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2010-07-27up

やまねこムラだより〜岩手の五反百姓から〜

第五十七回

わたしたちの
「to be, or not to be : that is a question」

 7月下旬、岩手県南部でも放射能に汚染された稲わらを食べた牛がいることがわかりました。福島第一原発から約200キロは離れているのですが、とうとう放射能の汚染が岩手にもきたか、という印象です。その肉の中にどれだけの放射能が検知されたのか、詳しい数値はしりません。
 しかし、現実問題として肉牛を育てている畜産農家には大打撃です。出荷自粛という事実上の販売停止措置がとられている、ということですから、農家には収入の道が閉ざされたことになります。さらに「岩手県産の牛肉はアブナイ」という風評が広がることでしょうから、現在だけでなく将来にわたってなりわいが成り立たないことになります。
 汚染牛肉は国が買い上げて焼却処分される、という対策が取られるようですが、畜産農家はなにも焼却処分をされるために、牛を育ててきたわけではない。せっかく育ててきた牛が(いのちが)、世の中になんの役にも立たないで焼却されてしまう。こんなむなしいことはないだろう、と同じいのちを育てている百姓のひとりとして、くやしくなります。

 百姓は、たしかにビジネスとして牛や野菜やコメを育てているわけですが、単なるモノを育てているつもりはないのです。いのちを育てて、それが多くの人たちの食べ物になって、人のいのちを支えることにつながる。そこに生きがいも感じているのです。
 せっかく育てたいのちが、放射能で汚染されたという理由で、焼却処分される。これでは、せっかく人のためにいのちを提供してくれた牛たちにも、申し訳がたたないとおもいます。無駄死にさせられた多くの牛たちのいのちを、わたしは悼みたいとおもいます。

 この責任は、だれにあるのでしょうか? とうぜん、最初の責任者は、福島第一原発の事故を起こした東京電力にある。2番目の責任者は、この40年間原発を推進してきた日本国家、つまり政治家や経済官僚や御用学者などの「原発ムラ」の人々、さらに発電事業を独占してきた電力会社や原発利権に群がった人々にあるといえるでしょう。そして、3番目の責任者もいるとおもうのです。
 3番目の責任者とは、だれか? それは、わたしたち日本国民です。思う存分電力をつかって、経済発展や便利な生活を謳歌してきた、わたしたちだとおもうのです。これまで電気洗濯機や冷蔵庫、クーラーやテレビやパソコンの恩恵をうけてきたわたしたちにも、責任はあるとおもうのです。

 個人的に原発には反対してきた、という方も多いとおもいます。じつはわたしもそのひとりです。ですが、結果として原発を止められなかったし、原発反対の代償として自分の便利を差し出しもしなかった。 農作業のあとの冷えたビールはうまいし、この原稿だってパソコンで書いている。原発には反対ゆえにぬるいビールで我慢している、ということではないのです。「やまねこムラだより」を原稿用紙に書いて「マガジン9」編集部へ郵便で送っているわけではないのです。クーラーはないのですが、それはやまねこムラが涼しくてクーラーを必要としないからです(もっとも、7月半ばに35度を超える猛暑日がありましたが)。
 つまり、わたしも電力や石油に支えられた現代文明を謳歌してきたひとりなのです。原発事故の遠い責任は、電力の利用者たるわたしにもある、とおもうのです。

 それなら、これからどうするのか?
 世論調査をみても、あんがいと「原発推進派」「原発容認派」のかたが多いのではないでしょうか。電力を大量消費する産業界が原発を推進したいのはわかります。でも農民のなかにも「原発がなくなって電力が不足し、クーラーが使えなくて子どもが熱中症になったらどうするのだ」という投稿をする人が岩手日報にもありました。「熱中症と放射能汚染と、どちらがこわいとおもっているのだろう」と、わたしには本末転倒の論理に見えたのですが、電力を使えないという目先の不便を考えれば、こういう考え方もでてくるのだな、と感心しました。

