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この人に聞きたい

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辻井 喬さんに聞いた(その1)

「大衆」の自立と、
日本生まれの「革命」思想を!

70年代後半から90年にかけ、日本の経済のみならず
文化に絶大な波及力を持っていたセゾングループの元代表、
堤清二さんこと辻井喬さんの登場です。
辻井さんが影響を受けた戦後の思想から
現在の政治状況について、お伺いしました。

つじい たかし
詩人・作家。本名は、堤清二。1927年生まれ。元セゾングループ代表。1955年に詩集『不確かな朝』を刊行、以来数多くの作品を発表。これまでに室生犀星詩人賞、高見順賞、読売文学賞詩歌俳句賞、平林たい子文学賞、谷崎潤一郎賞、野間文芸賞などを受賞。憲法再生フォーラム代表、マスコミ九条の会呼びかけ人。近著に詩集『自伝詩のためのエスキース』(第27回現代詩人賞受賞)、小説『遠い花火』、随筆評論集『新祖国論』、講演録集『憲法に生かす思想の言葉』などがある。

日本の「二大政党制」は、
架空の議論にすぎなかった

編集部

 今年2月の中川昭一前財務・金融相の辞任問題などで、麻生内閣の支持率が一時期20%を割り込むなど、政界の混乱が続いています。辻井さんは、さまざまな政治家の方ともお付き合いがおありだと思うのですが、この状況をどのようにご覧になっていますか。

辻井

 まず、これ、ご参考になるかもと思って持ってきました。今年の3月に出た『ニューズウィーク』です。麻生首相の写真が表紙なんですが、タイトルが「ポンコツ政治〜なぜ世界第2位の経済大国に無能な指導者しか生まれないのか」。英語版でも同じ写真が表紙になっていて、「LOSING HAND」というタイトルがついています。日本の政治レベルが世界的に評判になっているわけで(笑)。おそらく憲法9条よりも有名ですね。
 世界的な雑誌が他国の政治をここまで書くっていうのは異常ですよ。明治維新以来、ここまではっきり言われたのは初めてじゃないですか。鹿鳴館時代だってここまでは言われていなかったと思いますね。

編集部

 一方、その麻生政権からの「交代」を目指すはずの民主党のほうでも、小沢代表の公設秘書逮捕事件がありました。一部には国策捜査ではないかといった声もあって、漆間官房副長官の「捜査が自民党に波及する可能性はない」という発言が問題になりましたね。

辻井

 もともと、あの漆間という人は、真面目な人で嘘が言えないんです。これまで公安関連のことしかやってこなかった人だと言われています。それがなぜ副長官になったかといえば、麻生さんが首相になったときは選挙をやるつもりだったから。しかし、その選挙がなくなっちゃったものだから…。その漆間さんの、政治の動きの読めないところが丸出しになった発言でしたね。
 しかし、あの逮捕事件の直後の世論調査でも、総理適任者としての支持率は小沢さんのほうが麻生さんよりは上だったんですよね。たしかに民主党の支持は少し減ったけれど、自民党の支持もそれほど増えていないから、選挙をやっても自民党が勝てないことには変わりはない。数字が自民に有利になったら選挙になるかなと思ったけれど、やっぱりできないでしょうね。

編集部

 結局、任期満了の9月までずるずると…。

辻井

 その可能性が高いんじゃないでしょうか。まあ、予算が通ってしまえば自民党の中から辞任しろという声が出るかもしれませんが。
 それにしても、民主党のほうは予算が通っても麻生さんにはやめてほしくないだろうし、自民党はいろいろあっても小沢さんでがんばってくれと思っている。互いに相手には今のままの体制でいてもらって、結果的にアベレージダウンになることを期待しているわけですよね。つまりそれは、日本のことをちゃんと考えている政党がないということ。そんなのは二大政党とは言わない、二小政党ですよ。
 もっとも、日本における「二大政党論」というのは、最初から架空の議論にすぎなかったんだと思います。民主党も自民党も、結局は同根でしかないんですから。

「自立した大衆」の
生まれてこなかった日本

編集部

 では、そうした状況がどのように生まれてきたのかを考えてみたいと思うのですが…辻井さんご自身も1950年代、いわゆる55年体制が成立する前に、政治家秘書を体験されたことがおありだそうですね。

辻井

 父が保守派の政治家だったので、その秘書を1年ほどやりました。そのときに「ああ、これは私の入る業界じゃないな」という気がしまして、「もう絶対政治の世界には入らない」と決めたんですが(笑)。その後父親が他界したときにも、後援会の人などに「ぜひ出てくれ」と追っかけられましたが、断りました。
 でも、あのころは政界全体を通じてまだ活気のあった時代でしたね。社会党もなかなか元気がよくて、共産党は議席がゼロになったり30人になったり、変動が激しかったんですけど。
 そこから民主党と自由党が合併して自由民主党になり、左右社会党が合併して統一社会党になって、いわゆる55年体制が生まれたわけです。それから50年以上経ってますが、ほぼずっと同じ政党が政権をとっている。これ自体変な話で、そんなのは日本だけですよ。よく「政権を担当できる野党が育たなかった」という言い方をしますけど、それには我々国民の責任もあると思います。

