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癒しの島・沖縄の深層

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おかどめ やすのり 1972年法政大学卒業後、『マスコミ評論』を創刊し編集長となる。1979年3月、月刊誌『噂の真相』を編集発行人として立ち上げて、スキャンダリズム雑誌として独自の地平を切り開いてメディア界で話題を呼ぶ。数々のスクープを世に問うが、2004年3月の25周年記念を機会に黒字のままに異例の休刊。その後、沖縄に居を移しフリーとなる。主な著書に『「噂の真相」25年戦記』(集英社新書)、『武器としてのスキャンダル』(ちくま文庫)ほか多数。HP「ポスト・噂の真相」

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オカドメノート No.019

米軍の騒音273回の「ウークィ」の日

 8月といえば、毎年のように広島、長崎の原爆記念日、そして15日の終戦記念日を意識せざるを得ない。メディアにおいても、年中行事のように戦争にまつわるドキュメント番組や記事が溢れるシーズンだ。映画「YASUKUNI 靖国」を見ればわかることだが、8月15日には、軍服で正装した元軍人らが大きな日の丸の国旗を掲げて「靖国の御霊」のためにやってくる。こうした戦争回顧派グループの他、日本遺族会のメンバーで戦死者の追悼でやってくる人々、韓国や台湾の戦死者の遺族が合祀の取り下げを求めるために抗議で訪れるケースなど、靖国は様々な思いが渦巻く場とも化している。皆、それぞれに日本が戦った太平洋戦争に対しても捉え方が違う。戦前の国家神道としての歴史が戦後の民主化の過程で総括されないまま靖国神社が存続してきたことが大きいのだろう。戦後憲法が発布されても戦前の皇室典範はそのまま据え置きにされたことで、ある意味ではグロテスクな天皇家の儀式が今でも営々と存続していることと相似形である。靖国の境内に建てられている遊就館を見学すれば、展示物も内容も日本が明治以降戦ってきた戦争の肯定で首尾一貫している。二度と戦争をしないことを誓った戦後憲法の精神と、ご神体が日本刀だという靖国神社の持つ歴史的由来は根本的に矛盾する。それが戦後も放置されてきたことで、靖国は「戦前の亡霊」として現在でも脈々と生き残ってきたということだろう。

 靖国神社には「英霊」なるものは存在しない。あるとすれば、個々人の脳裏に焼きついている思いだけだ。むろん遺骨が存在するわけではない。「お国のため、天皇陛下のために戦い、靖国で会おう」と米軍に特攻機で自爆したり、日の丸決死隊で切り込みをかけた日本兵の遺骨は、いまだに南方の島々に眠っていたり、個々人の故郷の墓の中に存在するだけだ。靖国という戦前の日本軍国主義が作り上げた壮大なフィクションは、国家による戦争遂行の装置に過ぎないということをキチンと認識していれば、総理大臣としての小泉の独善的思い込み参拝は嘲笑の対象でしかないはずだ。国家に悪用された歴史を持つ神道の家系に生まれた筆者が言うのだから、間違いない(苦笑)。

 沖縄においては、本土と違って摩文仁で牛島中将司令官が自決したことで、組織的戦闘は終了されたとされている。それが、6月23日の慰霊の日であり、沖縄での終戦記念日である。今年の沖縄における8月15日は、旧盆で迎えた先祖をグソー(後生)へ送る「ウークィ」の日だった。戦争犠牲者に限らず、これまで死んでいった先祖をウチカビ(紙のお金)で迎え、仏壇にいろんな食べ物を備える行事である。この日、地元紙によれば、日米合意による騒音防止協定で米軍が「地域への配慮を行う」と規定される旧盆中にもかかわらず、普天間飛行場周辺では「騒音が273回」記録され、エイサーの掛け声もヘリの音にかき消され、地元の人々は怒り心頭だったと伝えている。

 日本軍の戦いの犠牲の上に、今日の日本の繁栄と平和があるのだから、「靖国の英霊に感謝すべき」という主張の持ち主たちは、かつての戦争のせいで米軍基地に占有され、いまだに基地被害に苦しんでいる沖縄県民がいることを、どう説明するつもりなのだろうか。それとも、「沖縄は日本ではないから関係ない」とでもいうのだろうか。

かつて失われた多くの命を悼むことは、
その原因となった戦いを美化し、正当化することとは違うはず。
毎年夏、靖国にまつわるニュースを見聞きするたびにそう思わずにはいられません。
皆さんのご意見もお聞かせください。
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