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鈴木邦男の愛国問答

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自他共に認める日本一の愛国者、鈴木邦男さんの連載コラム。
改憲、護憲、右翼、左翼の枠を飛び越えて展開する「愛国問答」。隔週連載です。

すずき くにお 1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ」

『失敗の愛国心』(理論社)

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「全集」読書の ススメ

 何故だろうと思っていた。ロシアの女性は若い時は、皆、スリムで美しいのに、結婚した途端に、ぶくぶくと太り始め、ビヤダルポルカになってしまう。20年ほど前、ロシアの格闘技・サンボを習いに五回ほど、ハバロフスクに行った。その時、聞いた。寒いから脂肪をとる。それが蓄積されて、結婚後にドッと出て太る。又、結婚前と違い、他人の視線を気にすることはない。だから気持ちが緩んで太る。いろんな証言、説明があった。でも一番説得力のあったのはこれだ。「男の甲斐性を問われる」というのだ。奥さんが痩せてると、「亭主の甲斐性がないから十分に食わせてない」と思われる。世間体が悪い。それで、食わせる。太る。奥さんが太っていると、「偉い、立派な亭主だ」と思われ、尊敬される。この説明を聞いて、なるほどと思った。「私は幸せよ」と奥さんも誇れる。
 じゃ、日本の場合はどうか。結婚後、女性が太るのは、「亭主の甲斐性」でも、「亭主の世間体」でもない。亭主としては、いつまでもスリムで美しくあってほしい。しかし、太る。勝手に太る。それは「勿体ない」の精神で太るのだ。「整理好き」の精神で太るのだ。まさに日本文化だ。結婚したんだから、もう「目的」は達成した。「負け組」を脱した。もう、他人の視線を気にして、化粧に時間をかけることはない。ダイエットも必要ない。そういう「気の緩み」から太る。そして、子供が出来ると、子供が食べ残したものを、つい自分が食べる。「残したらダメでしょう」と言って〈教育〉のために、代わって食べる。それと「勿体ない」と思う。食べ物は粗末にしてはいけない。捨ててはいけないと教育されてきた。だから捨てられない。ついつい食べる。自分のお腹に入れることで、きれいに「整理」する。だから太る。
 私もそうだった。子供の食べ残したものを食べて太った。あっ、違うな。昔、自炊していた。ちょっと多目に作る。夜中、腹がへったら困るし、と思うからだ。当然、余る。でも残しちゃ勿体ないと思う。「お米はね、お百姓さんが苦労して作ったんだよ。一粒でも捨てるとバチが当たるよ」と子供の時から母親に言われてきた。だから捨てられない。つい、食べる。勿体ないと思い、食べる。それで、ぶくぶくと太り、100キロになった。これはイカンと思って、自炊は止めた。そして、ソバやウドンを中心に、外食にした。さらに、思い切って残した。食い物に対する「勿体ない」で、肉体を壊したら、その方が「勿体ない」。そう思った。発想のコペルニクス的転回だ。「残す、捨てる」ことによってダイエットに成功した。それで65キロになった。その体験談を一水会の機関紙「レコンキスタ」に書いた。「私はこうしてブタが治った」…と。
 というわけで、「勿体ない」も、時と場所によりけりだ。という話だ。それで結論。オワリ。

 ここで、ハッと気がついた。前回は「読書」の話をしていた。今回は、その続きのはずだった。忘れてた。困った。と、途方にくれる(フリをする)。
 本当は、忘れていない。これがこのまま「私の読書論」だ。大学の終わり頃になって、何故、急に本を読み始めたか。そして、「月に30冊」のノルマを自分に課する「読書人」クニオ君はどうして生まれたか。その答えがこれなのだ。よく分かるでしょう。
 エッ? 分からないですか。自炊して、ぶくぶくと太り、100キロになった。それで、外出するのも億劫になり、それで、本ばっかり読んでいた。そして、本好きの青年が出来上がった。
 でも、65キロにダイエットして、行動的になった後も読書人の姿勢は変わらない。一旦ついた癖は直らない。そういうことだ。いや、これも違うな。
 実は、この「勿体ない」の精神がいい方向に働いたのだ。食事では失敗した「勿体ない」が、読書道では成功したのだ。今考えると、僕の読書道は、この「勿体ない」の精神で貫徹されたと思う。それに、出会った時代がよかった。大学の終わり頃から、大学院時代、そして産経新聞に入ってから。つまり1960年代後半から70年代は、実に多くの文学全集、思想全集が発売された。いろんな出版社が工夫をして、いろんな全集を発売し、人々が競って買った。
 世界は激動していた。日本も激動していた。ベトナム戦争、中国の文化大革命、フランスの学生運動。そして日本でも、全共闘が暴れていた。敵対する右翼学生も頑張っていた。若者が動けば、世の中が変わる。そんな「手応え」を感じた。又、この激動の世界を理解し、その中に入り、動かす。その為にも本を読む。人と話すにも、本を読まなくてはいけない。そう思った。今なら、ネットで〈情報〉を得られるだろうが、当時はネットはない。携帯もない。テレビだって学生は持ってない。だから、よかった。情報を得、世界を知る手段は本しかなかった。読書だけが世界に通じる道だった。自分が何故、こんな激動の時代に産み落とされたのか。何をすればいいのか、それを考えるためにも、読書しかなかった。

