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雨宮処凛がゆく!

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あまみや・かりん北海道生まれ。愛国パンクバンド「維新赤誠塾」ボーカルなどを経て作家に。自伝『生き地獄天国』(太田出版)のほか、『悪の枢軸を訪ねて』(幻冬舎)、『EXIT』(新潮社)、『すごい生き方』(サンクチュアリ出版)、『バンギャル ア ゴーゴー』(講談社)、『生きさせろ!〜難民化する若者たち〜』(太田出版)など、著書多数。現在は新自由主義の中、生活も職も心も不安定さに晒される人々(プレカリアート)の問題に取り組み、取材、執筆、運動中。非正規雇用を考えるアソシエーション「PAFF」会員、フリーター全般労働組合賛助会員、フリーター問題を考えるNPO「POSSE」会員、心身障害者パフォーマンス集団「こわれ者の祭典」名誉会長、ニート・ひきこもり・不登校のための「小説アカデミー」顧問。雨宮処凛公式サイト

雨宮処凛の闘争ダイアリー
雨宮処凛の「生存革命」日記

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再びネットカフェからのSOS
〜カップル編〜 その2

 二人の話に戻ろう。
 A君は、生まれは九州、育ちは東京。
 高校を中退してからは、様々な仕事をしてきたという。私が最初に会った今年4月の時点では「ネットカフェ難民」状態だったわけだが、それは日払いの仕事が週払いになったことをきっかけにやめ(週払いだと生活できないため)、住み込みの仕事を見つけるものの、様々な手違いからそれまで住んでいたゲストハウスを追い出されてしまい、同時に携帯も止まったことから新しく決まっていた仕事先には「逃げた」と思われてしまう・・・というもろもろのトラブルが重なったことがきっかけだった。そしてこの手のトラブルは、貯蓄もなく、ギリギリの状態で暮らす人々(若者には限らない)にはよく起こることである。私は彼を迎えに行った日に派遣村相談会のチラシを渡して相談に行くように伝え、若干のお金をカンパしたのだが、運良く次の日には知り合いのツテで他県での仕事が決まったのだった。カンパしたお金は、その時の交通費として役に立ったという。ここまでが、私が知っていた話。それにしてもあれから半年間、よくもったなぁ・・・。それが私の率直な感想だった。彼は相当、頑張ったはずである。以降はこの日、初めて知った彼のその後だ。
 すぐに某県に向かった彼は、そこで住み込みで農業を始める。日給は4000円。が、家賃もタダで食事も出る上、お金を使うこともない生活なのでお金に困ることはなかったようだ。そこでの仕事が5月に「期間満了」のような形で終わる。よく「仕事がない若者は農業をやれ」などと説教する人がいるが、こうやって農業をやっても「期間満了」で1ヵ月くらいで終わってしまうこともあるという現実・・・。どういう事情かはわからないが、考えてみれば農業も繁忙期にのみ沢山の人を必要とする職種である。
 そうして5月末、彼は東京に戻ってきた。仕事のあてはあったという。SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)で知り合った男性がちょうど新しく仕事を立ち上げるということで、「手伝ってくれないか」と声がかかったのだ。A君はその話に乗り、仕事を手伝うことになる。同時に関東近郊某県のシェアハウスに入居した。家賃は2万5000円。
 オーナーが立ち上げた仕事とは「風俗店」だった。当初の話では、A君は「幹部的な立場」とのことで、日給も6000円程度と聞いていた。が、最初の頃は利益が上がらないから「食事と住まいは提供する」との理由でオーナーと関係のあったシェアハウスの家賃はタダ。利益が上がってきたら「全体の何%」という形で配分される、という話だったという。そうしてシェアハウスでの生活が始まった。
 そこのシェアハウスでA君が出会ったのがB子ちゃんだ。
 21歳の頃、甲信越の実家を「勘当」同然に出されたB子ちゃんは、それから関東近郊の県で暮らしてきたという。最初は当時つきあっていた彼氏のところで一緒に暮らした。そうして彼氏との同棲が続いていたものの、昨年12月、家賃滞納で住んでいたところを追い出されてしまう。
 彼は実家に戻ったものの、B子ちゃんは戻れない。東京に住んでいる知り合いに事情を話し、居候させてもらうものの、5月末には出ていくことになる。そうしてそのシェアハウスに入ったのだ。高校卒業後、地元では工場などで働いていたという彼女は、実家を出てからは風俗の仕事をしていたという。

 「21歳で出てきて、住まいも仕事もなかったので思い切って風俗の世界に入ってずっとやってきたんです。それであちこち転々として」

 その間には、お店で「店泊」したり、ネットカフェで寝たりという日々もあったという。
 シェアハウスに入ったばかりの頃のB子ちゃんは、都内の風俗店で働いていた。しかし、A君とB子ちゃんが住むシェアハウスの関係者であるオーナーは自分の立ち上げた店に彼女を熱烈に誘うようになる。A君は言った。

  「店は立ち上げたばっかりでコンパニオンさんが全然いなくて、オーナーが彼女に『うちの店で働きなよ』ってものすごく誘って、それで彼女も働くことになったんです。オーナーからしたら彼女は経験者だし、自分の手元にいて稼ぎ頭としてすごくいいように扱える。それで、朝起きてから夜中遅くまで働かされるようになって」

 この頃のB子ちゃんは、「朝起きると仕事入ってますよって状態」だったという。午前10時頃には仕事が始まり、終わるのは午前2時を回ることもあった。彼女が働き始めてすぐ、その月のお店の収益は過去最高となる。オーナーは「稼ぎ頭」である彼女に「週6日出勤」などを要求するようになってくる。店のボーイとして働くA君にも、到底無理なノルマをふっかけるようにもなってきた。
 ちなみにA君の労働実態もあまりにも悲惨なものだった。当初は日給6000円と聞いていたのに、実際の日給平均は「1500〜2000円(笑)」。家賃がないからいいものの、最低賃金とかそういうレベルの話ではない。 
 7月頃、二人は付き合うようになり、8月に入って二人は店をやめる。シェアハウスにはそのまま住み続けることができた。が、それまでタダだった2万5000円の家賃を払わなくてはいけない。
 A君は9月からコールセンターの仕事を始めるようになる。時給は1000円。B子ちゃんにはこの頃まだ、働いていた頃の貯金があった。そんな頃、シェアハウスで突然のルール変更がある。それまで「共有」だったシェアハウス内の備品が、すべて「各自持ち」になってしまうのだ。

  「例えばティッシュ、ラップ、アルミホイル、キッチンペーパーとか生活用品のありとあらゆるものを自分で用意しなくちゃいけなくて。で、それまでお米と調味料は使っていいって話だったんですけど、それも一切ナシになって」

 そうしてこまごまとした生活用品を一気に自分たちで用意しなくてはならなくなり、出費がかさむ。A君の風俗店時代の収入では到底貯金もなく、始めたばかりのコールセンターの給料はおそらくまだ出ていない頃だ。

 「それで出費がかさんで、自分が仕事に行くにも交通費がなくて行けないくらいのお金しか残らなくて」

 「安定層」からすると、それは「些細」な出費かもしれない。しかし、場合によってはこんな「些細」なことが「仕事に行く交通費がない」ほどの事態になってしまうのだ。そしてそんなケースを、私は多く見聞きしてきた。

(以下、次号)

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森田実さんとの対談本『国家の貧困』が出版されました。
とても勉強になりました。読んでね。

「些細なこと」の積み重ねが、状況を大きく変えていってしまう。
それはちょっとしたきっかけで、誰にでも起こることなのです。
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