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この人に聞きたい
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辛淑玉さんに聞いた

9条は世界へ向けた日本の国際公約
人材育成コンサルタントとして、年間百数十回の研修・講演活動をこなすかたわら、
さまざまなメディアで言論活動を展開している辛さん。
在日三世としての立場から見た、憲法9条の価値について語っていただきました。
辛淑玉さん
しん すご 1959年東京生まれ。
在日三世。人材育成コンサルタント。
明治大学政治経済学部客員教授。
壮絶な個人史をまとめた『鬼哭啾啾』(解放出版社)をはじめ、
『怒りの方法』(岩波新書)、『女が会社で』(マガジンハウス)ほか著書多数。
最新刊はハンディを持つ子どもたちの絵をまとめた『となりのピカソ』(愛媛新聞社)。
殺す側に回る責任を負いたくないから、人は「政治家にだまされた」という保険をかける
編集部  辛さんは在日朝鮮人三世として日本で生まれ育ってこられましたが、戦争について直接的・間接的に見聞きしてきたことはありますか?
 戦争の傷跡は未だに私たちの中に残っています。うちの祖母の日本名は千代子でした。「千代に八千代に」の千代子。この名前は朝鮮人の一世の女性にとても多いんですね。つまり天皇制というのは、私たちの生活の中に、圧倒的な支配の構造として生きてきたわけです。
 また、たとえば朝鮮戦争のときに、私たちの上の世代の多くは、就職ができなかったので、鉄くずを集めて生活していました。腰に磁石をつけて歩き、くっついてきた鉄くずを拾い集める。その鉄くずはナパーム弾
になって朝鮮の空から落とされました。でも、貧乏な暮らしを強いられてきた一世たちは、それをわかっていても、食べるためにそうせざるを得なかった。そのような話を身近なところからたくさん聞いて育ちました。

※ ナフサ、パーム油などを主成分とする油脂焼夷弾。アメリカ軍が開発したもので、きわめて高温(900〜1300度)で燃焼し、広範囲を焼尽・破壊する兵器。着弾点から比較的遠くても、ナパーム弾の燃焼の際に大量の酸素が使われるため、窒息によって死亡することもあった。(ウィキペディアより)
編集部  このところの憲法9条をはじめとした急速な改憲への動きについて、辛さんはどう見ていらっしゃいますか?
 ほんとうにたくさんの人々が9条を変えようと口にするようになりましたよね。ただ、しっかりとした自分の考えがあってのことではない。なぜ、いま9条を変えたいのか、その根拠はあいまいです。そんな様子を見ていると、「ああ、この人たちはお上にだまされたがっているのだなあ」と思いますね。
編集部  だまされたい?
 9条を放棄するということは、正規の軍隊を持ち、戦争ができるようにするということ。国を守るためと言いますが、それはまず自分が戦争で殺される、そして自分や自分の子どもがよその国へ出かけていって人を殺す側に回るということですよ。
  その事実にきちんと向き合おうとしない人々に限って、9条を変えようという政治家のことばにたやすく乗ってしまう。自分が殺されることはないと思い込み、同時に人を殺す側になることに責任を負いたくないから、「自分はだまされていた」と言い訳できる保険を探している。だまされていたのであれば責任をとらなくていい、と思っているわけです。そのツケは結局自分たちに回ってくるのに、そうは思っていない。当事者性がまったく欠落しているんですね。いまの9条改憲論の背景にはそんな無責任さが漂っています。
日本社会は今、ラクな方向、責任をとらないで済む方向へ向かっている
編集部  辛さんは自衛隊のイラク派遣にも反対を表明していますね。
 ええ、自衛隊のイラク派遣を見ていると、本当に日本は9条を守ってきたと言えるのか、疑問に思います。 たしかに9条があるおかげで、日本は戦後60年間、直接手を下さないで済んできた面もある。でも、朝鮮戦争から始まってベトナム戦争、湾岸戦争、そして今回のイラク侵攻と、実は日本はアメリカの戦争に一貫して加担しているのではないか?
 そのもっともわかりやすい例が香田証生さんを見殺しにしたことです。自衛隊を撤退させなければ香田さんを殺す、というテロリストの要求に対して、小泉首相は撤退させないと即座に断言した。それはつまり、香田さんに死刑を宣告したのは小泉首相で、執行者がテロリストだったということですよ。この香田さんの死ほど、日本はいま戦争状態にあるんだということを実感させた事件はありませんでした。
 ところが、香田さん殺害に責任を負いたくないメディアや市民たちは、「100ドルしか持っていなかった」「短パン姿で紛争地に入った」「政府の退避勧告を無視した」といった言い訳を並べたてたばかりか、あげくには非国民ということばで彼を指弾するようになった。香田さんを見殺しにしたことに責任を負わなくて済む大義、あるいは保険をメディアや市民が自ら求めたと言っても言い過ぎではありません。

