戻る<<

やまねこムラだより:バックナンバーへ

やまねこムラだよりー岩手の五反百姓からー

080326up

つじむら・ひろお 1948年生まれ。2004年岩手へIターンして、就農。小さな田んぼと畑をあわせて50アールほど耕している五反百姓です。コメ、野菜(50種ぐらい)、雑穀(ソバ、ダイズ、アズキ)、果樹(梅、桜桃、ブルーベリ)、原木シイタケなどを、できる限り無農薬有機肥料栽培で育てています。

第二十七回

温暖化と堆肥

 「暑さ寒さも彼岸まで」ということわざがありますが、それは関東以西のこと。北国の岩手では、彼岸をすぎても、朝などは氷点下の気温です。桜が咲く4月20日ぐらいまでは、マキストーブの出番が続きます。
 でも、雪が消えれば、農作業が始まります。冬ごもりでなまった身体を、働きモードにしていく必要があります。サビの出た身体と心に油をさして、野良仕事へとギアチェンジするのが、いささかシンドイです。機械もカラダも、使わないとサビがでる、と言うのはほんとうですね。

 野良仕事の始めは、私の場合、土づくりから始まります。有機栽培農業なので、農地に種を播いたり苗を植えつける前に、堆肥などの有機物を農地にたくさん投入する必要があるのです。
 自分でも、堆肥やボカシ肥や液肥を1000キロぐらい作っているのですが、とても間に合わない。生ゴミやねこの排泄物やストーブの灰などは、すべて有機肥料にして畑に返しますが、十分でありません。
 そこで、畑には2000キロ、田んぼにも1600キロの牛ふん堆肥を入れます。これは「大地活力センター」という農協の施設から買い入れてきます。軽トラいっぱいで400キロ(1000リットル)の堆肥を運んできて田畑に播くのですが、農地に均一になるようスコップで一杯づつ播く。畑はともかく、田んぼには軽トラが入り込めませんので、1輪車に堆肥を積み替えてからなので、1日で軽トラ2杯分を播くのがやっとです。

 化学肥料が普及するのも、よくわかります。
 たとえば、田んぼ1反(10アール)に、4キロのチッソ分が必要だとします。堆肥のチッソ含有率は0.5%ですから、4キロのチッソ分をいれるのに、800キロの堆肥を播く必要がある。1日仕事になってしまいます。
 いっぽう、化学肥料では、よく使われる「10-10-10」では、チッソもカリもリンサンも10%ずつ配合されている。ですから2袋、40キロの化学肥料を播くだけでいい。しかも、散布機で散布しやすいように、粒状になっていますから、20~30分もあれば全部播けてしまう。しかも、コストだって堆肥より安いのです。

 1970年ぐらいまでは、1反あたり平均して400キロぐらい堆肥を使っていたのに、いまはその5分の一、80キロぐらいしか堆肥は使われていない、という調査もあります。平均施肥量が減ったのではなく、堆肥を使う農家が5分の1になった、ということです。
 効率から考えたら「いまどき、堆肥でコメ作りをするのは、時代遅れで時間の無駄」ということなのでしょう。また、老齢化がすすみ、若い労働力が不足する農村の実態から考えれば、老農夫がなるたけ楽に仕事をするためにも、化学肥料を使うことやめるわけにはいかないのです。いまでは堆肥を使う農家は少数派になってしまいました。

 では、なぜいまでも堆肥を使う農家があるのか。それは、土作りのためです。堆肥を入れることで、農地が豊かな健康な土になることを、農家は体験的に知っているのです。
 健康な土が健康な作物を育て、健康な作物が健康な人間のカラダをつくるのです。
 さらに、有機物がたくさん土の中に入ることで、土壌の中の微生物が大繁殖します。それを小さな虫やミミズやオタマジャクシやヤゴやクモが食べ、それをまた、鳥やヘビやタヌキが食べます。そういう食物連鎖の生態系が成り立つわけです。
 ミミズがたくさんいる畑は、土が団粒構造になって、水はけが良くてしかも水もちもいい土になります。多様な生物が発生して、少々の害虫なら天敵が食べてくれる。農薬を使わなくても済むようになる。人間にも虫にも鳥にも他の生きものにも暮らしやすい環境、そして「♪うさぎ追いしかの山~」のなつかしい農村の景観が出来あがって行くのです。
 そういう農地がたくさんあるところは、水もうまいのです。水を浄化し保水する役割、あるいは光合成によって新鮮な空気を生み出す働きも、農地ははたしているのです。
 これらの働きを、農業の「公益的機能」といいます。

