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雨宮処凛がゆく!

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あまみや・かりん北海道生まれ。愛国パンクバンド「維新赤誠塾」ボーカルなどを経て作家に。自伝『生き地獄天国』(太田出版)のほか、『悪の枢軸を訪ねて』(幻冬舎)、『EXIT』(新潮社)、『すごい生き方』(サンクチュアリ出版)、『バンギャル ア ゴーゴー』(講談社)、『生きさせろ!〜難民化する若者たち〜』(太田出版)など、著書多数。現在は新自由主義の中、生活も職も心も不安定さに晒される人々(プレカリアート)の問題に取り組み、取材、執筆、運動中。非正規雇用を考えるアソシエーション「PAFF」会員、フリーター全般労働組合賛助会員、フリーター問題を考えるNPO「POSSE」会員、心身障害者パフォーマンス集団「こわれ者の祭典」名誉会長、ニート・ひきこもり・不登校のための「小説アカデミー」顧問。「週刊金曜日」「BIG ISSUE」「群像」にてコラム連載。雨宮処凛公式サイト

生きさせろ!
雨宮処凛の闘争ダイアリー

※アマゾンにリンクしてます。

野宿経験者に学ぶことと、
「自由と生存の家」の巻

新たに結成されたアパレルユニオン組合員の2人と。

 3月28日に開催された反貧困フェスタは、1700人が参加し、大成功となった。

 派遣村の村民の人たちもたくさん来ていた。私と湯浅さんがコーディネートをつとめた昼のシンポジウムでは、村民の方々も発言してくれた。飯場暮らしをしていた人や派遣切りに遭った人、自殺を考えていた人。「派遣村がなかったら死んでいた」「命を救われた」という言葉に、改めて年末年始のあの光景を思い出した。505人が生きて年を越すために集まった派遣村。1人1人の「生存」が、あの「村」にかかっていた。

 こういう場には初めて来たという大学生と話をした。彼女は派遣村報道を見て、派遣村の人々が生活保護を受けることについて、「そこまでするのは優しすぎるのでは」と思っていたという。しかし、実際に村民の人たちに会い、シンポジウムで彼らの肉声を聞いて、自分は何もわかっていなかったと反省していた。働いても働いてもいろいろと引かれて月に2、3万にしかならない飯場の実態や、突然打ち切られた派遣の仕事。派遣村に辿り着くまでの経緯をじっくり聞いたことによって、「普通に生活していた人」が一気に転落してしまうシステムに驚愕したのだろう。村民の人々は「まさか自分がこんなことになるなんて」と口にした。その「まさか」が本当に起こっているのが今の日本だ。

 フェスタの打ち上げで、1月5日に派遣村に辿りつき、生活保護申請をしたという元村民の男性と隣になった。私より年下の彼は、3年間、野宿生活をしていたということだった。その間、誰とも話さず、人間関係もまったくなく、日雇いの仕事などもせず、ひたすら「拾ったものを食べて」生き延びていたという。1カ所に野宿していると、周りのコンビニやファストフードなどの廃棄情報にも詳しくなるらしい。風邪をひいた時は、ひたすら寝て治す。が、生活に必要なものは探すと落ちているそうで、薬なども拾って飲んでいたという。3年間の野宿生活の間、彼は一度も人を傷つけたり、モノを盗んだりすることもなかった。

