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今週のキイ

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キィワード「財界」

 2月7日付「今週のキイ」で、愛知県知事選にからめて「共産党の独自候補擁立」や「野党共闘」について書いたところ、たくさんの方からご意見が寄せられました。大変遅くなりましたが、以下お答えします。

 いただいたご意見の一部はこちらをご覧いただくとしますが、もっとも多かった意見は「事実関係」に関する指摘で、「共産党側は野党統一候補の道を最後まで探っていた」「それを断ったのは民主党側」「その事実を書かないで共産党が独自候補にこだわったせいで野党共闘が実現しなかった(与党候補が勝った)という書き方はおかしい」というものです。

 確かにそのとおりで、共産党などでつくる「革新県政の会」は独自候補の擁立を当初は検討していましたが、途中で民主党が推薦する元犬山市長の石田芳弘氏を支援することに方針転換しました。その理由は、教育政策ほか石田氏の政策が評価できたためですが、「独自候補より、石田氏を応援した方が知事選に勝てる可能性が高い」(同会事務局長・羽根克明氏、06年11月10日付『読売新聞』)ことも大きな理由でした。つまり、共産党側は野党共闘に向けて動いていたわけです。
 それが再び独自候補擁立に転じたのは、民主党県連が「革新県政の会」との間には政策面で隔たりがあるとして共闘を拒否したからです。「石田氏が革新県政の会と協議の場につくことも望ましいことではない」(近藤昭一・民主党県連代表、06年11月12日付『読売』)と話し合いすらも拒否するなど、野党共闘を拒否したのは民主党側でした。その結果、共産党は元愛知労連議長の阿部精六氏を擁立したというわけです。

 このような経緯を書かずに、「どうして共産党はいつもいつも独自候補を立てて結果的に野党候補の当選可能性をはばんでしまうのでしょう」と書いてしまったのは、誤解を招く不十分な原稿でした。率直に認めてお詫びします。
 むしろ今回の場合、野党共闘について書くのであれば「どうして民主党は共産党との共闘を拒否するのだろうか」とするのが、より適切だったでしょう。昨年の沖縄知事選のように民主党が共産党と組んで野党共闘が実現したケースも過去にはありますが、今回の愛知県知事選の例を持ち出すまでもなく、民主党側の共産党拒否の姿勢は地方・国政レベルで色濃く出ています。
  今回いただいたご意見の中にも、「共産党を含めた(野党)統一候補を立て得ない原因が、共産党以外の野党や支持組織にも根強くあることを忘れてはならない」(千葉県・wakさん)、「ほかの野党に、共産党に少しでも譲歩する、少しでも政策の一致を追求する姿勢・努力が見られない」(東京都・大友孝平さん)と、「問題は民主(を含めた他の野党)側にもあり」というものがありました。これも、そのとおりですし、前回原稿でもこの辺のことについて触れるべきだったと思います。


 が、しかし、一方では、やはりこんなことをどうしても思ってしまいます。
 愛知県知事選において、民主党側に「話し合うのも嫌だ」と言われてしまった共産党側が独自候補を立てたくなる気持ちはわかりますが、それでもあえて独自候補を立てないという選択肢はあり得なかったのでしょうか。
 共産党側にとっても政策的に評価できる点が多かった石田候補が立候補したのですから、なおさらのこと、独自候補を立てないという選択肢もありだったのではないかと思うのです。事実、民主党が政策協議に応じない姿勢を明らかにした後も革新県政の会には「必ずしも石田氏との間に政策協議は必要ではない。支援できる可能性は残っている」(本村映一・共産党県委員会書記長)、「(支援団体が)好きだ、嫌いだというだけで、大義を無視するべきではない」(藤原章雄・愛知県高校教職員組合委員長、いずれも11月14日付『読売』より)と石田氏を推す声がありました。「話し合いすら拒否する民主党には腹が立つけれど、ここは自公与党候補を倒すためにも候補擁立を見送ろう」という考え方は、やはりおかしいのでしょうか?