 では、全集の話だ。この頃、ドッと出た。読みやすい思想全集がこんなに出たのは日本の歴史上、他にない。たとえば。中央公論社の『世界の名著』(全66巻、続全15巻)、河出書房新社の『世界の大思想』(全42巻)、『世界思想教養全集』(全24巻)。平凡社の『世界教養全集』(全38巻)。講談社の『人類の知的遺産』(全80巻)などだ。よく、これだけ出したものだ。毎月一巻ずつ出ていた。それを買って読んだ。勿論、友人や女の子への見栄もあった。「こんな思想書を読んでいるんだぞ」と。又、『世界の名著』などは、〈翻訳革命〉が為され、実に分かりやすい。カントやヘーゲルも、分かった気になった。全く手が届かないと思われていた哲学や思想も、次々と読み、いつの間にか「全巻読破」していた。一つの山脈を踏破し、山頂に立って見ると、見る世界が全然違ってみえた。そして、次の山脈に挑戦していった。俺は「世界を征服した」と思った。
 そうだ。世界の哲学・思想に挑む前に、日本の哲学・思想があった。特に、筑摩書房の思想全集のおかげだ。これがあったので、初めて「全集読み」の楽しさ、達成感を味わった。それから「世界」に向かったのだ。
 筑摩書房では、『戦後日本思想大系』(全16巻)、『現代日本思想大系』(全35巻)、『近代日本思想大系』(全36巻)の三つのシリーズがある。初めから「全巻読破」など考えていない。出来るとも思ってない。でも、一冊読むと、次が読みたくなる。次々と読むうちに、空いてる巻が気になる。読まないのは「勿体ない」と思う。それで全巻読む。全巻の内容を書いたリストがある。それを机の前に貼っておく。読んだものには○をつける。○が増えるのが楽しくて、続々挑戦した。「いっそ、全部読もう」と思う。「整理好き」がいい方向に作用した。
 初めに、「全集読み」で成功したのは、『戦後日本思想大系』(全16巻)だ。16巻というのがよかった。初めから「全100巻」では、やる気がしない。ここには、「国家の思想」「保守の思想」「革命の思想」があった。面白かった。読書の楽しさを実感した。当時は激動の時代だったし、世界の動きと連動した読書だった。他には「ニヒリズム」などもあり、ここには水木しげるの漫画「1万人目の男」も入っていた。漫画が〈思想〉として認められ、思想全集に入ったのは初めてだろう。又、それだけ出版社も「読ませる工夫」「努力」をしていた。その意欲を感じた。これだけで4冊だ。じゃ、もう一冊、もう一冊と進み、「せっかくだから」「勿体ない」と思って、いつの間にか「全16巻」を読破した。それまでは、ロクに本を読まなかった自分が達成したのだ。この〈自信〉は大きかった。あれっ、俺って案外、読書家じゃないか。と思った。そして本当の読書家になった。
 次に『現代日本思想大系』(全35巻)を読んだ。これは、さらに自分と関係が深い。右翼運動をやる上で必要な本が入っている。又、敵を知る上でも役立った。「ナショナリズム」「アジア主義」「超国家主義」だ。今だって、これだけ出せないよ。それに当時は左翼全盛の時だ。そんな時に、こんな本をよく出せたと思う。左翼全盛だったからこそ、「余裕」で出せたのか。勿論、左翼の巻も随分と入っている。「よし、敵を知る必要がある」と思って読んだ。「マルキシズム」「アナーキズム」「社会主義」などだ。
 『近代日本思想大系』(全36巻)は、個人の思想が中心だった。「大川周明集」があった。右翼として当然、読む必要がある。「丘浅次郎集」を次に読んだ。北一輝に影響を与えた進化論の本だと知っていたからだ。面白かった。又、それまで全く知らなかった「石川三四郎集」「木下尚江集」なども読んだ。その苦悩に、その闘いに、我々と「共通する部分がある」と思い、「案外近いのかも」と思った。「幸徳秋水集」は、大逆事件の張本人だし、敵だと思っていた。だが案外、共感する部分が多くて困った。本当、「困った」のだ。本を読むことで、悩み、迷い、自分の思ってきたことが打ち砕かれた。読書も闘いだったし、戦争だった。そして、いつの間にか本好きの青年になっていた。「勿体ない」と、「整理好き」の精神で本好きになった。又、そうさせる「刺激」が沢山あったのだ。幸せな時代だったと思う。
 でも、そんな全集は今は、全て絶版だ。でも、心配ない。ネットの古本屋で買える。中には、驚くほど安い値段で買えるのもある。勿体ない話だ。調べてみたらいい。一冊ずつ買ってもいいし、ドカンと何十巻かの全集を買って、少しずつ読んでもいい。全く新しい世界が広がるだろう。

インターネットを開けば、いくらでも情報が手に入る現代社会。
この「マガ9」もウェブメディアの一つだったりするわけですが、
それでも、「本」だからこそ伝わること、学べることは、
やっぱりたくさんあるのかもしれません。
あなたも「読書人」目指して、まずは1冊手に取るところから始めてみては?

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