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この人に聞きたい

071107up

落合恵子さんに聞いた(その1)

介護の現場から「生きづらさ」を考えた

自宅介護の経験から、一生懸命に働く若いヘルパーさんたちが、
どんどん切り捨てられていく状況に、
「いつからこんなに若い人の命が軽んじられる時代になってしまったのか」と落合さん。
ご自分の個人的な体験と、社会の問題をリンクさせながら、語っていただきました。

おちあいけいこ
作家。1945年、栃木県宇都宮市生まれ。1967年株式会社文化放送入社。アナウンサーを経て、作家生活に入る。東京・青山と大阪・江坂に、子どもの本の専門店[クレヨンハウス]、オーガニックレストラン、自然食材の市場等と女性の本の専門店[ミズ・クレヨンハウス]を主宰。育児と育自を考える『月刊クーヨン』の発行人。たくさんのひとと「楽しく考える」をモットーに、子どもや女性、高齢者、障がいのあるひとたちの声を、あらゆる角度から追及。書くだけでなく、行動する作家として、活動中。主な近著に、『だんだん「自分」になっていく』(講談社)、『こころの居場所』(日本看護協会)『メノポーズ革命』(文化出版局)、絵本『犬との10の約束』(リヨン社)『母に歌う子守唄 わたしの介護日誌』(朝日新聞社)、『絵本屋の日曜日』(岩波書店)など多数。

再び命が軽んじられる
時代になろうとしている

編集部

 私たち「マガジン9条」は、憲法9条について考えようという趣旨で始めたサイトですが、最近は、25条・生存権の問題についても、関心を持ち取り上げる機会が多くなっています。というのも、格差、生きづらさ、とくに若い人たちの「生きづらさ」っていうのはすごく切実です。その辺のことって、落合さんはどう思いますか?

落合

 とても感じます。今日、このインタビューを受けるというので、少し振り返ってみました。2007年の暑くて長い夏、いったい何があったんだっけなって。
 参議院選挙が7月29日に行われました。その前には、コムスンの不正請求がありましたよね。あれはコムスンに限らず、たぶん介護に関わっている多くの企業が持っている危険性だと思う。そこでも、お年寄りの命、生存権そのものが脅かされている。
 それから中越沖地震があった。今のところは、安全性に問題は「なかった」と言われているけれど、原発というものが…。

編集部

 問題、大いにありますよ。

落合

 そう。もしかしたら10年後、30年後、本当はこうだったんだっていう、話が出てくる可能性もありますよね。これだけの地震大国でありながら、安全という神話だけで続けている。ここにも「いのち」の問題があります。
 参院選の直前には、政治家たちがさまざまな失言をしている。人間が生きていく上でミスや失言はある。けれども、人間の命や人権に対して、非常に鈍感な言葉を為政者たちが使っているのは問題です。たとえば、長崎選出の久間防衛大臣(当時)の「原爆はしょうがない」発言。長崎から選ばれているのに。もちろん、長崎選出じゃなくて、どの議員でも問題ですけどね。また、麻生外務大臣(当時)の「7万8千円と1万6千円はどちらが高いか。アルツハイマーの人でも分かる」という発言もあった。
 その一方では、北九州市で「おにぎり食べたい」という悲痛な声。米が食べたいって。52歳の元タクシードライバーのかた。糖尿病と肝臓病で働けない。それなのに、「適正な受給をしましょう」などという妙な理屈で、生活保護費を打ち切られてしまった。そして、餓死。窓口の人を責めても仕方がないけれど、この国が明らかに「弱者」の切り捨てを始めているということの例ですよね、コンビニの前に行けば、半分かじったパンがそのまま捨ててある時代に、「おにぎり食べたい」って書いて52歳で餓死しなきゃいけない人生って一体なんなんだろう。無念です。
 これだけ格差が拡大されていく中で、若い人たちが、ニートだとかフリーターだとか言われて「無責任なアイツら」と批判されてきた。でも、就職したくっても出来ないじゃないですか、現実は。

編集部

 最近は、「失われた世代」=ロストジェネレーションという言われ方もされていますが、たまたまその年代に生まれただけで、本人の責任ではないのに、「普通に生活できない」なんておかしいです。

落合

 このところ介護について調べたり書いたりする機会が多いのですが、ヘルパーさんになった青年たちが、がんばって働いて月収十数万円。「これじゃ結婚できないよ〜」って言ってくるんですよね、本当に一生懸命やっているのに。
 ひとつひとつを見ていくと、生存権、命が、これほどまでに軽んじられた時代があったんだろうか、と。9年連続で自殺者数が3万3千人を超えるという状況が続いている。こんなことって、今までなかったはずです。

編集部

 若年層の死因の1位が、自殺ですからね。

落合

 20世紀、戦争の世紀が終わって、わたしたちはもっと豊かで深い夢を見て21世紀を迎えたはずなのに。それは教育基本法の改悪もそうでした。若い人たちの命が大切にされないっていうことは、子どもの命も大切にされないということだし、当然、お年寄りの命も大切にされないということ。そのことを今年、見せつけられたって気がするのね。
 その結果として、参議院選挙は少々与党にお灸…というのはあったけれど。ただわたしは、今夏の参院選の結果と小泉劇場の結果って、同じような気がしてるんですよね。小泉劇場で盛り上がった人たちが、参院選では違う動き方をしたのではないか、と。これで福田政権が安定し、少々リベラル風なんて言われると、またそちらへ大きく流れる動きも出てくる…。だから、次の衆議院選挙が正念場になると思う。憲法をどう考えていくのか、ということも含めて。