編集部

 野党を育てられなかった、という意味で…。

辻井

 私は大学を卒業してからしばらくの間、丸山眞男にとても影響を受けたんですが、彼は晩年、非常に絶望していたと思うんです。丸山さんは敗戦のとき「これで日本は民主主義になる、何年かしたら自分で判断できる大衆が生まれ、日本の社会も政治も合理的に動いていくはずだ」と考えていた。ところが、実際には何年経っても、自分の考えで世の中や政治に対する態度を判断して、投票先を決めることのできる大衆は生まれてこなかった。これは私の解釈ですが、「どうして日本では自立した大衆が生まれてこなかったのか」というのが、彼にとっては大きな悩みだったと思います。

編集部

 しかし、エーリッヒ・フロムが『自由からの逃走』を書いたように、革命時期には自由を志向していた大衆も、ある種の平穏な民主的なシステムが出来上がってきたときには逆に自由から逃げてしまうというのは、日本だけではなくほぼ世界的な傾向なのでは、とも思うのですが…。

辻井

 しかし、そのフロムが参考にしたアメリカでさえ、ブッシュに替わってオバマを選んだわけですよね。私はブッシュ政権の晩年、さすがに「もうアメリカはダメかな」と思っていたんです。それでこの間の選挙を固唾をのむような気持ちで見ていたら、オバマが勝ったでしょう。「ああ、アメリカにはまだ再生する力が残っていたんだ」と思いました。
 言うまでもないことですが、オバマが成功するとは限りません。むしろ失敗する可能性のほうが高いかもしれない・・・。何を成功と言い、どうした状態を失敗と言うかにもよりますが、それくらいアメリカが迎えている困難は大きい。アメリカ一国の困難ではなくて資本主義社会全体の困難にぶつかっているわけですから、いかにオバマ1人が有能であっても、それで解決できるとは思いません。しかし、「もう変えなきゃだめだ」と民衆が意思表示したのは確かですよね。

「日本生まれの革命思想」を育てよう

編集部

 ひるがえって、日本はどうでしょうか。

辻井

 ひどいですね。まずメディアがひどい。小沢の事件のあと、私は新聞を気をつけて見ていたんですけど、「二大政党論は間違いだった」という反省の弁はどこからも出てこなかったですね。
 それから、「軍備を持って独立しなきゃならん、軍備を持たずに今の状態がいいなんていうのは自虐史観だ」なんて言ってる人もいる。でも、そういう人に「憲法を変えて、じゃあアメリカと対決する気はあるの?」と聞いたら、誰もそんな気はないんですよ。
 そういう点において、私は日本は明治以後、二重三重の原因で堕落したと思っています。

編集部

 とおっしゃいますと?

辻井

 ひとつは、権力を中央に集中して憲法をつくり、外国に対してはいかにも民主的な開かれた法治国家のように体裁をつくろいながら、明治憲法下では、保安条例、新聞条例などの条例をつくって、むしろ憲法の制定前よりひどい人権状況をつくり上げていったこと。それでいて、対外的には「我々は立憲国家である」と嘘をついたわけですね。
 もう一つの大きな間違いは、「日本には思想なんてものはなかった」という考えがまかり通ったこと。思想はドイツでもギリシャでも、西欧からもらってこなきゃいけないものだとされ、日本の中で生まれてくる民主主義や革命の思想は、「くだらないもの」として切り捨てられた。ですから芸術文化の状況は明治維新以後、江戸時代よりはるかに落ちて、悪くなっています。
 そうした流れによって、日本の政治家には、自分が言っていることと生活感覚が離れていても平気で、何も問題に思わない人が増えてしまった。これは思想に対する冒涜ですよ。
 残念だけれど、それを平気でやっているのは、特に革新系の人に多いかもしれないですね。私はよく、革新政党の影響力が強い「9条の会」に行ったときなんかに、「日本の政治度をだめにしている一つの要因は革新系にある」という話をすることにしているんですが(笑)。

編集部

 具体的には、どういうことですか?

辻井

 たとえば、大学でジェンダーについての講義をした偉い先生が、うちへ帰ると奥さんに「おーい、お茶」とか。あるいは、僕が共産党にいたときの体験でも、「共産党こそ個人の自由をきちっと守るはずだ」と思っていたら、徳田球一の(注1)「家父長制」があったりね。それで、これはおかしいということで、除名されちゃったんですけれども(笑)。
 だから、私たちは今、そろそろ日本生まれの革命思想を、一生懸命大きくしていく努力をしなくちゃいけないんだと思います。安藤昌益(注2)とか、思想を持った人は日本にもちゃんといたんですから。

注1 徳田球一(1894〜1953) 沖縄出身の政治家。日本共産党の結成に参加し、治安維持法違反で逮捕されて戦前・戦中の18年を獄中で過ごした。戦後は日本共産党初代書記長となり、衆議院議員を務める。その死後、「徳田天皇」と揶揄されるような「家父長的」支配体制が批判を受けた。

注2 安藤昌益(1703〜1762) 江戸時代の医、思想家。著書『自然真営道』などを通じて、あらゆる階級性を否定し、すべての人が農業を基本とした労働に携わる、徹底した平等社会の構築を主張した。

編集部

 安藤昌益の、「自然真営道」とか…。

辻井

 自然真営道は、たしかに原始共産主義的な性格を持っていますが、そうするとすぐに「あれはトロツキストだ」なんて言われ方をする。そんな外国製のレッテルを張る前に、もうちょっとプラスの面を探してみるべきなんじゃないかと。そう思いますね。

その2へつづきます

「大衆の自立」というテーマは、「自立して買い物をする大衆」を促し、
またライフスタイルにまで影響を与えた、
西武百貨店やパルコの一連の広告を思い出します。
次回は、マスコミ9条の会の呼びかけ人を務める辻井さんに、
9条への思いなどをお聞きしていきます。

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