戻る<<

森永卓郎の戦争と平和講座:バックナンバーへ

森永卓郎の戦争と平和講座 第40回

100428up

もりなが・たくろう経済アナリスト/1957年生まれ。東京都出身。東京大学経済学部卒業。日本専売公社、経済企画庁などを経て、現在、独協大学経済学部教授。著書に『年収300万円時代を生き抜く経済学』(光文社)、『年収120万円時代』(あ・うん)、『年収崩壊』(角川SSC新書)など多数。最新刊『こんなニッポンに誰がした』(大月書店)では、金融資本主義の終焉を予測し新しい社会のグランドデザインを提案している。テレビ番組のコメンテーターとしても活躍中。

こんなニッポンに誰がした
※アマゾンに
リンクしています

腹案は徳之島だった

 鳩山総理の「腹案」が徳之島だったということを知ったのは4月19日のことだった。毎日新聞の岸井成格さんが、周辺を取材した結果、そう確信したと言うのだ。「そんなバカな話はないでしょう」と私が言うと、岸井さんも徳之島ではないと思っていたそうだ。ところが取材を進めるうちに、そうとしか考えられないことが分かったと言うのだ。最近の状況をみると、どうやら、岸井さんの判断は正しかったようだ。

 徳之島であれば沖縄県外という扱いになるし、沖縄との距離も近いから、嘉手納基地との連携も取り得る。それでアメリカを説得しようという腹づもりだったらしい。しかし、鳩山総理は、徳之島の島民の過半数が反対集会に参加するとは思っていなかったようだ。島民との事前調整をまったくせずに、いきなり基地移転だと言われたら、住民が反発するのは当然だが、私が落胆したのは、鳩山総理に日本の安全保障に関する理念がないことが明確になってしまったことだ。

 正直言って、私は鳩山総理の腹案は「グアム」だと思っていた。「常駐なき日米同盟」を主張してきた総理だから、新しい時代へのビジョンを持っていると信じていたのだ。しかし、総理の腹案が徳之島だったということで、総理が新しい日米関係を築こうと考えているわけではないことが、明確になってしまったのだ。

 戦後65年が経ったのだから、いくら何でも、すべて戦勝国の言いなりで居続ける必要は、もうないだろう。それでも、「日本は米軍に守ってもらわないと、国民の安全を確保できない」と多くの「有識者」が言う。私は、そう思わないが、仮にそうだとしても、普天間基地の機能が、日本のために本当に必要なのだろうか。

 アメリカは、アジアの部隊を再編し、グアムに集結させようとしている。それは何を意味するのか。米軍はアジア方面に二つの防衛ラインを持っていると言われる。第一のラインは、日本から沖縄、フィリピンを結ぶラインで、第二のラインはグアムを中心とするミクロネシアのラインだ。アメリカが部隊をグアムに集結させるのは、防衛ラインを第二のラインまで後退させるという意味なのだ。

 では、なぜ普天間基地の機能はグアム移転されないのか。それは普天間基地が海兵隊の前線基地だからだ。海兵隊というのは、海戦を担う海軍と異なり、上陸作戦を担当する部隊だ。つまり、敵国に上陸し、敵地で戦うのが、海兵隊の本来業務なのだ。アメリカの立場からすれば、中国や台湾への上陸を早期に果たすためには、海兵隊の戦闘機をその近くに置いておく方が有利だ。だから、沖縄に普天間基地が、そして同じく航空団が配備されている、嘉手納基地が必要になっているのだ。

 しかし、そのことを考えれば、海兵隊の前線基地を日本に置くことが、日本の安全を確保することにつながる可能性がほとんどないことは明らかだろう。上陸作戦をする部隊が日本を守るはずがないのだ。

 つまり、普天間基地はアメリカのためにあるのであって、日本のためにあるのではない。その前提を踏まえれば、自ずと答えは明らかだろう。沖縄県民も、徳之島の住人も、そして日本のすべての地域の国民が、新たな米軍基地の建設は嫌だと言っているのだから、普天間も嘉手納もグアムに引き取ってもらえばよいのだ。

 そうした理念の下で、普天間の問題をアメリカと毅然たる姿勢で交渉すれば、当面の結果がどうなるかは別にして、国民は納得するのではないだろうか。

 理念を持たずに場当たり的な対応を繰り返していたら、政府はあらゆる層から見捨てられてしまうだろう。

←前へ次へ→

森永さんの断言にもかかわらず、
徳之島ではない「ホンモノの腹案」がどこかにあるのでは? と、
まだ期待を捨てきれない部分も。
ともあれ、「基地をどこに押しつけるか」を考える前に、
「そもそも、本当に必要なの?」の議論を!

ご意見フォームへ

ご意見募集

マガジン9条