 そんな野宿生活時代の話を彼は笑いを交えながら語ってくれた。今まで、野宿を経た人たちに多く話を聞いてきた。で、こういう言い方は不謹慎かもしれないけれど、彼らの話はものすごく面白いのだ。そこには人間が「生きる」ために必要な、サバイバル情報がすべて詰まっている。都会の中で家もお金も人間関係も失った時、「そうやって生き延びればいいのか!」と、目からウロコなノウハウが満載なのだ。「生きるために必要なものは探せばだいたい落ちている」とか、ゴミに出ている古本をブックオフに売ってお金を作るとか。そしてそれは、大変「勉強」になる。なぜなら、私自身もいつどうなるかなんてまったくわからないからだ。普通にどこかに勤め、「安定」していると思われている人さえもがクビを切られている。そのうちの何割かは確実に路上生活へと追いやられていく。そんな人たちに比べても、私の仕事は限りなく不安定だ。00年に1冊目の本を出し、それから9年、なんとか「書くこと」だけで食べているが、そんな生活は恐ろしく綱渡りだ。失業したところで、どこからも保障されない。そして仕事がなくなっても、自分がいつ失業したかもわからない。そんな焦りから仕事をしすぎて過労死しても、常に複数の会社の仕事をしているからどこにも責任を問えない。これって、「日雇いの仕事で身体を壊しても、常に毎日違う現場に入っているので責任の所在が不明で保障されない」みたいな状況と非常によく似ている。そういう意味では書き手と日雇い労働者の垣根なんて恐ろしく低いものだ。だからこそ、私は「まさか自分が」という思いで野宿生活になってしまった人々の話を、とても他人事だとは思えない。

 だけど、多くの人はいまだに「自分とは無関係」と思っている。最近、「最下流ホームレス村から日本をみれば」(ありむら潜 日本居住福祉学会 居住福祉ブックレット)を読み、ドイツの人のこんな言葉を目にして驚いた。

 「失業がおもな原因で野宿になるというパターンはドイツにはありません。住居は家賃補助制度などで簡単には失わないからです」

 翻って日本ではどうだろう。失業→家賃滞納→ホームレスというケースがいかに多いことか。そしてそんな経緯を辿ってホームレス化してしまうことが、「仕方ないこと」として社会的に「容認」されてはいないだろうか。が、同書では、日本に「居住保障政策」がないことが指摘されている。

 「日本の社会保障からは住宅という問題が欠落している。欧州は社会保障給付に占める住宅政策の割合が二割程度あるのに、日本は一%程度です」。(読売新聞大阪版06/3/18)

 端的に言って、失業ですぐに家を失う国とそうそう簡単には失わない国があり、日本は「すぐに家を失う国」なのだ。ホームレス問題を考える時、こうして政策の部分から考えることで問題が整理されてくるだろう。

 さて、そんな家を失いやすい国で、新たな取り組みが始まってもいる。それはフリーター全般労働組合の「自由と生存の家」(仮称)設立だ。自分たちで家を作り、運営してしまうという取り組みである。現在、四谷のアパートの改装工事を組合員で進めている。労働組合が「自由と生存の家」をセルフビルド中。って、なんだか派遣村を経た09年を象徴してはいないだろうか。が、やっぱり金がない。ということで、カンパ大募集中。私は「自由と生存の家サポーターズクラブ」の呼びかけ人でもある。

 4月4日には、私や湯浅誠さんがパネラーとなり、設立記念シンポジウムも開催。「ハウジング・プアから見えるもの 生活の場を奪われた者のたたかいと自治的空間の創造」というタイトルだ。そう、家がないから作るだけでなく、そこを「自治的空間」として取り戻す。「奪われた者」たちは、こうしてそれ以上のものを奪還していくのである。

 「自由と生存の家」の詳しいことはこちらで。

 今、「労働/生存」運動のテーマは、「居住」に焦点が当てられつつある。住むとこないから。賃上げとか待遇改善とか以前に、「住むとこよこせ」という運動。これって、やっぱりひどい状況だよね?

来日した韓国の「88万ウォン世代」の名付け親、ウ・ソックンさんと。この後、「さくら水産」にて日韓連帯メーデーについて作戦を立てる。

仕事を失うことが、即「住む場所を失う」ことにつながってしまう、
そんな国が果たして「豊か」といえるのか。
「失業」や「路上生活」と自分との間の「垣根」の低さに、
「垣根」の低さに、どれだけ多くの人が気づけるのか。
それが状況を変える第一歩だ、と強く思います。

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