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鈴木邦男の愛国問答

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自他共に認める日本一の愛国者、鈴木邦男さんの連載コラム。
改憲、護憲、右翼、左翼の枠を飛び越えて展開する「愛国問答」。隔週連載です。

すずき くにお 1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ」

『失敗の愛国心』(理論社)

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第16回「怪物弁護士」遠藤先生に学んだこと

 そうか、ちょうどこの日なのか。知らなかった。今月の26日(月)、阿佐ヶ谷ロフトで「帝銀事件」についての集まりがある。帝銀事件は確か敗戦直後の事件だった。正確には何年だったろうと、『広辞苑 第六版』(岩波書店)を引いてみた。事件の起きたのは、1948(昭和23)年1月26日だ。そうか、それでこの日に集まりをやるのか。ちょうど61年目のこの日に。『広辞苑』では更にこう説明している。

 <東京の帝国銀行椎名町支店で、行員らが青酸化合物を飲まされ、12人が死亡、4人が重体となり、現金などが奪われた事件。犯人とされた平沢貞通は犯行を否認したが死刑が確定、未執行で87年獄死>

 戦後最大の冤罪事件だ。死刑は確定しながらも歴代の法務大臣は誰も判を押さなかった。確信を持てなかったからだ。処刑した後、無罪が証明されるかもしれない。その可能性は大きい。そうしたら無罪の人間を殺したことになる。自分の方が殺人犯になる。そう思って判を押さなかった。だったら釈放したらいいのに、司法の面子で釈放しなかった。そして獄死するのを待った。

 捕まえた警察にしても、死刑にした裁判官にしても、寝覚めが悪いだろう。良心が疼くだろう。自分たちだけがそんな罪の意識に苛まれるのは嫌だ。国民の皆にも分担してほしい。そんな思いで作られたのが裁判員制度だ。これで裁判官の心の負担もグッと軽くなることだろう。

 僕が帝銀事件について関心を持ったのは、この事件の主任弁護士の遠藤誠先生と知り合ったからだ。遠藤先生から学んだことは非常に大きい。もう亡くなられたが、一番影響を受けてると思う。

 遠藤先生は左翼だ。それも極左だ。でも仏教徒だ。キリスト教徒で左翼という人は結構いるんだから、仏教徒で左翼もいてもいいだろう。自らの立場を「釈迦マル主義者」と呼んでいた。仏教徒であり、マルクス主義者なのだ。護憲だ。でも本当は、天皇制打倒論者だ。天皇制は差別の根源であり、諸悪の元凶だという。いつでも、どこでも公言している。昔の僕ならいきなり殴りかかったところだ。でも、この先生なら何を言ってもいいやと思う。そう思わせる「人間の温かさ」があるのだ。

 不思議な人だ。考えは全く違うはずなのに、傍にいるとホッとし、安心する。何でも言える。言ってる主張やスローガンじゃない。人間だよな、と思ったのは遠藤先生を通じてだ。反対に、「お前とは同じ考えだ。共に闘おう」と言う右翼の人で、あまり一緒にいたくない人が多い。「天皇制を守る」点では右翼の人と同じだ。でも、「天皇制を守る」運動をやる為には金が必要だ。荒っぽい集め方をしても、きれいに使えばいいんだと言う右翼の人もいる。

 それに対し、遠藤先生は「天皇制打倒」だが、皆に優しい。よく奢ってくれたし、カンパしてくれた。警察に捕まると、「同じ反体制の闘いだから」と、無料で弁護をしてくれた。何を信じ、何を守っていてもいい。同じ反体制だから仲間だという。

 でも本当は格好をつけて言ったのだろう。だって、左右を問わず「体制寄り」の人とも付き合っていた。思想や趣味で人間を差別しない人だった。「無私」の人だった。まるで天皇じゃないか、と思った。

 反天皇、反体制の過激な言辞を吐いている、激しい人だった。でも、寛容な人だった。普通、「激しさ」と「寛容」は両立しない。激しい人は他人を攻撃し、自分への批判も一切許さない。全身、針ネズミのように武装して威嚇する。そんな人は多い。また、寛容な人は、他人の主張に寛容な分、自分の主張もあまり言わない。激しさがないから、自分に対しても他人に対しても甘いのだろう。自分の主張がないから、全てに優しく、甘いのだ。僕も、そんな人を知っている。

 でも、過激にして寛容。戦闘的にして謙虚。このアンビバレンツな徳目を一身に備えていたのは遠藤先生だけだ。この人、一人だけだ。

 遠藤先生は、よく出版記念会をやっていた。また、何かにかこつけてパーティをやっていた。それも、着席してのフルコース料理だ。立食パーティなど人間のすることではない、と思っていたようだ。フルコースだから会費は高い。でも貧乏人からは取らない。僕らはいつもタダだった。その分、弁護士や裁判官、仕事先の会社から取っていたのだろう。右も左も、雑多な人々が出席していた。反戦自衛官の小西誠さん、「ゆきゆきて、神軍」の奥崎謙三さん、オカマの闘士、東郷健さん、などだ。体制側の偉い人、政治家、実業家、マスコミ人だけでなく、左右の活動家、ヤクザ、犯罪者がいた。これだけの「ゴッタ煮」はちょっとない。

 いろんな人が挨拶をする。しかし、必ずいつも釘を刺すことがある。「絶対に褒めるな!」というのだ。出版記念会などでは、皆、褒める。「こんな素晴らしい本はない」「こんな立派な人はいない」「天才だ」と。挨拶する方もこれは楽だ。しかし、「褒めるな」「貶せ」という。心にもない褒め言葉は嫌いなんだろう。そう思ったが、違う。「褒めたら退席してもらう!」ともいう。本気なのだ。

 これは難しい。みな、必死になって遠藤先生の欠点、まずい点を探し、批判する。それを聞いて、遠藤先生は、ケラケラと楽しそうに笑っている。とんでもなく寛容で、度量の広い人だと思った。初め、「無理をしてるのかな」と思ったが、違う。批判され、罵倒されるのが楽しいのだ。

 あるいは、それだけ自信があるからだろう。寛容なふりをしながら、ちょっと批判されただけですぐにキレる人がいる。他人は遠慮なく罵倒するくせに、自分がちょっと批判されると、ムキになる。あるいは、しょげ返る。そんな人が多い。いや、言論人なんて皆そうだ。その点、遠藤先生は偉い。こんな人は他にいないや、と思ってしまう。天皇のようだな、と思う。でも言えなかった。反天皇主義者の遠藤先生に失礼だと思ったからだ。あっそうだ。それが「一番の批判」になるのか。だったら、挨拶の時にちゃんと言えばよかった。

 僕も、遠藤先生を少しでも見習いたいと努力してきたが、ダメだった。気が短いから、すぐに怒鳴るし、他人に批判されると、いじけるし、落ち込む。いけない僕だ。

帝銀事件のほか、永山事件の弁護なども手がけ、
「怪物弁護士」の異名をとった遠藤誠さん。
その存在が、鈴木さんに大きな影響を与えていたとは!
冒頭に出てきたイベント「帝銀事件と冤罪の闇」については、
阿佐ヶ谷ロフトホームページでどうぞ。

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