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2011-09-14up

鈴木邦男の愛国問答

第82回

脱原発運動で「右」と「左」の共闘を考える

 本多勝一さんと僕が並んで本にサインをしている。10年前ならありえなかった。9月10日(土)、「週刊金曜日」創刊18周年記念集会だ。「福島原発事故 いまだからみんなで考えたい」と題し、本多勝一さん、落合恵子さん、田中優子さん、宇都宮健児さんが話す。休憩をはさんで第二部は、「放射能から身を守る方法」について、鈴木千津子さん(たんぽぽ舎)と、明石昇二郎さん(ルポライター)が話す。
 僕は、「週刊金曜日」の一読者として聞きに行った。そしたら編集部の人に言われた。「あっ鈴木さん、ちょうどよかった。休憩時間に本のサイン会をやりますから、お願いします」ロビーには金曜日の本が沢山売られている。本多勝一さんの本が多い。他に、原発関係の本。『買ってはいけない』シリーズなど。佐高信さんと僕の対談本『左翼・右翼がわかる!』もある。
 それで、休憩時間にサインをした。本多勝一さんと二人だけだ。それに驚いたことに本多さんは「素顔」だ。いつもは、自衛上だろうが「変装」している。黒いサングラスをかけ、カツラをつけている。この日配られたパンフレットにも、その写真で出ている。僕らは、その顔しか知らない。
 ところが、第一部の挨拶の時も、サイン会の時も、素顔なのだ。「大丈夫ですか?」と思わず声を掛けてしまった。「右翼に襲われたら大変ですよ」と言おうとして、やめた。それよりも、「国賊と一緒にサインしているお前の方が悪い!」と僕の方が先に襲われそうだ。僕らだって昔は、「本多勝一は許せない!」と叫んでいた。
 でも10年ほど前、本多さんと会った。本多さんから「会いたい」と言われて、金曜日で会った。自然保護、日本語問題、対アメリカ問題など、僕ら以上に「右翼的」だった。共産主義者であり、反日・売国的な人間だと思っていたが違う。「民族主義者」だと思った。「アメリカや日本語問題などについては鈴木さん達より僕の方がずっと右翼です」と言う。「何なら一水会に行って講演してもいい」と言う。勇気のある人だと驚いた。結果的には、その講演会は実現しなかった。本多さんは勇気があったが、僕らにその勇気がなかったのだ。右翼に襲撃されるだろうし、本多さんを守り切る自信がなかった。今考えると、なさけない話だ。何とか実現させたらよかったのにと思う。残念だ。

 金曜日の集会の第一部で、田中優子さん、宇都宮健児さんが「右翼の脱原発デモ」について触れていた。「もう右も左もない。これはいいことだ」と。実は、「週刊金曜日」(9月2日号)に僕は、右翼デモについてレポートを書いていた。〈「右から考える脱原発集会&デモ」の衝撃 なぜ、右翼・民族派も「脱原発」なのか?〉と題する記事では次のような事を書いた。

 『統一戦線義勇軍の針谷大輔議長が呼びかけて、7月31日、芝公園で集会をやり、デモをやった。又、9月3日(土)には、第二弾として、横浜で脱原発集会&デモをやった。反原発アイドルの藤波心ちゃんも来て、挨拶をし、「ふるさと」を熱唱してくれた。その後、先頭で横断幕を持って、デモ行進をしてくれた。
 10年前、いや5年前でも、こんな集会やデモは出来なかった。「左翼かぶれめ!」「敵を利する!」と言って、右翼に叩きつぶされていただろう。僕なんかが声を掛けたら、確実にそうなった。針谷氏は現役の活動家だし、何度も逮捕歴があるし、右翼の間では人望もあり、信用がある。「針谷氏が言うのなら」と賛成する人も多い。それに、原発事故以来、安全神話は崩れた。そして、美しい国土が汚されている。日本を守る右翼としては黙っていられない。そういう気持ちが充満してきたのだ。
 いろんな人々が、いろんな立場からデモをやり、声をあげていく。これはいいことだと思う』

 第二部の「放射能から身を守る方法」の時、会場からの質問に、鈴木千津子さんと明石昇二郎さんが答えていた。食品のこと、身体への影響、避難のこと… などの質問が多い。その中に、「右翼と左翼は一緒に反原発のデモを出来ないのか」というのがあった。「これは鈴木さんに答えてもらいましょう」と、僕も壇上にあげられた。
 「出来ます。でも、左翼の方が反対しているんです」と説明した。僕は右翼のデモに2回、左翼のデモに4回出ている。僕などは、もう左翼だと思われているのか、左翼のデモに出ても誰も文句を言わない。又、デモで「連帯の挨拶」もしている。その後、左のデモに「針谷大輔氏にも来てもらい、挨拶してもらおう」という話が出、針谷氏も快諾した。ところが、中にいる、ゴリゴリの左翼的な人達が強硬に反対し、これはつぶれた。
 それで針谷氏は「じゃ、自分たちでやるしかない」と思い、「右から考える脱原発集会&デモ」をやることになった。結果的には、いい方向に行ったのかもしれない。しかし、いまだに狭量な人たちはいる。目的が同じならば、どんな人達だって一緒にやれるはずだ。準備会で、いろんな条件を話し合ったらいい。「皆、個人として参加してもらう」と。「右翼が参加する」となると、多分、変な心配をするのだろう。黒い街宣車が何十台も来るのではないか。右翼の制服を着た人達が大勢来るのではないか。「北方領土返還!」「日教組打倒!」などの幟を持ってくるのではないか… と。
 しかし、そんなことはしない。又、このことはキチンと「取り決め」をしたらいい。それが出来ないのなら、「共闘」を断ってもいい。しかし、個人として来る人間すらも阻止・排除するのはおかしい。「右から考える脱原発集会&デモ」の方が、この点では、ずっと進んでいる。だって、こういう「注意書き」を事前に配っていたからだ。

 〈各団体の幟や旗 及び趣旨に相応しくないプラカードや服装・言動はお断りさせていただきます〉

 これは徹底していた。だから、右翼的な旗や、スローガンや、服装は一切ない。先頭に日の丸があるだけだ。右翼だけでなく、ロフトの人たちもいるし、左翼の人もいる。先頭に日の丸があるが、文句も言わずにデモをしている。
 もし、左翼との共闘になった時、「日の丸は外そう」という話になるかもしれないし、それは出来るだろう。右翼の方は面子にこだわってない。むしろ、左翼側の方が面子にこだわっている。
 本当はもう右も左もないのだ。一緒に出来ることは一緒にやった方がいい。不毛なイデオロギー論争の時代ではない。共闘を考える中で、そういう話も出来たらいい。

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「何を語るか」「何を主張するか」よりも、
ときに「右」や「左」といったイデオロギーのほうが優先されてきた日本。
でも、穏やかな暮らしを営みたい、子供たちに未来をつなぎたいという思いに、
右も左もあるはずがありません。
「イデオロギーに拘るなんて時代遅れ」だという感覚が、
当たり前のものになることを望みます。

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鈴木邦男さんプロフィール

すずき くにお1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

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