は楽しいだけじゃない」ということにつながるのだけれど、自分の苦悩や、うまくいかないこと、完結できていないこと、秘密のこと、人に発表できないこと・・・そういうことをちょっと気遣いながらものびのび表現できる、表現していいんだ、という社会が、自由だと思います。

 それを表現してはいけない、やっちゃいけない、というのが表現における内なる“ファシズム”でしょう?  ポップは軽くて、みんなにわかりやすくて、楽しくて、それはそれでいいんだけど、考えたり、知的に遊んだり、いろんなことできるのに、自分の可能性を閉ざしてしまう、閉ざされてしまうようではだめだと思う。

 時にそれは、明るくないかもしれないし、暗くて困難なことかも知れないけれど。自由であるというと、明るくて楽しいというイメージがあるけれども、そうじゃないし、本当はもっと大変なものなんです。
編集部 自由とか、ポップとか、音楽といったものへの抱いているイメージが変わりますね
巻上 「なんでわからないのか、なんでうまくいかないのか」という深い悩みや疑問のようなものは、誰もが抱えている大きなこと。その人が抱えている人生なんかとも合わさることではないでしょうか。だから本来はそこにポピュリズムがある。だからみんなといっしょに考える必要があるわけ。

でも、ポピュラーな音楽家は仕事に追われているばかりで、なかなか深く踏み込むことができないし、バカの一つ覚えみたいに「みなさんで楽しんでください」というけれど、楽しまなくてもいいんですよ。

自分にしかできない表現を、真剣に追求すること、探すこと。そしてどんなに困難であっても、そうやって生きていけるということを、示すことが芸術家の役目でもあるのです。
編集部 なるほど。では、これもポップカルチャー礼賛の影響かと思うのは、今の世の中、どこか楽しくない事は否定していく風潮があって、それゆえに、楽しくないと生きていけない、生きていても価値がないというように思っている人が多いのではないかと思います。そして、家に引きこもったり、学校に行けなくなったり、仕事ができなくなったり、そういう人たちについても、非常に冷たいというか、厳しい世の中になっていると思います。
巻上 僕は、若い人たちで、今、引きこもったり、何もできなくなっている人たちって、本来は有望な人だと思います。頭がいいから、そういう状態になってしまう。だって、ちょっと考えたら、絶望的になりますよ。なんて世界なんだろうって。だからある意味、正しいのです、今引きこもっている人は。

不幸なことに、人の役割をすべて絶対視しているでしょう。全て決まり切った形があるようになっている。こういう職業だったらこういうパターン、音楽だったらこう、絵だったらこう。するとこれまでものづくりをやってきた人は、自分は何もできないような、無力感を味わいますよ。

  世界が、全て既製品で埋め尽くされていくので、大工さんでもなんでも、仕事がなくなっていますね。ツーバイフォーみたいな既製品になって、やりがいがない。子どもたちの遊びも、切り取ったり、はめたりとかするだけで、そこにゼロから発明したりということが少なくなっている。

  ある枠にはいらないものは、できそこないだからダメってことになる。ほんとうはそれが楽しいのにさ。音楽もぴしっとしていないとダメとかね。

憲法についても、そこに書かれていることは理想なんだから、現実にあってなくてもいいでしょう、ってところが、僕は好きなんだけれど。でも今は、どうしても型にはまったものが求められる。
 最近の街並みなんかも、小奇麗でやんなっちゃいますね。隠れるところがないですから。
編集部 こういった傾向、世界と比べてどうなんでしょうか?
巻上 日本は突出しているでしょうね。だから生きにくく感じる人が多いし、自殺願望が多い。 今、これだけ多様な情報があるのに、こんなに画一的な世の中になってしまうんだから。
だからね、これからは僕みたいなでたらめで役に立たない音楽の出番ですよ。これでいいんだ、ってみんなに思ってもらうようにね(笑)
「恐怖」は報道によってつくられている
巻上 経営のトップでも、どういう社会を作ろうという理想がないでしょう。それは非常に大きな問題だと思う。誰も、20年先、30年先をみていない。その場凌ぎの利益主義がはびこってます。それについては、団塊の世代が、理想を持てなかったことは大きいのではないか、とも思うけれど。いずれにしても、これから、その下の世代がもっとがんばんなくちゃいけない。それは、経済の発展を越えてね。

 これからはやっぱり、ゆるやかな文化的な連帯を強めていくことが必要だと思う。例えばそれは、世界に出かける、世界から呼ぶ、さまざまな文化とのちいさな交流こそが宝になるのです。いつも僕が心がけていることですが・・・。いまやっていることを深めることこそが大切だと思っています。

 そういうことをちょっぴり真面目に考えている、といった点で、私は、立派な愛国者だと思うわけ。ちょっとでもいい国にしていきたいと思っているから。こんなに多くの人が、住みにくいと感じている国は、良くないでしょう。今、のびのび生きられないのは、やっぱり大きな問題でしょう。

それに本当に必要なのは、この地球をどうしていくか、生命をどうしていくか、という考えです。地球環境は、もう危機的な状況ですから、戦争の準備をしている場合ではないのです。
編集部 そんな巻上さんの創作活動について、今後の予定やこれからやりたいことについて教えてください。
巻上 テルミンと声のソロアルバム「月下のエーテル」が発売されたばかりです。今週末の6月10日には、横浜で、ロシア連邦アルタイ共和国より、伝統的な歌唱法、喉歌カイの歌い手、ボロット氏を招いてのライブのプロデュースと出演があります。そして、ヒカシューの久しぶりの新作が9月にでます。

これからはますます、生命力を高めるようなへんなことやる人たちが、がんばって、集まってやっていかないとね。(笑)
編集部 期待しています!
オマケムービー
巻上さんの、超歌唱家としての活躍は、世界が認めています。先日もニューヨークジャパンソサエティの公演を終えたばかり。今回特別に、『マガジン9条』のために唄ってくれました。左のアイコンをクリックして、魅惑の巻上ワールドをぜひ、体験ください。通信環境によっては、読み込みに多少時間がかかるかもしれませんが、待つ価値あり!です。音はヘッドフォンをお薦めします。
動いて唄う巻上さんは、いかがでしたか?
言葉だけだと伝わりにくい、彼の開かれた雰囲気や人柄が、
多少なりともおわかりいただけたのではないでしょうか?
オリジナリティ溢れるユニークな活動を世界で繰り広げている巻上さんが、
『マガジン9条』を応援してくれていることは、心強く感じます。
巻上さん、ありがとうございました!
ご意見募集!

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