 こんなことを書きますと、たちまち反論がたくさんくることは承知しています。現に前回記事に対する投書のなかにも、「本当に民主党に憲法を守る意志と力があるのかは疑問です。『自民党じゃなければ民主党。』このような短絡的な考え方は憲法を守り、活かすことにおいて、本当に有効なのでしょうか?」(京都府・ANTONIOさん)、「野党の中にも9条を変えていこうとする政党があります。いたずらに『野党』を支持する態度はいかがでしょうか。(中略)9条護憲が単なる反自民ではないことを今一度よくお考え下さい」(京都府・まるさん)、「自民党県政を倒すことが目的ではなくよりよい県政を作ることが大事なのです」(北海道・須賀薫さん)という意見がありました。


 これも、そう言われれば確かにそのとおりだと言わざるを得ません。民主党への疑念については例をあげればキリがありません。たとえば最近で言えば、防衛庁の省昇格法案にアッサリ賛成してしまったその姿勢などを見ると、とても信用できたものではありません。また、今回の愛知県知事選挙は言うまでもなく県政をどうするのかが大きな問題であって、「与野党対決」といった国政レベルの視点で判断すべきでないというのも、まさに正論です。
 が、やはり、ここでも「しかし」と思ってしまうのです。
 任期中の改憲を掲げた安倍内閣を目前にした現在、何としてもこの政権を続けさせてはならない、という気持ちを『マガジン9条』読者の多くが思っていることでしょう。今に始まったことではありませんが、自民党は、与党であるためならなりふり構わず何でもやる姿勢を見せています。安全保障や福祉政策では「水と油」とも言える公明党と協力して、選挙では地方・中央問わずがっちりスクラムを組んでいます。「比例区は公明党へ(入れてください)」なんて政党としては自殺行為であることも、「与党であるため」には平気でやってのけます。そんな相手を目の前にしたとき、とにかくこの政権を倒すためには何をすればいいのかという思いを抱いてしまう、というのが正直なところです。


 自公政権がこのまま続けばいずれ憲法改定が政治日程に上るのは確実。
       
 この政権を倒すためにはどうしたらいいのか。
       
 自民・公明与党はがっちり組んで選挙戦に臨んでいるのなら、野党も共闘しなければならない。
       
 護憲政党の共産・社民だけでは与野党逆転は無理だろう。でも、第一党の民主党は今ひとつ信用できない。
       
 とは言うものの、自公政権が続けばいずれそのうち憲法は改定されてしまう。
       
 この政権を倒すためにはどうしたらいいのか。

 と、あとはこの繰り返しです。そうこうしているうちに統一地方選、そして参院選が近づいてきます。

 


 「野党共闘をどうすべきなのか」「民主党をどう考えたらいいのか」、正直言いますと「答え」を持ち合わせていませんし、もしかしたら答えなんてないのかもしれません。しかし、このテーマをクリアしない限り、自公連立政権を倒すことも、そして政治日程に上りつつある改憲の流れを止めることもできません。
 『マガジン9条』では今後、この二つのテーマについて、さまざまな角度から検証していきたいと思っています。

 さて、都知事選の場合はどうでしょうか。石原都政に終止符を打ちたいという思いは、『マガジン9条』読者の多くに共通するものではないでしょうか。
 現在、石原氏のほかに黒川紀章氏(建築家)、共産党推薦の吉田万三氏(元足立区長)が立候補を表明しています。そして、市民団体に押される形で、浅野史郎氏(前宮城県知事・現慶応大学教授)が正式に出馬表明しました。

 ここで前回文章からあえて引用しますが、共産党は「独自候補を立てても当選圏外であることは、初めからわかっていることではないでしょうか」。そして、自民・公明党と事実上組んで選挙戦に臨む石原陣営に対して、反石原側から3候補も立てば、言うまでもなく反石原票が分散して相手を利することになります。それでも共産党は独自候補を立てなくてはならないのでしょうか。
 吉田万三氏は、サイトなどで見る限りとても立派な方のようです。彼を批判するつもりなど毛頭ありません。しかし、吉田氏が都知事選で勝てるかどうかはまったく別の問題でしょう。

 東京都政は瀕死の状態にあると言えます。

 例えば、都教育委員会の暴走振りはとどまるところを知りません。日の丸君が代の強制は、学校現場に恐るべき荒廃をもたらしています。「内心の自由」を踏みにじる都の教育行政に批判的な教職員たちは、すべて処分の対象です。職員会議での自由な意見の表明さえ、教育委員会は否定しています。職員会議は校長の職務命令を伝えるだけの場になっているのです。もはや、学校現場に民主主義などありません。
 民主主義のないところで、どうやって教師たちは生徒に民主主義を教えればいいのでしょうか。それとも東京都教育委員会は「民主主義など生徒に教える必要などない」と考えているということなのでしょうか。
 教職員処分の数は、東京都が全国でも突出しています。教員たちは、物言わぬマシーンとなりつつあります。ただ黙って、校長の命令を聞くしかないという状況です。もちろん、それを陣頭指揮しているのが、週に2〜3度しか登庁しない石原慎太郎知事です。


