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鈴木邦男の愛国問答

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自他共に認める日本一の愛国者、鈴木邦男さんの連載コラム。
改憲、護憲、右翼、左翼の枠を飛び越えて展開する「愛国問答」。隔週連載です。

すずき くにお 1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ」

『失敗の愛国心』(理論社)

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第26回「クニョン」で対立を超える

 2003年2月、イラクに行ってきた。イラク戦争の1ヶ月前だ。木村三浩氏(一水会代表)を団長に、塩見孝也、雨宮処凛、PANTA、大川豊さんなど36名だ。外務省の渡航中止勧告を振り切って出発した。現地では、アメリカに抗議する集会やデモに参加した。世界中から多くの人々が集まっていた。
 このために英語で名刺を作った。「SUZUKI」はバイクがあるから発音しやすい。でも、「KUNIO」がダメだ。イラクの人は皆、発音できない。「クニョン?」とか「クニョニョン?」とか言われた。日本から行った人達も面白がって「クニョン」「クニョニョン」と呼ぶ。「ボーッとしてるから、ちょうどあってるよ」と、雨宮さんに言われた。
 雨宮さんの新著『ロスジェネはこう生きてきた。』(平凡社新書)では、「ボーッとしたオジサン」と会ったのが右翼に入るキッカケになったと書いていた。僕のことだ。サブカル系の二次会で会ったのだ。
 <私が生まれて初めて出会った「右翼」の人なわけだが、鈴木さんとの出会いによって「右翼の人は温厚でいい人」という世間の右翼イメージとはかなり違うだろう印象を持ったことが、のちに右翼団体入会に繋がったものだと思われる>

 そういえば、僕も同じ体験がある。大学生の時、友人に連れられて右翼の大物の白井為雄先生に会った。右翼は皆、凶暴で怖ろしいというイメージがあったが、白井先生は優しいし、温厚でいい人だった。それに部屋には本ばかりだ。サルトルやボーヴォワールの話をする。右翼の先生って皆、インテリなんだ。と感動した。それが右翼の世界に入る契機になった。
 しかし、これは間違っていた。白井先生はインテリだが、「右翼が皆」ではなかった。後で分かったが、「世間のイメージ通り」の人々が多かった。「しまった!」と思った。雨宮さんだって「しまった!」と思ったことだろう。
 でも、雨宮さんはその後に会った人達がよかった。作家・見沢知廉氏だ。見沢氏は右翼の集会に連れて行ってくれた。又、新左翼のビデオも見せてくれた。さらに、北朝鮮に連れて行ってくれた塩見孝也氏、イラクへ連れて行ってくれた木村三浩氏など、左右のいい人たちに恵まれた。そして作家になった。