介護の現場から
見えてきたこと

編集部

 落合さんは、お母様の介護を通じて、この国の福祉政策というものに直面せざるを得なかったんですね。

落合

 7年間介護をしていて、福祉がどんどんどんどん切り捨てられていく状況を、味わってきました。例えば、介護について新聞に連載していますが、読者からの手紙が「(介護認定の要保護度が)5が4になりました」「4が3になりました」「3が2になりました、もうお買い物にも行ってもらえません」…、悲痛です。「私の最大の不幸は、長生きしてしまったことです」とおっしゃる人が、今この時代にとてもたくさんおられる。

編集部

 ほんとにね、介護の話では、自分のことで恐縮ですが、私なんかも深刻なわけで、うちの母には故郷の施設に入ってもらっているんですけど、もう半身不随で動けないからずっと要介護度5です。落合さんがおっしゃったように、そこにいる職員、一生懸命やってくれている職員ってものすごく若くて気持ちがいいんですよ、みんな。ところがね、私が帰郷してその施設を訪れる度に職員が替わってるわけ。話をすると明るくてとっても良い子たちなんだけど。なんでこんなに行く度に替わるんだろうって思うとやっぱり、「暮らしていけない」からなんですね。

落合

 そう。ヘルパーさんだってそうですよ。一生懸命やればやるほど、矛盾に気がついて、同時に自分はクタクタに疲れ切っていて、食べられなくなっていく。この国は人間を使い捨てにしてると思う。それでいて一方で、若いもんは軟弱だ、根性がない。だからやっぱり軍隊に入れて鍛えなおさなくちゃ、なんて声が平然と出てくる。以前はもう少しためらいがちでしたが。「徴兵制なんてあり得ない」なんて言っている若い人たちには、騙されるな!って強く叫びたい。
 この時代に、お年寄りをいろんな形でサポートしようとする若い人たちの多くは、ある部分は心に傷を持っていたり、あるいは志をとても高く持っていたり。その若い人たちが使い捨てにされる労働条件の中で、仕事が続けられない現実があるっていうことを、なぜ政府は直視しないのか。介護保険と合わせて、福田さんは見直しするとは言っているけれど、障がい者の自立支援法、これも醜い。

編集部

 「障害者自立支援法」なんて名前がふざけてますよ。

落合

 そうだよね、政治家たちが、「自立」という言葉を使うときは、「もう面倒見ない、捨てるよ」と言ってるわけでしょ?
 小泉さんが言った「自己責任」と同じですよね。わたしたちに決定権を持たせないで、何も知らせないでおいて、自己責任なんて。「厳かな言葉には気をつけろ」ですね。「自立」という言葉がいかに冷く使われてきたか、孤立させ、その人たちの存在にフタしちゃおっていうことでしかなのだと、感じますよね。

編集部

 確かにそうですね。

言葉によるバッシング、責任転嫁

落合

 高遠菜穂子さんたちがイラクで人質になったときに使われたあの言葉。メディアも含めて、ほとんど全てがあの「自己責任」に乗ったじゃないですか。乗った人間のうちの何割かは、きっと、彼女たちの行動に対して、無意識の後ろめたさを持っていたんじゃないでしょうか。 彼女たちが行ってきたことは、決してバッシングの対象になるようなことじゃなかったはずです。政府が、やりたくてもできないことを、民間レベルでしてくれていた。自分ができないことをやろうとしていた人たちに対する後ろめたさ。でもその後ろめたさを見たくないから「自己責任」という言葉でバッシングに走ったように感じました。
 だからわたしは「自己責任」って言うなら、まず自己決定権を認めろと言いたいのね。100%持たせろと。で、情報全部よこせと。その上で選んだのなら自己責任といえるけれど、そんなことは全然していないじゃない、政府は。

編集部

 今ようやく、参院選の余波もあって、多少「立ち止まる」ところまで来ているかもしれないけれど。

落合

 それと、本当に怖いなあって思うのは、小泉さんから始まり、安倍さんが受け継いださまざまなキナ臭い法律。盗聴法もそうだったし、有事立法といわれる一連のもの、それから教育基本法。マスメディアにも凄く大きな責任があると思う。教育基本法改悪反対といくら集会やっても、メディアは動かない。報道されなきゃ、思いは伝わらない。で、最後になって、報道。でもさ、あれじゃあ誰も選択できないよね。

編集部

 「自己責任」という言葉は、問題の本質をすり替えてしまう危うさもあります。

落合

 何かが変わる時ね、立ち止まるっていうのは…。

編集部

 今イランで、大学生が人質になっているじゃないですか。そこに対しては自己責任論が声高には出てきてないですよね。だからやっぱり、メディアの中にもちょっと抑制しようっていう反省の色があるのかと。まあ、よく考えれば、ですけど。

落合

 でもその「ちょっと」のところで安心すると、結局おなじ繰り返しで、次に繰り返される時には、もっと深くひどい傷になっていくっていう気がして。確かにわたしも、安倍さんよりは福田さんでよかったなと思いますよ、少しは。でも、彼が最終ランナーになってくれたらなあって(笑)。

編集部

 すごく希望的な観測(笑)。

落合

 オプティミスティック平和主義っていうのがあって(笑)。ペシミズムにつかまってたら、もうやってらんない。そうすると人も信じられなくなるし、自分の人生全部否定しなきゃいけなくなるし。だから時々は、オプティミズム全開でいかなくちゃと思うのよ(笑)。

楽観主義ではいけないけれど、希望は持ち続けていきたいと落合さん。
次回は、終戦の年に生まれた落合さんが、憲法をどう考えて生きてきたのかについて、
語っていただきました。お楽しみに!

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