 その石原知事の専制君主ぶりは、凄まじいといいます。都庁で幹部職員になるには「幹部登用試験」を受けなくてはなりません。しかし、この受験者数がこの数年、激減しています。なぜでしょうか。
 石原知事の下で幹部になると、自分の意見など言うこともできず、すべて専制君主の言うとおりにしなければなりません。知事の気に入らなければ、罵声を浴びせられることも日常茶飯事だといいます。それならばむしろ、幹部になどならないほうがいい。石原知事と直接接触などしないでいられる地位のほうがいい。多くの都庁職員が、そう考え始めているのだそうです。
 これでは円滑な都の行政など望むべくもありません。東京オリンピックの招致にしたところで、「あれは知事の自己顕示欲。我々には関係ない」という態度の職員が圧倒的だといいます。あの東京市民マラソンという壮大なイベントもしかりです。ほとんどの都民には何の恩恵もなく、ただ都心を戒厳令状態に置いただけではなかったでしょうか。

 また、石原知事の側近政治は目に余ります。例えば石原知事が入れ込んでいるトーキョーワンダーサイト(TWS)という若手芸術家の育成を図るのが目的という施設があります。このTWSの館長は今村有策氏という石原知事の側近の一人。この人物を都参与に任命したのが石原知事。その上なんと、今村氏の夫人を副館長にしているのです。だからこの夫妻には、参与・館長・副館長の三つの給与が支払われていることになります。なんとも言いようのない身勝手な人事ではありませんか。
 そしてこの施設に関わるのが、あの「余人を持って替えがたい」石原知事四男の石原延啓氏です。若手芸術家だそうですが、この人がアドヴァイザーとして臨時参加していたこともあります。この延啓氏が、数度にわたって公費でヨーロッパなどに旅行して問題になったことは、皆さんすでにご存知でしょう。
 さらに側近中の側近、浜渦武生氏の問題も深刻でした。彼を強引に副知事に就任させたものの、暴力事件にまで関与するというそのあまりの強面振りが自民党都議団にさえ批判を浴びて、ついに副知事を解任せざるを得なくなったのです。ところが、少しほとぼりが冷めたとみるや、すぐにまた都参与として都政に復帰させるという荒業をやってのけたのも、石原知事です。もはや都政私物化というしかありません。

 そのほか、相変わらずの暴言・妄言の数々。女性蔑視は言うに及ばず、外国人差別発言など数え上げればキリがありません。もちろん、府中市にある障害者施設を訪れたときに発した「ああいう人ってのは人格あるのかね」という言葉を、私たちは忘れることができません。

 


 都知事の交際費や公費出張の乱脈ぶりも、ずいぶんと報道されました。一泊数十万円のホテル代、なぜこれが視察なのかと疑われる豪華クルージング。側近たちとの飲み食いに一晩数十万円の支出。呆れるばかりの事実が次々に明るみに出ています。それでも石原知事は「すべて都の職員がお膳立てしてくれたこと。オレは知らなかった」とシラを切り続けています。

 このような人物を、もう4年間、都知事の座に置いておいていいものでしょうか?

 内心の自由さえ奪われ、処分さえされて苦しんでいる東京都の教職員たち。側近政治の強権発動に、怯えてものも言えなくなっている都職員たち。差別を受けている弱者たち。このような人たちを、もう4年間、石原知事の都政下に放置しておいていいとはとても思えないのです。
 ではどうすればいいのでしょう。
 反石原陣営を分裂させずにすむ方法はないのでしょうか。

 もちろん、浅野氏を「後出しじゃんけん」だと批判するのは分かります。民主党のだらしなさに絶望したくなるのも理解できます。いまだに、「党の推薦を受けなければ支援しない。自主投票にする」などと、党利党略を優先させる民主党の都議たちも多いといいます。党のこと、自分の選挙のことしか考えていない連中でしょう。まず都政を都民の手に取り戻すことのほうがよほど大事なはずなのですが。
 浅野氏の具体的な考え方が分からないのに、支持などできない、という意見ももっともです。しかし、少なくともこのような石原都政下の悲惨な状況よりは、浅野氏に都政を託したほうがよりマシではないか、と思うのです。

 だから、やはり批判を承知で、こう書かずにはいられません。
 「独自候補を立てないという選択肢はないのですか?」と。

今週のキイ選定委員会
 
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