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やまねこムラだよりー岩手の五反百姓からー

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つじむら・ひろお 1948年生まれ。2004年岩手へIターンして、就農。小さな田んぼと畑をあわせて50アールほど耕している五反百姓です。コメ、野菜(50種ぐらい)、雑穀(ソバ、ダイズ、アズキ)、果樹(梅、桜桃、ブルーベリ)、原木シイタケなどを、できる限り無農薬有機肥料栽培で育てています。

第十六回

もうひとつの<自己責任>

 わたしの参加しているソーシャル・ネットワーク(mixi)のなかの「東北の岩手県」というコミュニティの中で、先日ちょっとした論争がありました。
 それは、青森県の六ヶ所村で、来春から本格稼動が予定されている日本原燃使用済み核燃料再処理工場に対する反対表明の意見が載ったことから始まりました。
 これに対して「ここは岩手県のコミュだから、こういうことは青森県のコミュに書くべきだ」という反論があり、その後「いや、原発の問題は日本全体の問題だ」とか「提案者の論拠とするデータが不明確だ」とかのやりとりがありました。
 わたしは「マガジン9条」の9月19日号・26日号に載った、「六ヶ所村ラプソディ」を作った鎌仲ひとみさんのインタビュー記事を読んでいましたので、映画はみていないのですが、六ヶ所村の再処理工場問題には興味がありました。

 「青森にある原燃再処理工場のことは、岩手とは関係ない」というのは、あまりに郷土ナショナリズムがすぎる、とわたしは思いました。
 青森県のなかで解決できることは青森県の中で解決するのは当然です。しかし、原発の使用済み核燃料の再処理問題は、青森県だけで解決できる問題ではなく、日本の電力エネルギー事情という大きな構図の中でないと見えてこない問題だとおもうからです。
 現に、岩手の沿岸部に住む人たちや漁業組合なども、海が放射能で汚染される心配があると、反対運動を立ち上げています。再処理工場から海洋に放出される放射性物質に対して濃度規制がないのに、原燃側は「海水で薄められるから安全」と主張しているそうですが、ちょっとおどろいてしまう論理です。

 最近の薬害肝炎の問題でも感じたのですが、こういった最初から責任を取るつもりがない論理が、まかりとおっていますね。問題の薬品を投与された患者のリストがあっても、当時の厚生省の役人は「病院や医師から、患者へ告知されるとおもった」、ということで、責任をあらかじめ放棄している。
 原燃も、万一、放射性物質に汚染された魚介類を食べて被害を受けた人が出たとしても、「海水が薄めてくれるから安全とおもった」と言いわけする気でいる。ハナから責任を取る気はまったくない。
 こういう人には、除草剤や殺虫剤や殺菌剤をたっぷりかけたコメを特別に作って、是非食べさせたい。薬害が出ても「イヤー。田んぼの水が、クスリを薄めてくれるとおもった」と、こっちも言い訳をしたいとおもいます。

 それはともかく、この小さな論争のおおもとにあったのは、「日本の電力エネルギーをどう考え、どう対処するか」、というおおきな問題だったとおもうのです。
 現在、日本の電力の3分の1を原発が発電しているそうですが、原発からは「使用済み燃料」というゴミが大量に出る。ただのゴミなら「夢の島」に運んで埋め立ててしまえばすむけれど、放射能を多量に含んだゴミだから、ただ棄てるわけにはいかない。そこで、そのゴミを処理する場所が必要、ということで、青森県の六ヶ所村が選ばれた、ということですよね。
 おそらく、いろいろな名目の、多額のお金がおみやげについてきたから、六ヶ所村の村長さんも引き受けたのでしょうが、目の前の大金に目がくらんで、子孫の未来まで売ってしまった、という気がいたします。

 小泉総理時代の構造改革や新自由主義やら以来、「自己責任」ということばがひとり歩きしています。ニートになるのも、ホームレスになるのも、本人が努力しなかったせい。つまり、「自己責任」ということで、切り捨てられる。
 たいへん冷たい論理ですが、「自分がやったことの結果を、自分で引き受ける」という意味では、ある面では正しい論理だとおもいます。
 たとえば、ゴチソウがヤマのようにあったので、食いたいものを手当たりしだい食べて、結果お腹をこわしてしまった・・。その責任は、ゴチソウを食べ過ぎた本人の責任、といえるとおもいます。その責任を、料理人やレストランに押し付けるのは間違っている。

 ところで、夏は涼しく冬暖かく、夜も真昼のように輝いて、便利で華やかできらびやかに、最先端の気持良い生活をしている大都会は、使いたいだけ電気を使って、いまの生活が成り立っています。
 それならば、その電気を作るためにゴミがでたのに、なぜ、自分のところで処理しないのでしょうか。
 自分のところで使った電気のゴミぐらい、自分のところで処理するのが大都会の「自己責任」というものではないでしょうか。

 六ヶ所村なんていう、本州の北のはずれの寒村にわざわざ、ゴミを持ってくる必要はない。ベイエリアの、たとえばフジテレビのとなりあたりに、再処理工場をたてて、廃液は東京湾へ流せばいい、とおもいます。
 原燃の言うことが正しいのなら、「放射能は東京湾の海水が薄めてくれるから安全」でしょう。おいしいところだけとってあとは知らない、というのなら、厚生労働省の無責任役人と同じですね。

 「自分たちがいい目を見たこと・受益したことの結果を、自分たちでしっかり受けとめ、責任をもって処理する」これも、自己責任のただしいあり方だと思います。
 いっぽうで、ニートやホームレスを「自己責任」の結果だ、とあざ笑っておきながら、自分たちの出したゴミも自分では処理できずに、東北の寒村に押し付けて、責任をとらない。
 こういう大都会のエゴイズムには、いつかバチがあたるのではないでしょうか。
 石原都知事さんあたりは、どう考えておられるのでしょうか?

(2007.12.11)


10月半ばから、4月まで、毎日マキストーブを焚いています。
マキ材は、リンゴ、アカマツ、クヌギ、クリ、コナラ、スギなど。リンゴが、マキと しては最高です。

大量の電力消費の「ツケ」を、六ヶ所村に押し付けているのは私たち——
そんな構図については、鎌仲ひとみさんのインタビューでも指摘がありました。
これこそが、私たちがもっと考えなくてはならない、
本当の「自己責任」なのではないでしょうか?
皆さんのご意見もお待ちしています。
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