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やまねこムラだよりー岩手の五反百姓からー

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つじむら・ひろお 1948年生まれ。2004年岩手へIターンして、就農。小さな田んぼと畑をあわせて50アールほど耕している五反百姓です。コメ、野菜(50種ぐらい)、雑穀(ソバ、ダイズ、アズキ)、果樹(梅、桜桃、ブルーベリ)、原木シイタケなどを、できる限り無農薬有機肥料栽培で育てています。

第二十二回

未来を信じる、ということ

 2月18日から、確定申告が始まるので、わが「やまねこ農園」の昨年度の収支を計算してみました。農業収入は、約40万円でした。
 これに対し、農業支出が約120万円。ざっと、80万円の赤字でした。
 農業支出のなかでは、トラクターや軽トラックの減価償却費が大きくて、約30万円。農具費と修繕費が27万円。種苗費と農業材料費がそれぞれ11万円、動力費(燃料)が9万円、肥料代が8万円・・と続きます。
 土地改良区費というのは都会の方には聞きなれないでしょうが、いってみれば、水利権費が3万4千円です。農薬はほとんど使わないので、2千円ですみました。このほか、租税公課(農地への税金や保険)、運賃、農業衣料費、雑費、農業共済費などの項目が並んで、合計ざっと120万円です。

 つまり、100円の収入を得るのに300円使っているわけですから、わたしの農産物は、原価率300%。やればやるほど、赤字が増えるということです。当然、普通の企業だったら倒産でしょうね。
 「それじゃあ、どうやって、食っているんだ?」という疑問には、「農業で食っていますが、お金の不足分・赤字分は会社時代の退職金で補填しています」というのが、その答えになります。まだ、60歳前ですので、国民年金も払う立場なのです。

 この数字を見て、「農業は、すごいワーキング・プアじゃないの。やっぱ、や~めた」と思う方がいたら、ちょっと待ってください。
 わたしの場合は、「自給自足」が第一の目標ですので、ビジネスとしての農業は二の次、という事情があるからです。
 5反、という百姓としては最小の農地しか持たないのに、おコメをはじめ、野菜を50種以上、果樹を4種、キノコまで手を広げているのですから、ある意味では、非常に効率の悪い農業を、あえてしているわけです。通常の販売農家は、ピーマンとトマトとか、コメとリンゴとかせいぜい2~3種の作物に特化しているのが、普通なのです。
 わたしの場合、覚悟の上の?赤字80万円の代わりに、そのぶん得るものは、たくさんたくさんあるのです。

 第一には、夫婦二人が食べる1年分のおコメと味噌。それに、季節折々の新鮮な、野菜、果物、山菜、キノコ、雑穀など、山のさち、畑のさちが売るほど手に入ります。(実際に、食べきれない分を売っているわけですが)
 肉や魚や乳製品は買っていますが、地元岩手産のものがほとんどです。ですからビンボーでも、現物の食い物には困らないので、わたしら、1年間飢える心配なく充分「食べていける」わけです。これで、赤字の半分ぐらいは、相殺できそうです。

 第二に、安心、安全、新鮮、安堵感、という数値化できない食べ物の価値が、手に入るということです。
 先日の輸入冷凍ギョーザのような、不安感はまったくありません。なにせ、自分が食べるために、有機無農薬栽培でつくっている食べ物ですから、これ以上、安心、安全な食べ物はない。
 都会でもオーガニック野菜を扱う店があって、わたしもいったことがあります。確かに安心・安全なのでしょうが、はっきりいって、鮮度に問題がありました。安心、安全、さらに新鮮、の3要素が野菜には大切だなと思いました。
 この3要素がそろっていれば、とうぜん「おいしい」という4番目の価値も生まれます。安けりゃいいだろの大安売りの商品ではなく、商品としてもブランドものの野菜だと思います。それをコストと考えて数値化すれば、わたしは十分、自分の食べる野菜で、赤字のモトを取っていると思うのです。

