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2013-05-29up

鈴木邦男の愛国問答

第126回

僕らはずっと負け続けている

 <家庭でも学校でも会社でも、私たちは「どうやって競争に勝つか」を教えられる。あらゆるメディアが「勝つ」方法をうるさく教えてくれる(株式投資で、競馬で、恋愛ゲームで)。それがグローバル資本主義社会の風儀らしい>
 という。内田樹の『昭和のエートス』(文春文庫)を読んでたら、出ていた。そうだよな。努力したからみな、勝てるわけではない。いろんなスポーツで頑張ってやったって、オリンピックに行ける人は、ほんの少数だ。例外的存在というか、奇跡に近いだろう。オリンピックを目指しながら、オリンピックに行けない人は沢山いる。その人たちは「負け」たのかもしれない。そうすると、「負け」た人の方が圧倒的に多いのだ。だから「勝つこと」だけを教えられても意味はない。
 何も、僕らはオリンピックを目指しているわけではない。ずっとずっと小さな目標を立てて努力し、生きている。「これは勝ったと言えるかな」と少しは思う時もある。「どうも、これは失敗だな」と思う時もある。だが、人生は「勝ったり、負けたり」…だろう。と思ってきた。でも内田は違う。こう言うのだ。
 <しかし、現実の生活では、私たちは決して「勝ったり、負けたり」しているのではない。むしろほとんどの場合、私たちは「負けたり、負けたり」しているのである>

 えっ、と思った。「勝ったり、負けたり」ではなく、「負けたり、負けたり」だという。じゃ、僕らはずっと負け続けているのか。嫌だな。全く、救いのない話だと思った。
 それにもかかわらず我々が勝負事に熱中するのは、「勝つため」ではないという。さらに、こう言う。
 <「適切な負け方」「意義のある敗北」を習得するためである。私はそう考えている>
 そんなことはないだろう。目指すのは、あくまでも勝利である、と反撥した。たとえ負けても、それでもいい。「負けた時に、どう対処すればいいか」。それを学んだらいい。でも、ここで内田は高校野球の話をする。僕はオリンピックの話をしたが、高校野球の方が分かりやすい。
 夏の甲子園高校野球には4000校以上の高校が参加する。ところが、
 <勝利するのは一校だけで、残りはすべて敗者である>
 これは残酷な現実だ。圧倒的に多い「敗者」を量産するために野球大会は行われているのか。違うだろう。この大会に何らかの教育効果があるとすれば、「どうやって勝つか」を会得することではない。その教訓を生かせるのは、たった一校しかないわけだから。では何のためにやるのか。
 <しかし、現実には、高校野球が有効な教育事業であるということについては社会的合意が成立している。参加者のほとんど全員が敗者であるイベントが教育的でありうるとしたら、それは「適切に負ける」仕方を学ぶことが人間にとって死活的に重要だということを私たちが知っているからである>

 これは今まで気づかなかった。あくまでも、「勝つ」のが重要で、それを目指すべきだ。万が一、負けても、そこでくじけず、立ち上がれ。と激励するのだと思っていた。ところが、「勝つ」のではなく、「負ける」ことを通して学ぶのだという。でも、何を学ぶんだろう。内田は三つのことをあげる。
 <「適切な負け方」の第一は、「敗因はすべて自分自身にある」というきっぱりした自省である。負けたのはチームメートのエラーのせいだとか監督の采配が悪かったからだとか言い逃れをする高校球児は誰からのリスペクトも得ることはできないだろう>
 ここまで読んできて、あっそうかと納得した。「自分は悪くない。まわりの奴が悪いんだ」「他の連中だって同じことをやってるのに、何故、自分だけが批判されるのだ」…と弁明する人がいる。大人には多い。政治家でも多い。「慰安婦は世界中にいた。なぜ日本だけが謝らなくてはならないのか」と言う政治家がいる。「日本のことを言う資格はあるのか。彼らが謝ったら日本も謝ってやる」。…などと、子供のけんかよりもひどい。だったら、高校球児に教えてもらったらいい。
 そうか、高校球児は、「適切な負け方」を習得しているのか。「適切な負け方」の第二、第三は…。
 <第二は、「この敗北は多くの改善点を教えてくれた」と総括することである>
 <第三は「負けたけれど、とても楽しい時間が過ごせたから」という愉快な気分で敗北を記憶することである>

 そうか。「勝利」よりも、学ぶことが多いのだ、「敗北」の方が。だから高校野球に「学ぶ点」があるのだ。こんな見方は今まで知らなかった。内田は現在、神戸女学院大学の名誉教授だ。そして合気道の先生でもある。道場も持っている。合気道は、柔道もそうだが、まず、徹底的に「受け身」を学ぶ。言ってみれば、「負け方」を学ぶ。負けた時、ダメージが少なくなるように「受け身」を学ぶのだ。初めから、「投げ方」「押さえ方」「しめ方」を教える先生はいない。内田は、たぶん、合気道を通し、こうした「適切な負け方」を知り、言ってるのだと思う。
 人生においてもそうだ。まず<受け身>の練習をすべきだろう。失敗した時、気落ちした時、もうダメだと思った時。どうすればいいか。それが人生の<受け身>だ。「勝つこと」だけを追求している人は、折れやすい。又、折れたら、再起がむずかしい。

 二ヶ月に一度、西宮で「鈴木ゼミ」をやっている。7月7日(日)には、内田樹さんをゲストに迎えて、やる。
 テーマは<溶解する国民国家=グローバリズムと新自由主義経済のその後>だ。それで内田さんの本を集中的に読んでいる。ゼミでは、この「適切な負け方」について、じっくり聞いてみたいと思う。
 先の戦争についても、「いや、本当は負けてないんだ。ルーズヴェルトの陰謀にやられたんだ」「日本だけが悪いのではない。外国も同じことをやってたじゃないか」…といった人々が最近は増えてきた。スポーツを通じて、「適切な負け方」「受け身」を学ぶべきだろう。

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「適切な負け方」を知ることの重要性。
なんともタイムリーに、興味深い話題です。
戦後70年近くを経て、
私たちはますます「負け方を知らない国」になりつつあるのでしょうか?
もっとじっくり聞きたい! 人は、鈴木ゼミの詳しい案内がこちらなどにあります。

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鈴木邦男さんプロフィール

すずき くにお1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

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