 「作家・雨宮処凛」が生まれるキッカケを作ったのは見沢知廉氏だ。元一水会の活動家だった。スパイ査問事件で逮捕され、12年間千葉刑務所に入った。中で必死に勉強し、出獄後、『天皇ごっこ』で作家デビューした。三島賞の最終選考まで残ったが、惜しくも逸した。これからが期待された作家だったのに、4年前に自殺した。今年の8月には「劇団再生」主催の「見沢知廉生誕50年記念展」が阿佐ヶ谷ロフトで開かれる。同時に見沢氏原作の『天皇ごっこ~調律の帝国~』が上演される。
 又、大浦信行さん(映画監督)は今、『天皇ごっこ。見決知廉。 〜たった一人の革命』を撮っている。今年中に撮影を終え、来年上映する予定だという。
 見沢知廉氏の双生児の妹がいる(という設定だ)。彼女が秘密を解く旅に出る。作家としての見沢、革命家としての見沢を多くの人に会い、聞く。僕も聞かれた。見沢知廉氏との出会いから始まって、見沢論を熱く語った。見沢氏と会った時は「ボーッとしたオジサン」ではない。「お前らは革命マシーンになれ!」と激を飛ばしていた冷酷なリーダーだった(ようだ)。見沢氏の話を終わり、ホッとした時、「妹」に聞かれた。「鈴木さんはどうして右翼になったの?」と。何百回と聞かれた質問だ。疲れていたし、面倒くさかったので、「成り行きですよ」と言った。「フーン」と彼女は言った。果たして納得してくれたのか。
 この「妹」に扮した役者は在日の人だ。「そうだ、韓国の言葉で“成り行き”って何て言うの?」と聞いた。「“クニョン”といいます」「えっ、僕のことだよ」と驚いた。
 「クニョンは他に、どんな時に使うの?」と聞いた。「そうですね。 “何となく”とか“深い理由はないんだけど”と言う時に使います」と言う。「無くてもいいのかもしれない。でも、これがないと喧嘩になる。つまり、クニョンは潤滑油なんです」
 えっ、ますます僕じゃないか(とは言えなかったけど)。例えば、「何でこの音楽が好きなの?」と聞かれた時、「ウルセー、理由なんかあるか。お前に関係ねーよ」と言ったら喧嘩になる。「まあ、何となくね」という意味でクニョンを使う。「どこに行くの?」と聞かれて「何でそんな事を聞くんだ。俺を監視してるのか!」と言ったら喧嘩になる。「うん、ちょっとね」という意味でクニョンを使う。「何で枝豆ばかり食べてるの?」と聞かれ、「食い物に理由なんかあるか。馬鹿野郎!」と言ったら喧嘩になる。だからクニョンを使う。

 そういうふうに「クニョン」は使われるという。クニョンは世界の対立を超え、左右を超える。 「そうか、私のようだね」とは言えないので、「そうか、憲法9条みたいなもんだね」と言った。
 「イラクのような悪い国がある。一緒に懲らしめよう。軍隊を出してくれ」「金だけじゃダメだ。汗と血を流してくれ」と、多くの国々に言われた時、「しったことか。日本さえ平和ならそれでいいんだ」じゃ喧嘩になる。「他国の若者がいくら死んでも関係ない。日本の若者さえ死ななければいい」でも喧嘩になる。そんな時のために「クニョン」がある。9条がある。
 「これがあるんで出れないんですよ」と言えばいい。「本当は一緒に平和を維持する活動に参加したいんだが、これがあってね」と「弁解」できる。いや、「弁解」じゃないな。世界平和を実現する手がかりになる。かつて、第二次世界大戦が終わった時、世界の国々は、もう戦争はないと思った。だって、ドイツ、イタリア、日本という「悪の枢軸国」が敗れたのだ。「善の連合国」は平和勢力だ。もう二度と戦争を起こす国はない。そう信じた。だから、アメリカは日本に「平和憲法」を与えた。「大丈夫だよ、もう戦争はない。だから軍隊なんか必要ないんだよ」と言って。
 アメリカでも出来なかった<理想>だ。男女平等にしてもそうだ。自国では出来なかった<夢>を、この憲法にこめた。
 アメリカは後で、「しまった!」と思った。もう戦争はないと思ったのに、又起きた。どんどん起きた。さらに、自分から起こしている。イラク戦争のように。「ゴメンゴメン、あれは間違いだった。あんな憲法は忘れて、軍隊を持って、一緒に闘ってくれ」と思ってるんだろう。でも、そうはいかない。
 僕は、憲法を見直すのは必要だと思う。でも今、「アメリカと一緒に戦争をするために」改憲するのは反対だ。
 クニョン君(9条)に頑張ってもらうしかないな。そして、本当の世界平和をつくるための潤滑油にする。割り切って、その為に使ったらいいだろう。と、クニョン君は思うのでありました。

人と人との関係も、国と国との関係も、
真正面から衝突するばかりが能じゃない。
ときには「クニョン」でするりと逃れる、
そんなワザもあっていいのでは?
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