 じつは、堆肥を使う農地には、もうひとつ大事な「公益的機能」があることがわかってきました。それは、「炭素の固定」です。つまり、いま地球温暖化の原因とされている二酸化炭素(CO2)を吸収してくれるのです。
 日本の農地全体が二酸化炭素を取り込む可能量は、3億8000万トンといわれています。日本の農地は約500万ヘクタールですから、1ヘクタールあたり、7~8トンの二酸化炭素を農地は吸収する力があるのです。7~8トンの二酸化炭素といえば、石油やガソリンを3000リットル燃やしたときに発生する二酸化炭素量に匹敵するのです。
 農地に堆肥をたくさん投入することで、堆肥の中の炭素分が微生物によって「腐植」という炭素分の固まりになって、土に取り込まれる。つまり、堆肥をたくさん使う農地は、地球温暖化の防止にも少なからず貢献しているのです。これも、生きた健康な土だから機能する働きなのです。化学肥料を多投される農地では、二酸化炭素の吸収力はあまりありません。

 世界の産業界では「二酸化炭素の排出権」を売買することが、検討されていますね。日本やアメリカのような、二酸化炭素をたくさん排出する国が、あまり排出しない国(つまり、工業が遅れた貧しい国)から排出権を金で買って、自国の二酸化炭素の排出量のつじつまを合わせよう、という都合のいいハナシです。
 ならば、是非、農地の持つ二酸化炭素を吸収する役割も、数値化(金で計算)してみて欲しいものです。コンクリートでおおわれた大都会の土地は、もちろん二酸化炭素を吸収しない。農地なら、1ヘクタールで7~8トン、全国で3億8000万トンの二酸化炭素の排出を防ぐ潜在的な能力を持っている。この4億トン近い二酸化炭素排出権を、日本政府や経団連はいくらで買ってくれるのでしょうか。

 これまで、日本の農業は、その産出する「食料」という点でしか経済的に評価されてきませんでした。しかも、「日本の食料は高い、だから安い外国産の食料を買えばいい、日本の農業なんか守らなくてもいい」、というのが大方の流れでした。その結果の、食料自給率39%です。
 「農業の公益的機能」については、経済的にほとんど評価されてこなかった。空気や水がきれいになるのも、なつかしい風景が維持されるのも、生きものがいっぱいの環境が保全されるのも、農村の「無料サービス」だと多くの国民が思ってきた。「無料サービス」だから、金は入ってこない。金になるのは、食料だけ。それも、高いと、文句を言われてきた。農村の多くの若者は、この現状に絶望して、農業から離れていったのです。
 だから、農民は少しでも収入を上げるために、効率よく多収穫になるよう、堆肥ではなく化学肥料を使い、天敵ではなく農薬にたよるしかなかった。日本の農業が衰退したいまの現状を、だれも責める資格はないのです。

 わたしは、自給が第一の目的の農業ですから、いちばんの顧客も自分です。だから、経済的な合理性よりも、顧客である自分のカラダが喜ぶ方を選んでいます。うまい食べ物、安心安全な食べ物を作るためには、生きた土づくりが大切、と考えています。
 そのために、労力はかかりますが、ただいま春先の最初の仕事として、堆肥をせっせとわずか5反の田畑に播いているのです。きっと、5反百姓だからできるのでしょうね。

(2008.3.21)

大地活力センターで、牛ふん堆肥を積み込む。
軽トラいっぱいで、400キロ(1000リットル)。
発酵熱で50度ぐらいの熱があります。

「化学肥料をやめて堆肥を使った農地づくりを」と、口にするのは簡単。
でもそれは、農業に携わる人だけの努力で実現するものではありません。
テレビのニュースを賑わすこともそれほど多くないけれど、
自給率40%を切った日本の農業をどう復活させてゆくのかは、
もっともっと語られていい問題のはずです。
ご意見フォームへ

ご意見募集

マガジン9条