 さらに、第三として、流通コスト・環境負荷がかからないことがあります。
 生産者たるわたし=消費者であるわたし、であるわけですから、流通コストがかからない。
 外国から輸入する食べ物が増えるほど、これからは流通コストもかかるし、環境に負荷もかかる(フードマイレージ)ことになりますが、自給自足の食べ物にはそれが一切ない。
 先日の殺虫剤混入ギョーザ事件以来、政府も行政も業者も食品の安全をチェックする基準を厳しくしたり、検査回数を増やしたりするでしょうが、当然それは食べ物のコスト高に結びつくでしょう。でも、自分が食べ物を作れば、そういう費用や時間も検査も、不要になるのです。

 第四として、野菜や果樹を育てるプロセスの中に、はたらく喜びがあることです。
 自然の中で土を相手に仕事をする農業は、タイヘンというイメージがあるかもしれませんが、それは、農業の一面しかみていません。農業のよさは、五感をフルに働かせて、カラダを使ってはたらくことにあります。
 たとえば、山の畑で、わたしが春にマメの種をまくとします。スーッといい風が吹いてきます。汗をかいた肌に風のそよぎを感じながら、ひょいと見あげれば、遠くには残雪の山が見え、近くにはヤマザクラの花がきれいに咲き匂っています。ウグイスが鳴く声も聞こえます。畑のわきには、タラの芽やコシアブラやゼンマイ、ワラビも生えていますから、今晩のおかずは、山菜のテンプラにしようか、となります。五感が、みんな喜びながら仕事をしていられる。それが、百姓のなりわいの醍醐味です。
 単に、マメの種をまく、という労働のなかに、これだけのはたらく喜びがこめられているのです。都会の、時間給850円の仕事の中に、こんな喜びがあるでしょうか。

 まだまだ、理由を挙げられますが、理屈はこれぐらいにしておきましよう。
 ですから、たとえ赤字でも、それ以上に得るものがたくさんたくさんあるので、わたしは百姓をやめる気はまったくありません。原価率300%でも、百姓をこれからも続けたい、と考えているのです。
 今年度は、軽トラなどの減価償却費が減り、栽培技術も上達させ、農産物の販売にも力を入れるつもりですから、原価率も少しは減ると思います。当面の目標は原価率100%、つまり収支トントンまで持っていくことです。

 やまねこムラの田畑はまだまだ雪に覆われていますが、それでも、日の光がとても明るくなってきたことを感じます。気温は氷点下でも「光の春」を感じます。
今年は、あの畑に何を播こうか、こっちの畑にはどんな作物を育てようか、いろいろ考えてみるのが、2月の五反百姓の楽しみなのです。

 いまの日本の、政治や経済や社会のさまざまなことを考えると、つい暗くなったり怒ったりしたくなりますが、オテントサマは、確実に春に向かっている、と感じます。
 「未来を信じられること」。これも、農業の大切な、でも、金にならない価値かな、とも思っています。だって、未来を信じられなければ、種を播く気にも、苗を植える気にもなれないのですから。未来に収穫の喜びがある、と信じるからこそ、百姓はまだ田畑に雪のあるうちから、今年の野良仕事に、結果(夢)を託すのですから。
 ものごとを悲観して考えがちな方、ペシミストになりがちな方にも、百姓はお勧めの仕事かもしれませんね。明るく生きられますよ。

(2008.2.15)

岩手県の胆沢で行われた「農はだて」行事。
田植え歌にあわせて、早乙女が雪原に稲わらを立てていきます。
今年のおコメの豊作を祈る予祝行事です。
ここにも、未来を信じるこころ、があります。

「自分の仕事には、お金に換えられない価値がある」と言い切れることの幸せ。
農業ではなくても、「未来を信じられる」働き方がしたいな、と思います。
皆さんのご意見もお待ちしています。
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