 民主主義の原則のひとつとして、多数決というのがありますね。みんなで投票して1票でも多かったほうを「是」とするやりかたです。住民投票、国民投票で、原発の是非を決めたらいい、という提案もありますね。
 しかし、こと原発の是非に関しては、多数決という制度はなじまないとおもうのです。なぜなら、福島第一原発の事故が示すように、放射能汚染は数百キロも離れた場所にまで知らないうちに影響をあたえるだけでなく、未来数十年にわたって、悪影響をあたえつづけるからです。小学生の子どもが、中年になっても原発事故が収束しない・・そんな長期にわたって、放射能の汚染リスクが続く。こんな、未来を子どもから奪うような事故が現実に起こってしまったのです(いま現在も起き続けています)。

 そこで、たとえば、国民投票で原発の是非を問うことがあったとしましょう。結果は、49%対51%で、原発賛成派が「多数」をしめたとします。民主主義のルールとして「賛成派」が勝ったのですから、日本国は原発を推進することになります。49%の「反対派」の人たちは、これまでどおり、原発には反対なのだが・・とおもいつつ、半ばあきらめながら日常生活を送ることになります。

 そこで、提案です。「原発には反対なのだが・・」とおもっている人たちはここであきらめてはならないのです。どうするか? 原発反対の人々があつまって、日本国から離脱して、新たな国家を作ってしまうのです。新国家の名前は「ネオジャパン」と仮にしておきます(総理大臣ではないので好きなことをいえます。五反百姓でよかった!)。

 東京を中心とする関東圏から東海地方を経て関西圏は、すでに産業メガロポリスをつくっていますから、当然「賛成派」による「従来ニッポン国」の支配下に入るでしょう。
 原発を推進する「従来ニッポン国」は、これまでどおり原発で電力をつくることになります。ただし、これまでのように、東京で使う電力は福島や新潟など遠い場所ではなく、東京湾ベイエリアとか、自前の場所に原発を作って電力を生産してもらう。お台場あたりには、原発を作る土地がまだありそうですからね。
 その点、これまで高度経済成長の後塵を拝してきた北海道、東北、北陸、中国、四国、九州、沖縄などは、「ネオジャパン国連合」の一員になる可能性がありますね。
 とうぜん「ネオジャパン国」には、原発は1基も作らせない。すでにある場合は、それをつくった電力会社の責任と金で廃炉にする。結果、太陽光、風、潮流、地熱、水力、家畜の糞尿を利用したガス、それに豊かな森から採れる薪炭やチップ材など、自然がつくってくれるエネルギーが中心になるでしょう。
 たしかに、これまでのように電力を使い放題使うことはできないでしょう。だから場合によっては、ビールは井戸水で冷やす。暑い日も、打ち水やうちわやグリーンカーテンなどの工夫をしてすごす。炊事や暖房にはマキや炭が活躍することになります。
 生活は不便になるかもしれないが、その代わり、放射能の脅威からは自由になるのです。日々の暮らしとなりわいに、安心と安全とやすらぎと、ゆっくりとした時間が戻ってくるのです。多少の不便は、自分の工夫やアイデアで乗り切っていく。これが、本来の「人間らしいくらし」だったとおもうのですが・・。

 要は、ハムレットのせりふのように、「アレか、コレか」なのだとおもいます。人生には、「アレも、コレも」はないのですから。
 あなたは、どちらを選びますか?

(2011.7.22)

7月下旬、やまねこムラではハスの花が見ごろになりました。

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電気をじゃぶじゃぶと使える快適な生活か、
放射能の危険にさらされることのない安全な生活か。
あなたにとっての「豊かな生活」はどちらですか?

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つじむら・ひろおさん
プロフィール

つじむら・ひろお1948年生まれ。2004年岩手へIターンして、就農。小さな田んぼと畑をあわせて50アールほど耕している五反百姓です。コメ、野菜(50種ぐらい)、雑穀(ソバ、ダイズ、アズキ)、果樹(梅、桜桃、ブルーベリ)、原木シイタケなどを、できる限り無農薬有機肥料栽培で育てています。

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