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2010-03-23up

やまねこムラだより〜岩手の五反百姓から〜

第五十二回

巨大地震その後

 3月11日の巨大地震から1週間たちました。やまねこムラではお彼岸も近いというのに、昨日は15センチの積雪があり、今朝の気温はマイナス6度でした。暖房も食事も十分でない沿岸部の被災者たちは、さぞ寒かったでしょう。
 巨大震災は、まだその全容が見えてきません。第一その名前も決まっていないみたいです。民放は「東日本大震災」というのに対し、NHKは「東北関東大震災」といってます。とりあえずわたしは「3.11大震災」ということにします。なにやら「9.11」とセットで、忘れてはならない大事件・大災害ということで、頭に入りやすいのではないでしょうか。ともあれ、ツナミの死者行方不明者は1万5000人を超えました。福島の原発がどうなるのか、予測はまったくたちません。

 「3.11大震災」のあと、都会の知人たちからは、スーパーやコンビニからモノがなくなったとか、計画停電で通勤がタイヘンだとか、都会生活の基盤がいかに脆弱だったかわかった、というようなメールをもらいました。
 じつは、ツナミの被害地ではない岩手のやまねこムラのようなイナカでも、同じことが起きています。特にガソリン・灯油などの燃料が決定的に不足しています。我が家では、マキストーブがあるので暖房や煮炊きには不自由していなかったのですが、移動には車を使いますし、電気がなければ井戸水も使えない、ということでは都会と同じ。先日郵便局へ行くのに、ガソリンがもったいないので、往復1時間かけて歩きました。
 つまり、都会の基盤が脆弱だったのではなく、近代文明の基盤が脆弱だった、ということなのだとおもいます。都会は、近代文明の最先端であることで、その脆弱さがもろ出てしまった、ということでしょう。 

 ただ、イナカはその暮らしのなかにまだ「前近代」を含んでいましたから、そのぶん、今回のような非常事態に対して、ねばり強かったということだとおもいます。
 つまり「前近代」社会では、イナカに住んでいれば、農家ではなくても自給用の家庭菜園を誰もが持っていて、そこからできた作物から、味噌や漬物などの保存食を自分の家で作るという「昔ながらの暮らしの姿」があった。世の中の天変地異にある程度対応できる柔軟性があったのです。
 ところが、こういう昔の暮らし方をすべて古くさいものとして駆逐してしまい「すべては金で買えばいい、そのほうが合理的だ、効率がいい」としたのが、「近代文明」だったのではないでしょうか。エネルギーも、なにもいちいち山から木を切ったりしなくてもよい。牛や馬を飼う必要もない。スイッチひとつで、暖房もあるし、ご飯も自動的に炊ける。車にはエサの世話をする必要もない。こっちの暮らしのほうが、ずっと楽で便利ですよ、ということで、電気文明・石油文明が(それを構成する大企業や政府が)、世の中を支配してきた。

 そういう近代文明の思想の延長線上に、どうせ発電するなら、より効率のよい、より大規模の集約化された発電ができますよ、ということで原子力発電所がいくつも作られた、ということでしょう。
 原発が、人間の暮らしに入り込んできたのは、長い人類の歴史の中で、ついこないだの事なのです。新参の文明だからこそ、鉦や太鼓で、天孫降臨神話にかわって「原発はすばらしい、原発のおかげでこんな便利な暮らしを謳歌できます、原発は絶対安全です」という新しい神話が作られた。それを多くの政治家や役人や学者たちが信じてみせもした。庶民たちも、その「ごりやく」をありがたがったわけですね。
 その神話が、たった1回の巨大地震で崩壊してしまったから、政府も電力会社も、そして「近代文明」を謳歌してきた人たち(当然わたしもその一員です)が、いまになってオタオタしている、ということなのでしょうね。

 「近代文明」は便利だがリスクも大きいということが分かった、ということが今回の「3.11大震災」のたいせつな教訓だとおもいます。ならばもう一回、かつて私たちが棄ててしまった「前近代」という価値観を再評価することも必要ではないでしょうか。不便で効率も悪いけれど、非常事態には強いシステムを含んだ文明です。
 いってみれば「都会の文明」ではなく「イナカの文明」の再評価です。そして、それは人類が文明を誕生させてから数千年も使ってきた、耐久性のある文明なのです。

 「3.11大震災」では、岩手をはじめとするみちのくのムラにまだ残っていた「結い」のシステムが、機能したのもさいわいしました。自分の利益だけではなく、みんなの利益も考える。みんなが苦労しているときは、自分個人の利益よりはみんなの利益を先に考える・・。こんな「結い」の精神が、たくさんのツナミ難民を助けたとおもいます。「公」でもなく「私」でもなく、いってみれば「共」の思想です。
 陸前高田の避難所へ、山をへだてた一関の給油所の経営者が、みんな寒かろうと残っていた灯油を600リットル無償で配ったそうです。売ればたくさん儲かったはずの灯油をただで配る。バス会社がボランティアで大型バスを宮古から盛岡まで走らせて人々を運んだそうです。料金をとって運ぶのではなく、ガソリンもなくて困った人のために利益無視でバスを走らせる。小さな港町の中学生・高校生が避難民のためにおにぎりをつくったり老人の世話をする。たとえ自分の肉親や友だちが行方不明でも、です。
 金儲け第一主義者、近代合理主義者、グローバル経済学者にできることでしょうか。彼らがやったことといえば、円相場が復興需要であがる、と見越して大量の円買いをしたことだけでしょう。他人の災害を「ビジネスチャンス」ととらえる「火事場泥棒」的経済感覚。これを、経済人というのでしょうか。さもしい金の亡者がうろついているだけです。

 いっぽうで「3.11大震災」でみせた名もない多くの人々のやさしさ。これが「結い」の精神、「共」の思想なのだとおもいます。人間の精神のいちばん「高貴な輝き」を見るおもいです。これが近代文明の棄て去った「前近代」というシステムがもつ柔軟性であり、やさしさであり、しなやかさだとおもいます。ムラに住んでいてよかったな、とおもいます。岩手県人であることを誇りにおもいます。

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便利さや快適さ、効率性を追求する中で、
あまりにも脆弱なものになってきてしまった私たちの暮らし。
けれど、果たしてそれは本当に正しかったのか?
切り捨ててきたものをもう一度、取り戻す努力をするべきなのでは?
そのことを、改めて考えてみる時だと感じます。

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つじむら・ひろおさん
プロフィール

つじむら・ひろお1948年生まれ。2004年岩手へIターンして、就農。小さな田んぼと畑をあわせて50アールほど耕している五反百姓です。コメ、野菜(50種ぐらい)、雑穀(ソバ、ダイズ、アズキ)、果樹(梅、桜桃、ブルーベリ)、原木シイタケなどを、できる限り無農薬有機肥料栽培で育てています。

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