  戦争というきわめて深刻な事態に対して、日本社会が楽チンな方向、責任をとらないですむ方向へ向かっているという点では、香田さんをめぐる対処のあり方と9条をめぐる改憲論は根っこでつながっている。冒頭で「日本国民はいま、お上にだまされたがっている」と私が言ったのはその構図を指しているのです。
編集部  戦争になれば、自分たちが戦場に送り込まれるのだというイメージは、ほとんどの人が持っていないですよね。
 9条の改変を主張する人々には、その想像力が欠けているのです。だいたい、どこの国でも金持ちや特権層は戦争には行きませんよ。日本もその例外じゃない。旧陸軍しかり、旧内務省しかり。東大法学部卒はもっぱら赤紙を出す側に回り、実際に戦場で殺し合いをさせられたのは貧乏人がほとんどです。
 大教大附属池田小であった児童殺傷事件のときもそうだが、日本社会は自分の子どもをどう守るかばかり心配している。自分の子どもが人を殺すかもしれないという風には考えない。いわんや国家に殺されるなんて、想像だにしない。
 でも、9条を放棄するということは、自分の子どもがむりやり戦場へ狩り出されて人を殺したり殺されたりする可能性を作り出すということ。9条を守るのか捨てるのかを議論するなら、その重たい事実をまず、しっかりと見つめなくてはならないはずです。9条があるからこそ、日本国民の生命や安全が守られているのだということに、もっと想像力を働かせるべきです。
編集部  もし、9条を放棄することになれば、アジアや世界から日本はどう受けとめられることになるのでしょうか?

 日本はサンフランシスコ講和条約を受諾して独立を回復しました。だから、その講和条約に先立ついまの憲法、なかんずく9条はアジアや世界に対する日本の国際公約とでも呼ぶべきものなのです。

※編集部注:「サンフランシスコ講和条約」の正式法令名は「日本国との平和条約(Treaty of Peace with Japan)」。全文はこちら 出典元「日本の法令デジタル録音図書」

 戦後60年経ったいま、9条を放棄するということは、「戦争はもう二度としません」というその公約を破る、さらにはサンフランシスコ講和条約をも公然と踏みにじるということです。これは、ちょっと過激に言うと、宣戦布告にも等しい行いですよ。

 それでなくても日本はいま、小泉首相の靖国参拝強行でアジアからの信頼を失おうとしています。小泉首相は「二度と戦争をしないと誓うために参拝している」などと言い訳しています。じつに巧妙な言い訳で、近現代史を知らない人ならコロッとだまされかねない。でも小泉首相は、「二度と戦争はしない」と明言しておきながら、その同じ口で一方では「アメリカのイラク侵攻を支持する」と言ってのける。どっちの発言が本当なのか? 一国の政治リーダーとしてはあまりにもことばが軽すぎます。
 そんなことだから、「二度と戦争しないために靖国に参拝する」なんていう矛盾したことが平気で言えるのでしょう。
 あのコメントの前にあったのは「中国には中国の、韓国には韓国の立場がある。それぞれの国がそれぞれの死者に対してどのように弔おうとも、私は文句は言いません」ということば
でした。被害者が加害者に向かって抗議しているのだという基本がまったく分かっていないのです。

※(平成16年2月10日第159回衆議院予算委員会 第7号会議録より)
小泉内閣総理大臣
(略)今日の日本の平和と繁栄は多くの戦没者の犠牲の上に成り立っている。こういう、心ならずも戦場に赴いて命を失わなければならなかった方々、こういう方々に哀悼の誠をささげたい、家族を残し、あえて命を失った方々に敬意と感謝をささげたい、そして、二度と戦争を起こしてはいけないという気持ちで靖国神社を参拝しているのであって、私は、日本に死者までむちを打つという感情は余りないのではないか。
中国には中国の立場があります。韓国には韓国の立場があります。しかし、死者を弔うことについて、韓国、中国がどのような対応をとろうとも、私は文句を言うつもりはありません。批判をするつもりはありません。日本の一つの伝統といいますか、歴史を大事にする、二度と戦争を起こしてはいけない、そして戦没者に対する哀悼の誠をささげるというのは、私は人間としても自然な感情ではないかと思います。そういうことについて、よその国から、ああしなさい、こうしなさいと言われて、今までの気持ちを私は変える意思は全くありません。


 アジアの人々からすれば、日本がA級戦犯や戦争を主導していった人々ばかりを祀り、戦争に反対して特高警察
に殺された人など、戦争被害者の名誉回復にはまったく無関心でいることも不思議でならない。これでは日本がいくらことばで過去の過ちを謝罪しても、アジアから信用されっこないですよ。

※編集部注:特別高等警察の略称。戦前の日本で天皇制政府に反対する思想や言論、行動を取り締まることを専門にして秘密警察のこと。

 そんな日本にとって、アジアに信頼され、ともに手をつなぎあえる最後の細い糸とでもいうべき存在が9条なんです。9条という歯止めがあるからこそ、アジアは日本がいくら自衛隊を増強しても安心していられたのです。その大切な切り札をいま、日本国民はみずから葬ろうとしている。これはアジアにとっても日本にとっても大きな損失でしょう。どうしてこんなに貴重な9条を捨ててしまいたいのか、本当にもったいないですね。

 私は、9条が求める人間像のサンプルは、ペルー公邸人質事件のときの、国際赤十字のミニングさんだと思うんです。ゲリラ側の銃口と、政府側の銃口のあいだを、赤十字のゼッケン1枚だけで何度も行き来し、交渉に当たった。あの姿が、国際社会が日本に望む姿だったと思うんです。でも日本は、一度としてそういう姿勢を具現化したことがありません。
 暴力でコントロールするというのは最後の手段で、かつもっとも簡便な手段ですよね。これって一度やってしまうとすごくおいしいんです。人間関係でゴチャゴチャ苦労するより、叩けば済むわけですから、どれほどラクかわからない。今、日本はそのラクな方向にどんどん向かっているのではないでしょうか。

つづく・・・
アジア全体の中で日本が取るべき立場を、
客観的な視点から示唆していただきました。
次回は辛さんに、9条が変えられたあとの日本について
語っていただきます。お楽しみに!
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